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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

添削とは

2011年03月09日 10時24分02秒 | えいこう語る
海・山・川という自然に恵まれた環境、つまり「ど・田舎」に住んでいるからか、若い頃から俳句や短歌に興味があった。
父が短歌を作っていた。息子の私に酒でも飲みながら自慢し解説をしていたら、私も書き始めていたかもしれない。
父が亡くなったのは私が39歳の時である。その時初めて、我がお寺の開祖である、法然上人の辞世の句に心をひかれた。
「月影のいたらぬ里はなかれどもながむる人の心にぞ住む」
なるほどと感心した。
※神も仏様も今日も忘れずに照らしてくれる。


たぶんその前後だと思うが、俳句を作ろうと或る女史から誘われたことがある。
その方は俳句の会に属していたが、興味が他の方に向いていたので、断ったことがある。
俵万智さんがデビューした時、東京から遥か離れている小さな漁村の私の胸にも、短歌の矢が刺さったという感じだった。
「寄せ返す波のしぐさのやさしさにいつ言われてもいいさよなら」
砂浜を散歩し打ち寄せる波を見つめ、感動した。
それと同時期に、川柳の時実新子さんにも惹かれた。これまた強烈に打ちのめされた。
でも、万智+新子=(は)私の中では、心のバランスがとれず、まだスタートが切れなかった。
考えてみれば句への誘惑は何度もあったが、この誘惑だけにはなぜか素直についていけなかった。
「象さんもキリンさんも好き」というような、子供のように気の多い性格のせいでもある。
無駄をすべてそぎ落としてしまうような俳句や短歌には、心が風邪をひきそうで、近寄る勇気がなかっただけなのかも知らない。
「愛していながら愛しているといえないもどかしさ」
そんなかっこいいものでもないが。
日曜日の朝、NHKの俳句と短歌を観ていて、ふと思いついた。
例えは品がないが、添削とは、田舎娘が都会で暮らし、何年か経ってお盆に帰省したようなものだ。
垢抜けて、目を見張るほど美しくなっているのに驚く。
私の田舎暮らしも半世紀に及ぶ。
添削をしてもらうと、ちょっとは垢抜けるかも知れないとふと思った。