元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「空白」

2021-10-15 06:20:38 | 映画の感想(か行)
 世評は高いようだが、個人的にはとても評価出来ないシロモノだ。要するにこれは、無理筋の設定を限りなく積み上げて勝手に深刻ぶっているだけのシャシンである。さらに言えば、共感する登場人物がほとんどいない。もちろん、問題のある人間ばかりを集めてブラックなノリに持っていく手法もあり得るのだが、本作はどうも中途半端。特に終盤の腰砕けの展開には、タメ息しか出ない。

 愛知県蒲郡市で小さなスーパーマーケットを経営する青柳直人は、ある日女子中学生が化粧品を万引きする現場を目撃する。彼女を事務所まで引っ張っていく直人だが、スキを突いて彼女は逃走。彼は追いかけるが、その途中で彼女は道を横断しようとして交通事故に遭い死亡する。女子中学生の父親の添田充は、娘の花音が死んだのは直人のせいだと断定し、執拗に彼を付け狙う。さらに、充の抗議の矛先は学校やマスコミにも向かい、事件を面白がるネット民も煽り立てる中、事態は思わぬ方向へと展開していく。



 まず、スーパーの対応は明らかにおかしい。普通ならば防犯カメラの映像を見せて相手を問い詰めるところだが、予算の関係でカメラは設置していないという。そもそも、質問も無しにいきなり手首を掴んで事務所に連れ込み、相手に逃げられたら全力疾走で後を追うというのは、明らかに失態だろう。逃げた中学生も、交通量の多い道路に飛び出せばどうなるかは分かりそうなものだ。

 充は漁師だが、絵に描いたようなパワハラ野郎で、とうの昔に女房には逃げられている。ところが、なぜか花音の親権は手に入れているのだ。別れた妻はメンタルに問題があったらしいが、だからといって、家裁が横暴な充に娘の面倒を見られると判断した理由は不明である。マスコミの描き方は酷いもので、いくらマスコミ人種が横着とはいえ、あんな配慮を欠いた取材が許されるわけが無いだろう。現実の話ならば、直ちに訴訟ものだ。

 不思議なのは、この映画では当事者たちが右往左往するばかりで、警察その他の第三者がまるで介入してこないことだ。事故に関する刑事案件はどうなったのか、どうして誰も弁護士などの専門家の助言を得ようとしないのか、何も説明が無い。直人に何かとちょっかいを出すスーパーの女子従業員は鬱陶しく、充の“子分”である若造が、いくら邪険にされても充から離れようとしないのはおかしい。まさに“悲劇のための悲劇”というか、為にするような作劇の連続で、観ていて面倒くさくなってくる。

 さらには痛々しい人物たちの跳梁跋扈をみせられた後、ラスト近くになるとガラリと作品のカラーが変わってくるのだから、呆れてものも言えない。吉田恵輔の演出は力があるとは言えるが、彼自身が担当した脚本がどうしようもないので、全体的に空回りしている。主演の古田新太と松坂桃李をはじめ、藤原季節に趣里、片岡礼子、寺島しのぶなど悪くない面子を揃えているだけに、何とも割り切れない気分だ。
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「アナザーラウンド」

2021-10-11 06:26:21 | 映画の感想(あ行)

 (原題:DRUK)人を食ったような題材だが、観終わってみれば人生の機微を余すことなく伝える良作であったことが分かる。特に、中年以降の“アイデンティティの危機”に見舞われて道に迷っているような層に対しては、かなりアピール度が高い。第93回米アカデミー賞において、デンマーク代表として国際長編映画賞を受賞した注目作だ。

 コペンハーゲンのウォーターフロントエリアに住む高校の歴史教師のマーティンは、妻とはすれ違いの生活を送り、子供たちとも上手くコミュニケーションを取れない。そのため授業にも身が入らず、鬱屈した日々を送っていた。ある時、彼は友人の誕生パーティーの席で“血中アルコール濃度を0.05%程度に保つと、仕事の効率が良くなり想像力がみなぎる”というノルウェー人の哲学者が提唱した説を聞き、同じく冴えない教師仲間の3人とその理論を“実証”することを決める。

