元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「FOUJITA」

2015-12-14 06:25:38 | 映画の感想(英数)
 ハッキリ言ってカス。映画として何も描けていないし、そもそも描こうとする意志があるのかどうかも疑わしい。かつては「泥の河」(81年)や「死の棘」(90年)といった秀作を手掛けた小栗康平監督も、今や“ひょっとしたら認知症に罹患しているのではないか”と思わせるほどの衰えを見せ、寂しい限りだ。

 画家の藤田嗣治は27歳で単身渡仏。たちまち頭角をあらわし、モディリアーニやスーチンら当時の有名アーティスト達と親交を結びながら制作に励む。女性関係の方も華やかで、結婚と離婚を幾度となく繰り返す。やがて第二次世界大戦が始まると、ドイツ軍がパリに侵攻する前に日本へ帰国。今度は数多くの戦争協力画を描き、日本美術界の重鎮として名を馳せる。5回目の結婚をした後、疎開先の東北の寒村で敗戦を迎える。

 藤田嗣治はエコール・ド・パリのピカソやルソー、キスリングからも一目置かれたアーティストとされている。ならばその鬼才ぶりをスクリーン上に活写しなければならないが、本作はそのような素振りを全く見せない。もちろん“あえて描かない”というやり方もあるが、その場合は“描かない”ことが“別の何か”を浮き上がらせる手段になるのが定石だ。しかし、この映画にはそれも無い。

 藤田は漫然とパリに渡り、漫然と絵を描いて、漫然と帰国して、また漫然と絵を描いたという、そんな漫然とした筋書きしか提示されていないのだ。いったい、何のためにこの映画を撮ったのだろうか。

 パリを舞台にしたパートは非常にぎこちない。俳優の動かし方やセリフ回し、画面の切り取り方、シークエンスの並べ方、いずれも違和感が横溢している。これはいわば欧米のスタッフが日本を舞台に映画を撮った時のような居心地の悪さと似たようなものだ。ならば藤田の帰国後のエピソードはどうかというと、これまたヒドいものである。紋切り型の登場人物たちが紋切り型のセリフを吐き、藤田は所在無く突っ立っているだけ。

 戦争に対する批判めいたモチーフも散見されるが、断片的かつ思わせぶりで何ら観る者に迫ってくるものは無い。その代わりに目立つのが、主人公の心象風景みたいな幻想的な場面の数々。ところがこれもイマジネーションのかけらもなく、安っぽい特殊効果も相まって盛り下がるばかりだ。

 戦後藤田はフランスに舞い戻り、最終的には日本と縁を切るのだが、映画はそれに至る葛藤などにはまるで言及していない。戦時中における厭戦感(らしきもの)に丸投げしているようだ。何度でも言うが、いったい何のためにこの映画を撮ったのだろうか。

 主演のオダギリジョーをはじめ中谷美紀、岸部一徳、井川比佐志など、皆まるで精彩がない。外国人キャストに至っては論外だ。鑑賞後の徒労感は相当なもので、存在価値は無いと断言できる。
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「星くず兄弟の伝説」

2015-12-13 06:32:32 | 映画の感想(は行)
 85年作品。デタラメな映画だが、今思うと突き抜けた明るさと天衣無縫な作劇が妙に記憶に残っている。まさしくこの時代にしか作れなかった、ライトな和製ロックミュージカルだ。現在ではこういう企画にカネを出すプロデューサーなんか存在しないだろう。

 20世紀も最後を迎えていた頃のナイトクラブ“魚の目”に出演している“スターダスト・ブラザーズ”は、デビュー当時のことを思い出していた。喧嘩っ早いが気は良いシンゴと、カッコつけているが実は性根の優しいカンは、もともと張り合っていたライバル同士だった。この二人をスカウトしたのが、大物プロデューサーのアトミック南である。



