今回のお気に入りは、日本高山植物図譜です。
手仕事の美しさに魅せられて博物図譜を集めています。
先日ネットオークションで「日本高山植物図譜」という図鑑を見かけました。
オークションでの出品名称は次の通りでした。
「日本高山植物図譜 第一巻 三好学 明治39年 成美堂」
古い植物図譜なので銅版や石版の美しい原色図版が収録されているかもしれないと思い、出品サイトをのぞきました。
付属のコメントには表紙にスレや傷みがあることと、B6判であることだけが書かれていました。
次に写真を確認しました。
図版は見開きに6種類の高山植物が原色で描かれていました。
このページを見る限り、細部まで丁寧に描かれており、色のズレもありませんでした。
すべて原色図版なのか? 図版のページ数などは不明。
表紙はコメント通りスレて一部読めない文字がありましたが、「理学博士三好学 牧野富太郎 共撰」と書かれているように読めました。
牧野富太郎といえば独学で植物研究を極め、日本近代植物学の父と呼ばれ、植物細密画の名手としても有名です。
牧野の図鑑は美しい博物画を鑑賞するためには必携で、手元には「原色牧野日本植物大図鑑」があります。
これは牧野が植物画を描いた「牧野日本植物図鑑」に後年彩色したもの。
膨大な植物画を多くの協力者の手で彩色したため、その技量差により仕上がりにムラがあるのが残念でした。
細部にまでこだわり、妥協を許さなかった牧野が存命ならこの完成度では出版を許さなかっただろうと思いました。
それに比べ今回の図譜は牧野が最後まで目を通して完成させた原色図譜ですから、美しい仕上がりが期待できます。
コメントではわからなかったので、他のHPで調べてわかったことは次の通りです。
・本書は日本で初めての原色の高山植物図譜(図鑑)であること。
・本書の図版は石版で200点余りが収録されていること。(2巻合計400点余り)
どうやら牧野監修の原色石版画が200点余りも掲載されているらしい・・・。
これは何としても手に入れてじっくり鑑賞したいと思い、頑張って落札しました。
そして到着。
手にした本書は107年前のものにしてはとても保存状態がよく、表紙のスレ以外に大きな傷みはありませんでした。
図版は見開き1枚(190mm×175mm)に6種の高山植物が描かれ、解説ページの間に貼り付けられていました。
図版は全部で35枚ありましたので、35枚×4~7種/枚=200種が掲載されていました。
一部色ズレしている図もありましたが、全体的には丁寧で美しい仕上がり。
ページをめくりながらため息が出るほど満足しました。
美しい博物図譜を鑑賞する、という目的はこうして見事達成されました。
どなたかのブログに、傷みのひどい本書がバラバラにされ、植物画として販売されていたことが書かれていました。
額装に耐える美しい仕上がりですので、良いアイデアだと思いました。
牧野自身植物細密画の達人であり、石版技術も修得しており、なおかつ妥協を許さない人物だったと伝わっています。
そんな彼のこだわりにより仕上げられた本書だからこそ、100年を超えた今でも植物画集としても鑑賞できる美しい一冊になったのだと思います。
困難を乗り越え本物を追い求めるその生涯は、私の敬愛する竹鶴政孝と重なりました。
(おまけその1)
本書の前書きには、三好学博士が自分は本書の制作を提案しただけで、牧野が自身の保持する押し花標本から高山植物を選定し、植物画に堪能な画家に写生させて完成させたと書いています。
また牧野のコメントには、高山植物の大部分を収録したが、もし重要な種類が遺漏していた場合や、石版色彩が実物と異なる場合は後の版で補正すると書いています。
この言葉通り、翌年に訂正再版を発行しています。彼らしい仕事ぶりです。
(おまけその2)
牧野博士の生涯の紹介。
0歳 1862年(文久2年)土佐国高岡郡佐川村(現在の高知県高岡郡佐川町)に誕生
20歳 本格的な植物研究を始める
24歳 石版技術を習得
31歳 帝国大学理科大学助手となる
43歳 経済的に困窮し、米カーネギー財団に補助金を要請する
44歳 1906年(明治39年)日本高山植物図譜 第一巻を発行する
45歳 東京帝室博物館天産課嘱託となる
50歳 東京帝国大学理科大学講師となる
65歳 理学博士の学位を受ける
86歳 皇居に参内、昭和天皇に植物学を御進講する
89歳 第1回文化功労者となる
94歳 昭和天皇から病気見舞いのアイスクリームが届く
94歳 1958年(昭和32年)亡くなる
手仕事の美しさに魅せられて博物図譜を集めています。