 次の日から彼らは朝から酒を飲み続け、酔っぱらった状態で授業に出ると、なぜか生徒のウケが良くなり、楽しく仕事をすることが出来た。気を良くした彼らはさらに飲酒に勤しむが、やがてブレーキが利かなくなり、取り返しのつかないトラブルに見舞われる。

 しょせん酒なんてものは、ただの嗜好品で気分転換やリラックス効果をもたらすものでしかない。しかも、飲み過ぎると確実に良くないことが起きる。ならば主人公たちの行動はただの現実逃避かというと、そうでもないところが悩ましい(苦笑)。彼らは飲酒によって、何かを会得したのだ。

 それは時に自身を滅ぼす一歩手前まで直面させられたり、実際に破滅していくケースもあったのだが、酒の力を借りて本音をさらけ出し、周囲との関係性が新たなフェーズに移行していったのは確かだ。もちろん、酒を飲まないと言いたいことも言えないのは褒められたことではない。だが、ギリギリまで追い込まれないと自己主張もできないのは、つまり年齢を重ねて社会のしがらみに絡め取られた結果であり、一概に否定されるようなことではない。主人公たちにとってその“ギリギリに追い込まれた状態”というのが、たまたま過度の飲酒であっただけの話だ。

 このホロ苦い人生模様をシビアに描くトマス・ヴィンターベア監督の手腕は、評価されて良い。主演のマッツ・ミケルセンは相変わらずの芸達者で、ショボくれた中年男ながらどこか色気のある主人公像を上手く表現している。また、得意のダンスまで披露してくれたのは嬉しい。トマス・ボー・ラーセンにマグナス・ミラン、ラース・ランゼ、マリア・ボネビーといった脇の面子も万全。それにしても、デンマークでは16歳から飲酒が許されるとかで、高校生が飲んだくれている様子も映し出されるのは驚いた(笑)。
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「スイング・ステート」

2021-10-10 06:58:20 | 映画の感想(さ行)
 (原題:IRRESISTIBLE)題材は面白い。しかし、映画は面白くない。もっとも、アメリカ人が観れば楽しめるのかもしれない。際どいジョークの連発は、あちらの観客を喜ばせること間違いなしだろう。でも、我々ヨソの国の者にとっては関係ない。さらに言えば、本作の展開はかなり平板で盛り上がりに欠ける。結果的に、観ている間は眠気との戦いに終始してしまった。

 2016年のアメリカ大統領選挙での敗北を境に、民主党の選挙参謀ゲイリー・ジマーは失意の中にあった。そんな時、スタッフが持って来たウィスコンシン州の田舎町ディアラーケンでの住民集会で熱弁を振るう中年男の動画を視聴した彼は、一気に目の色が変わる。農村部の票を取り戻す切っ掛けになると信じたゲイリーは意気揚々と現地に乗り込み、くだんの男である退役軍人ジャック・ヘイスティングス大佐を来るべき町長選挙に民主党候補として立候補させる了解を取り付ける。



 さっそく大佐の娘ダイアナや住民のボランティアたちと選挙事務所を立ち上げる彼だが、対立候補の現役町長ブラウンに共和党の選挙参謀であるフェイス・ブルースターが荷担。事態は民主党対共和党の、巨額を投じた代理戦争の様相を呈してくる。

 ディアラーケンは軍基地が撤廃されてから人口が大幅に減り、財政危機で破綻寸前だ。めぼしい産業も無い、ラストベルトの代表みたいな土地である。そんな町で二大政党のバトルが巻き起こるという構図は、なるほどナンセンスで興味を惹かれる。実はこの珍事の裏には思いがけない“真相”が隠されていたというオチも、まあ悪くないだろう。

 しかし、日本人としては笑えない内輪のギャグの連発と起伏に欠けるストーリーが、鑑賞意欲をかなり阻害する。ジョン・スチュワートの演出は手ぬるく、メリハリに欠ける。聞けばこの監督は本来バラエティ番組を手掛けていたプロデューサー兼コメディアンとのことで、本作を観る限り映画向けの人材ではないことは確かだ。主演のスティーヴ・カレルは“お笑い系”であることは承知していたものの、ここでは微妙なくすぐりに終始していて感心しない。