 彼の事務所を訪れた二人はアイドル歌手のマリモと出会って心をときめかせるが、南の強引な売り込み戦術によって激務を強いられる彼らに色恋沙汰は縁が無い。やがてシンゴとカンは人気スターになるが、増長しすぎて失速。マリモの方が売れるようになる。そんなとき南は、ある有力政治家の息子であるカオルをデビューさせる仕事を引き受ける。カオルもすぐに人気者になるが、陰険な性格の彼はマリモを我が物にしようとする。シンゴとカンは彼女を助けるべく奔走するのだった。

 原案は近田春夫で、彼の頭の中にあったアイデアを映像化したのが手塚眞。音楽も近田が担当しており、プロデューサーに当時20代だった一瀬隆重も名を連ねる。キッチュでポップな舞台セットの中で、脳天気な登場人物達が、これまた脳天気な歌を延々と披露するという、まさに脳天気な作品だ。

 ストーリーはあって無いようなもので、とにかく軽いノリで楽しめればいいという、作者の開き直りが全編に渡って横溢している。こういう“ノリがすべて”といったタイプのシャシンは、現在でも無いことは無い・・・・のかもしれないが、本作が印象的なのは、雰囲気がリッチで余裕があるのだ。そもそも、マニア御用達のミュージシャンであった近田の“妄想”に過ぎないプランを映画化するにあたって、何のためらいも無くカネを出してくれるスポンサーが少なからずいたという事実は、今では考えられない。

 主演の久保田慎吾と高木完は演技は大したことはないけど調子が良く、マリモ役の戸川京子は可愛い(彼女は若くして世を去ってしまったのが残念だ)。南に扮する尾崎紀世彦のカリスマ性とパワフルな歌声には感心する。他にもミュージシャンや漫画家・イラストレーター、小説家・放送作家、コピーライターに映画監督にプロダンサーと、各方面の有名人が大挙して出演しているのは圧巻で、バブル前夜の狂騒ぶりを如実に示していると言えよう。
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「赤い玉、」

2015-12-12 13:29:48 | 映画の感想(あ行)

 オヤジの妄想が炸裂で、苦笑してしまった。ただし、映画として面白いかというと、そうでもない。ポジティヴな部分が希薄な侘びしい話だし、かといって主人公の惨めさや悩みをリアリズムで追い込んでもいない。何とも中途半端な出来なのだ。

 京都にある芸術大学で映画撮影の教鞭を執る時田修次は、昔は高く評価される作品をいくつも手掛けていた映画監督だ。しかし、最近では本業での仕事が無く、年のせいかシナリオのアイデアも湧いてこない。私生活では大分前に妻と別れ、大学の助手である唯と暮らしている。ある日、彼のインスピレーションを大いに刺激する女子高生・律子が時田の前に現れる。それからというもの、彼は恥ずかしげも無くストーカー行為に走り、いつか彼女と一緒に寝ることを夢見て強壮剤にまで手を出すようになる。一方、教え子達の映画製作は上手く進まず、時田は苛立つばかりだった。

 何となく前に観た「Re:LIFE リライフ」と似たような設定だが、こちらは全然明るくない。まあ、年甲斐も無く若い女にのめり込む主人公の気持ちは分かる。ただし、時田はすでに自分より随分年下の交際相手がいて、新作のオファーも来ているようだ(尊大な態度で断ってしまうが)。端から見れば“いい気なものだ”としか思えない。

 律子に対してよからぬ想像をするくだりがあるが、その心象風景たるや観ていて気恥ずかしいほど下世話で安っぽい。オヤジのイマジネーションというのは“この程度”のものなのか(呆)。時田は自身の行動を脚本化しようとするが、それは「Re:LIFE リライフ」の主人公のシナリオ執筆の動機とは比べようも無い“やっつけ仕事”としか思えない。これでは学生から軽く見られるのも当然だ。 演じる奥田瑛二が頑張れば頑張るほど、主人公の中身の無さが強調されるのは皮肉である。