先日ネットオークションで「日本高山植物図譜」という図鑑を見かけました。
オークションでの出品名称は次の通りでした。
「日本高山植物図譜 第一巻 三好学 明治39年 成美堂」
古い植物図譜なので銅版や石版の美しい原色図版が収録されているかもしれないと思い、出品サイトをのぞきました。
付属のコメントには表紙にスレや傷みがあることと、B6判であることだけが書かれていました。
次に写真を確認しました。
図版は見開きに6種類の高山植物が原色で描かれていました。
このページを見る限り、細部まで丁寧に描かれており、色のズレもありませんでした。
すべて原色図版なのか? 図版のページ数などは不明。
表紙はコメント通りスレて一部読めない文字がありましたが、「理学博士三好学 牧野富太郎 共撰」と書かれているように読めました。
牧野富太郎といえば独学で植物研究を極め、日本近代植物学の父と呼ばれ、植物細密画の名手としても有名です。
牧野の図鑑は美しい博物画を鑑賞するためには必携で、手元には「原色牧野日本植物大図鑑」があります。
これは牧野が植物画を描いた「牧野日本植物図鑑」に後年彩色したもの。
膨大な植物画を多くの協力者の手で彩色したため、その技量差により仕上がりにムラがあるのが残念でした。
細部にまでこだわり、妥協を許さなかった牧野が存命ならこの完成度では出版を許さなかっただろうと思いました。
それに比べ今回の図譜は牧野が最後まで目を通して完成させた原色図譜ですから、美しい仕上がりが期待できます。
コメントではわからなかったので、他のHPで調べてわかったことは次の通りです。
・本書は日本で初めての原色の高山植物図譜(図鑑)であること。
・本書の図版は石版で200点余りが収録されていること。(2巻合計400点余り)
どうやら牧野監修の原色石版画が200点余りも掲載されているらしい・・・。
これは何としても手に入れてじっくり鑑賞したいと思い、頑張って落札しました。
そして到着。
手にした本書は107年前のものにしてはとても保存状態がよく、表紙のスレ以外に大きな傷みはありませんでした。
図版は見開き1枚(190mm×175mm)に6種の高山植物が描かれ、解説ページの間に貼り付けられていました。
図版は全部で35枚ありましたので、35枚×4~7種/枚=200種が掲載されていました。
一部色ズレしている図もありましたが、全体的には丁寧で美しい仕上がり。
ページをめくりながらため息が出るほど満足しました。
美しい博物図譜を鑑賞する、という目的はこうして見事達成されました。
どなたかのブログに、傷みのひどい本書がバラバラにされ、植物画として販売されていたことが書かれていました。
額装に耐える美しい仕上がりですので、良いアイデアだと思いました。
牧野自身植物細密画の達人であり、石版技術も修得しており、なおかつ妥協を許さない人物だったと伝わっています。
そんな彼のこだわりにより仕上げられた本書だからこそ、100年を超えた今でも植物画集としても鑑賞できる美しい一冊になったのだと思います。
困難を乗り越え本物を追い求めるその生涯は、私の敬愛する竹鶴政孝と重なりました。
(おまけその1)
本書の前書きには、三好学博士が自分は本書の制作を提案しただけで、牧野が自身の保持する押し花標本から高山植物を選定し、植物画に堪能な画家に写生させて完成させたと書いています。
また牧野のコメントには、高山植物の大部分を収録したが、もし重要な種類が遺漏していた場合や、石版色彩が実物と異なる場合は後の版で補正すると書いています。
この言葉通り、翌年に訂正再版を発行しています。彼らしい仕事ぶりです。
(おまけその2)
牧野博士の生涯の紹介。
0歳 1862年(文久2年)土佐国高岡郡佐川村(現在の高知県高岡郡佐川町)に誕生
20歳 本格的な植物研究を始める
24歳 石版技術を習得
31歳 帝国大学理科大学助手となる
43歳 経済的に困窮し、米カーネギー財団に補助金を要請する
44歳 1906年(明治39年)日本高山植物図譜 第一巻を発行する
45歳 東京帝室博物館天産課嘱託となる
50歳 東京帝国大学理科大学講師となる
65歳 理学博士の学位を受ける
86歳 皇居に参内、昭和天皇に植物学を御進講する
89歳 第1回文化功労者となる
94歳 昭和天皇から病気見舞いのアイスクリームが届く
94歳 1958年(昭和32年)亡くなる
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