 クリス・クーパーにマッケンジー・デイヴィス、ナターシャ・リオン、ローズ・バーンといった面々は良くやっているとは思うが、コメディらしい真にハジけたようなパフォーマンスは見られなかった。ブライス・デスナーの音楽はあまり印象に残らないが、ラジオから流れる昔のポップスには心惹かれるものがある。特にグレン・キャンベルの「ラインストーン・カウボーイ」は懐かしく思えた。
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NmodeのCDプレーヤーを購入した(その2)。

2021-10-09 06:59:16 | プア・オーディオへの招待
 先日購入した新しいCDプレーヤー、NmodeのX-CD3は、音質は優秀ながら使い勝手に関しては留意点が少なくない。まず、前のアーティクルでも述べたが、バランス出力が無いことである。つまりはXLRケーブルが使えない。音質が良いと言われるバランス接続が不可である点は、マニアにとっては納得出来ないかもしれない。

 本機は幅が21cmのハーフサイズで、パッと見た感じはミニコンポの構成品だ。トレイの材質も上等ではない。しかしながら、言い換えると寸法が小さいからこそ高音質を実現したとも考えられる。内部配線が短くて済む分、音の劣化が抑えられているのかもしれない(もちろん、真相は分からないが ^^;)。



 事実、Nmodeは最近はハーフサイズのモデルが目立ち、フルサイズはプリメインアンプのX-PM7MKIIぐらいしかない。小振りな筐体でこれだけ良いものが出来ると、大きいサイズでの音質の練り上げが難しくなっているのかもしれない。

 そして、最大の懸念材料がリモコンである。実に簡易なものだが、困ったことにテンキーが無い。任意の曲目を選ぼうとすると、スキップキーを曲順の数だけ連打しなければならないのだ。曲数がやたら多いディスクを再生する際は不便であり、もうちょっと何とかならなかったのかと思う。

 さらに、本機は電源がACアダプターだ。電源ケーブルの換装により音質アップを狙うという方法論は無効になる。もっとも、同社からはX-PS3というハーフサイズシリーズの音質を更に改善する電源システムもリリースされているのだが、けっこう値が張るので(定価は約9万円)、導入には二の足を踏む。他社から出ている電源アタッチメントの購入を検討すべきかもしれない。

 なお、この機器は新世代のハイレゾ音源と言われるMQA-CDが再生可能だ。このタイプのディスクはまだ所有していないが、機会があれば購入するかもしれない。もっとも、通常CDでこれだけクォリティの高い再生音を聴かせているので、別仕様のソフトを買う必要があるのかどうか疑問ではある。



 結論としては、X-CD3は見た目と多機能と使い勝手の良さを重要視するユーザーには向かない商品かと思う。だが、音質だけに着目すれば、倍のプライスタグが付いていても全くおかしくない内容だ。また、本機はメイド・イン・ジャパンである。国内製造だから良いとは限らないが、上級機種でも中国をはじめとするアジア諸国に製造を任せているメーカーも珍しくない昨今、貴重ではある。

 今のところ、アンプとの接続に使っているRCAケーブルは手持ちのグッズの中からMOGAMIの2534をチョイスしているが、久々に新たに別のRCAケーブルを調達してみたくなった。何やら“電線病”が再発しそうで、実に気になるところだ(苦笑)。

(この項おわり)
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NmodeのCDプレーヤーを購入した(その1)。

2021-10-08 06:20:31 | プア・オーディオへの招待
 保有していたCDプレーヤー、ROTELのRCD-1570は購入して7年以上になり、経年劣化の大きい回転メカとしてはさすがに動作に不安材料が出てくると思われたので、更改を決めた。しかし、ここで困ったことが発生。昨今のCD不況で、モデル数が極端に少なくなっている。しかも、10万円を超える機種は軒並みSACD兼用だ。

 私はSACDを所有しておらず今後も購入する気はない。だが、今や市場にはまともなCD専用機(特に30万円以下)はほとんど無いのだ。どうしたものかと思っていると、ショップのスタッフが奨めてくれたのがNmodeのX-CD3である(定価は16万8千円)。2020年11月に発売されたもので、新鋭モデルと言っても良い。また、同社の製品はプリメインアンプとD/Aコンバーター(DAC)を所持しており、信用のおけるブランドであることは確かだ。



 ところが、X-CD3は幅がわずか21cmのハーフサイズなのである。率直に言って、これはミニコンポと同じ寸法だ。幅40cm以上のフルサイズのCDプレーヤーしか使ったことが無かった私としては、導入に躊躇するところである。そもそも、使用しているアンプなどの他のコンポーネントがフルサイズであることを考えると、見た目がチグハグになることは避けがたい。

 それでも試聴の結果が良好だったこともあり、思い切って購入。特に、RCD-1570の後継機種であるRCD-1572との音質差が明らかだったことが決め手になった。さて、自宅のリスニングルームに持ち込んで既存のシステムと結線し音を出してみると、これがけっこう驚く事態になってしまった。

 前に使っていたRCD-1570とは、まるで次元の違う音である。とにかく、情報量と解像度が聴感上で1.5倍(?)ぐらいアップしている。レンジは広く、特定帯域での不自然な強調感は無い。それでいて躍動感や生々しさも十分表現されている。これは優れものだ。



 特筆すべきは、保有している同社のDACのX-DU1(定価9万円)を経由した音よりも、X-CD3から直接アンプに繋いだ方が音が良い(ように思える)ことだ。つまりは、X-CD3に内蔵されているDACはX-DU1と同等かそれ以上の性能を持っていることである。しかも、X-DU1からはXLRケーブルで(音質面で有利と言われる)バランス接続しているのに対し、X-CD3はアンバランス出力しかないので普通のRCAケーブルで繋げているにも関わらずである。

 このサウンドが20万円を大きく下回る価格で手に入るのは、かなりのお買い得商品と言って良いと思う。この機種より上質な音を出すCD専用機を探そうとするならば、ACCUPHASE社の40万円クラスのモデルになるのではないか(まあ、すべてのCD専用機を聴き比べたわけではないので断言は出来ないが ^^;)。

 ただし、X-CD3は使い勝手の面では万全とは言えない。そのことに関しては次のアーティクルで述べたいと思う。

(この項つづく)
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「沈黙のレジスタンス ユダヤ孤児を救った芸術家」

2021-10-04 06:25:22 | 映画の感想(た行)
 (原題:RESISTANCE)稀代のパントマイム役者であったマルセル・マルソーが、第二次大戦中にはレジスタンスに参加し、ユダヤ人の孤児たちを多数国外に逃したという事実を、本作を観て初めて知った。まさに“人に歴史あり”といったところだが、残念ながら映画自体の出来はよろしくない。作劇の焦点が絞り込まれておらず、チグハグな印象を受ける。脚本の見直しが必要だったと思う。

 1938年、フランスのストラスブールに住む青年マルセルは、ショービジネスの世界に進むことを目指して日々クラブの舞台に立っていたが、一方で兄アランや従兄弟のジョルジュ、恋人のエマらと共に、ナチスに親を殺されたユダヤ人の子供たちの世話をするという社会活動に参加していた。1942年なるとドイツ軍がフランス全土を占領し、彼らの身にも危険が迫ってくる。レジスタンスの拠点であるリヨンに移動するが、そこも危なくなり、マルセルは子供たちを中立国のスイスへ逃がすために危険なアルプス越えに挑む。

 マルセルは得意のパントマイムで子供たちの心を掴むという設定なのだが、困ったことにパフォーマンスが低調だ。演じるジェシー・アイゼンバーグは頑張っていたとは思うが、観る者を納得させるレベルにはとても達していない。マルソーは戦後間もなく頭角を現したので、戦時中にはすでに高いスキルを会得していたはずだが、ここではその片鱗も見えない。

 序盤に終戦直後にパットン将軍が催すイベントに招かれたことが示されるが、マルソーが堪能な英語力でジョージ・パットンの部隊の渉外係として働いていたことも映画では紹介されず、唐突な印象を受ける。反面、子供たちを連れてのナチスからの逃避行には大きく時間が割に当てられている。これはこれで良く出来てはいるのだが、パントマイムの達人であったマルセルが関与したことを取り上げる意味をあまり見出せなかった。

 彼の芸術に対するスタンスを前面に出さなければ、映画として描く意味がない。これでは別に彼でなくても、他の誰かでも良かったのではないかと思ってしまう。脚本も担当したジョナタン・ヤクボウィッツの演出はサスペンスの醸成やナチスの非道ぶりに関しては及第点だが、主人公の造型については評価出来ない。

 アイゼンバーグをはじめクレマンス・ポエジー、マティアス・シュバイクホファー、フェリックス・モアティ、そしてエド・ハリスなど、キャストは皆好演。ただし、舞台がフランスなのにセリフが英語で、なぜかナチスだけはちゃんとドイツ語を話しているというのは、明らかにヘンである(笑)。
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「先生、私の隣に座っていただけませんか?」

2021-10-03 06:56:52 | 映画の感想(さ行)
 演技の下手な役者は一人も出ていないし、当然彼らのパフォーマンス自体には問題は無い。しかしながら、話は全然面白くない。ただの思い付き程度で書き飛ばしたような脚本を、求心力に欠ける演出がトレースしているだけのように感じる。映画館で公開するより、テレビの単発ドラマとして夜10時以降にオンエアするぐらいで丁度良い。

 漫画家の早川佐和子は、連載中の作品の最終回をやっと描き上げたところだ。その夫の俊夫も以前は名の知られたコミック作家だったが、彼は数年前からスランプに陥っており、今は佐和子の作画を手伝うのみである。実は俊夫は出版社の女子社員の千佳と浮気しているのだが、佐和子はそれに気付いていた。

 ある日、佐和子の母親が足をケガしたという知らせが入る。一人暮らしの母親をケガが完治するまでケアするという名目で、佐和子と俊夫は彼女の実家がある茨城県の地方都市に夏の間に住むことになる。佐和子は長年の懸案だった自動車運転免許を取るため県内の教習所に通い始めるが、若くハンサムな担当教官の新谷に心惹かれるようになる。そして何と、それをネタに新作を描き始めるのだった。

 ヒロインが旦那の浮気の仕返しに自分も不倫に走り、それを漫画にするというアイデアは悪くない。だが、俊夫はそんな事態に対してオロオロしているだけというのは情けない。自分も漫画家ならば、どうして言いたいことを漫画にして張り合わないのか。互いの漫画が交錯し、やがて現実とフィクションとの境目が曖昧になって異様な世界に突入するという展開になれば映画的興趣は大いに高まったところだが、本作の送り手にはそこまで思い切ることは出来なかったようだ。

 中盤では佐和子が突然失踪するというネタが披露されるが、これは“真相”がスグに分かるので盛り上がらない。終盤の扱いと幕切れも、まあ予想通りだ。そもそも、メジャー誌に連載を持っているという佐和子が俊夫以外にアシスタントを採用していないというのも変な話で、しかも住まいは安価な賃貸アパートだ。ひょっとして佐和子はあまり売れていないのかもしれないが、そのあたりの説明も無い。

 監督の堀江貴大の仕事ぶりは映画らしい仕掛けは見せず、テレビ的な展開に終始。主演の黒木華のパフォーマンスは、相変わらず見事だ。微妙な表情の動きで、登場人物の内面を浮き彫りにする。柄本佑の演技も悪くないし、金子大地に奈緒、風吹ジュンといった顔ぶれも申し分ない。だが、ストーリーが低調なので演技は映えない。ただ、平野礼のカメラによる映像は非凡だった。
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「ぼくのバラ色の人生」

2021-10-02 06:58:15 | 映画の感想(は行)
 (原題:Ma vie en rose)98年作品。正直言って、あまり釈然としない出来である。しかしながら、今からほんの20年ぐらい前には、LGBTQに対する理解がこれほどまでに浸透していなかったという事実を知るだけでも、存在価値のある映画だ。しかも、同性婚がアメリカより早く認められたフランスの話である(2013年5月に承認)。世の中のトレンドは急速に移りゆくものであるという、事実認識を新たにした。

 7歳の男の子リュドヴィックことリュドの夢は、女の子として生きることだ。女物のドレスを着て人前に出たり、人形などファンシーなものが大好きだ。そして、父親の上司の息子ジェロームと結婚することを勝手に決めている。そんなリュドを両親は何とか理解するように努め、周囲の奇異な視線から彼を守り抜こうとする。しかし状況は日々悪化し、一家は次第に孤立するようになる。



 とにかく、異分子に対する無理解と指弾が地域ぐるみで行われていることにゾッとする。さらに、いつの間にか全ての責任はリュド一人にあるような案配になっていき、あれだけ仲の良かった親や姉も彼に辛く当たるようになっていく。まさに一点の救いも無く、リュドの受難は続くのだ。だが、これだけの逆境にありながらリュドがさほど精神的に参っているように見えないのは、どうも腑に落ちない。

 祖母が何とか彼の支えになったり、幻想の世界で遊ぶことを覚えたりと、確かに“安全弁”のようなモチーフはあるのだが、それだけでは7歳の子供にとって乗り越えられるものではない。いつか暴走して取り返しの付かないことが起こって当然だと思うのだが、映画はあくまでリュドに気丈に振る舞わせる。これはひょっとして、作者はLGBTQなんて深く突っ込むに値しないネタだと思っているのかもしれない。ただそれは今だから言えることで、当時の認識なんてその程度のものだったと想像する。

 アラン・ベルリネールの演出はポップなタッチだが、内容が重いのでチグハグに見える。だた、88分という短い尺なのであまりストレスを感じることは無い。リュド役のジョルジャ・デ・フレネは好演。ジャン=フィリップ・エコフェにミシェル・ラロック、エレーヌ・ヴァンサンという顔ぶれも悪くない。イヴ・カープの撮影とドミニク・ダルカンの音楽は及第点だ。
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「シャン・チー テン・リングスの伝説」

2021-10-01 06:24:11 | 映画の感想(さ行)
 (原題:SHANG-CHI AND THE LEGEND OF THE TEN RINGS )まず、主人公を演じるシム・リウとかいう俳優がダメだ。どう見てもヒーロー物の主役とは思えない、かなり難のある御面相。このキャスティングだけで鑑賞意欲が9割ほど減退した(笑)。しかも彼の父親として出演しているのはトニー・レオンという、中華圏きっての二枚目だ。いったいどこでどう間違えば、トニー・レオンの息子がこんなにパッとしない野郎になるのか、まるで意味不明である。

 ミラクルなパワーを秘めた“テン・リングス”を手に入れた中世の武人ウェンウーは、不老不死の肉体を得ると共に現代に至るまで歴史の裏で暗躍する犯罪組織を作り上げる。その息子シャン・チーは幼い頃から最強の暗殺者になるため激しい訓練を受けていたが、父の態度に疑問を感じた彼は家出し、サンフランシスコで平凡なホテルマンのショーンとして暮らしていた。ところがある日、ウェンウーの放った殺し屋たちが襲い掛かってくる。何とか難を逃れたシャン・チーだったが、やがて父親の“ある企み”を知り、友人のケイティと連れ立って中国に渡る。

 マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)の新展開と位置付けられる一作だ。シム・リウは見た目がアレだが運動能力は高く、格闘シーンはソツなくこなす。前半の、サンフランシスコの市街地で展開するバスの中での大立ち回りとカーアクションは、かなり盛り上がる。過去に幾度も映画のカーチェイスの舞台になったこの町がバックになっているのも感慨深い。

 しかし、中盤以降は完全に失速。どこかで観たような場面が続き、中国奥地の謎の村が前面に出てくるようになるパートは、過去のファンタジー映画の焼き直しのようだ。クライマックスに至っては怪獣映画に移行し、MCUの中にあっては場違いである。そもそも、人里離れた中国の辺境の地でいくら大々的なバトルが巻き起ころうとも、(映画の中での)一般ピープルにとっては関係の無い話で、インパクト皆無の絵空事だ。デスティン・ダニエル・クレットンの演出は、単に“脚本通りにやりました”というレベルでしかない。

 トニー・レオンはさすがに存在感はあったが、東アジアの男前役者はハリウッドでは悪役を担当することが多いのかもしれない。困ったのはケイティに扮するオークワフィナで、シム・リウを上回る残念な容姿。さらには主人公の妹を演じるメンガー・チャンも、ちっとも美人ではない。どう考えても“不細工でなければならない役柄”ではないのに、ヒーロー物の賑々しさとは対極にあるような人選だ。こういう面々が今後MCUに継続出演することを考えると、思わずタメ息が出てくる。
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