 それにしても(唯に扮する不二子は別だが)律子役の村上由規乃や学生製作映画のヒロインを演じる土居志央梨などの容貌が、悪い意味で“昭和っぽい(垢抜けない)”というのが気になる。高橋伴明監督はこういうのが好きなのだろうか。そういえば映画のタイトルの意味も露骨で捻りが無く、古臭さだけが漂ってくる。

 それでも2箇所だけ共感出来る場面があった。それはまず、時田が仕事場に届けられた試写会の案内状の束をゴミ箱に放り込むくだりだ。映画は入場料を払って観るものだという、カツドウ屋の心意気が少しは垣間見えた。もう一つは、学生達の映画撮影が直截的な描写を避け、雰囲気だけでお茶を濁そうとして、時田がそれを批判するところ。昨今の微温的な若者向け映画に対する抗議のようにも思えて、ここはベテランの意地を示したというところだろうか。
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「Re:LIFE リライフ」

2015-12-03 06:29:27 | 映画の感想(英数)

 (原題:The Rewrite )中年男女を主人公にした、気の利いたラブコメディだ。御膳立てや筋書きは申し分なく、キャストも万全。しかも手練れの映画ファンの琴線にも触れるモチーフが満載で、最後まで飽きずに楽しむことが出来る。

 その昔アカデミー賞を取ったこともある脚本家のキースは、近年スランプに陥っていて仕事が来ない。ついには光熱費も払えない状況に追い込まれ、知り合いのプロデューサーが紹介してくれた大学講師の仕事を受けざるを得なくなる。勤務地はニューヨークの近くのビンガムトンという田舎町にある公立大学で、そこでシナリオ作成の講義を担当することになるが、もとよりチャラくていい加減な性格のキースは仕事に身が入らない。引っ越し早々、脚本コース志望の女の子を引っかけたのをはじめ、クラスの受講者も可愛い女子ばかりを選び、あとは申し訳程度に御しやすそうな男子2人を入れるという、チャランポランな態度に終始。果ては歓迎パーティでセクハラ発言を連発し、お局教授に目の敵にされてしまう。

 そんな中、シングルマザーの大学生ホリーがクラス参加を強く求めてくるので、キースは仕方なく彼女の受講を許可する。ところが意外にもホリーは出来た女性で、何かとキースを手助けし、町の案内もしてくれる。2人の小学生の娘を抱えて大学の購買部で仕事をしながら授業を受ける健気な彼女に、キースは次第に心が傾いてくる。そしてそれは彼の生活態度にも良い影響を与えるようになってくるのだった。

 言動に問題がある者が、理想的な相手にめぐり遭って、本来の善良な部分を出してくるというパターンは約束通りだが、マーク・ローレンスの演出(兼脚本)は無理筋なところが見当たらず、実にスムーズ。センセーショナルに走りがちな場面は無く、適度なユーモアを交えて、テンポ良く見せきっている。

 面白かったのは、講義の中で触れられる脚本の練り上げ方だ。キースがかつて高評価されたシナリオは最初から構えて書いたものではなく、生活の中で自身の体験に基づき、必然性に突き動かされて仕上げたものである。小手先のテクニックだけでは、決して万人を納得させる映画の筋書きなんか作れるはずもない。

 ディズニーとタランティーノ、黒澤やベルイマンを同一レベルで扱えるはずもないが、いずれも強い純粋な動機付けでシナリオが書かれていることに関しては一緒だ。そんなことが授業の中で扱われ、またそれを教えることによってキースも初心を取り戻す過程が、分かりやすく示されている。

 キースに扮するヒュー・グラントは、軽薄な二枚目だが根は純情という彼の持ち味がうまく活かされた妙演を見せている。ホリーを演じるのがマリサ・トメイというのもポイントが高い。彼女の清濁併せ呑む鷹揚さがドラマに奥行きを与えている。また学科長のJ・K・シモンズが抜群のコメディ・リリーフだ。日照時間が短くドンヨリとした雰囲気のあったビンガムトンの町が、久々の晴天で輝かしい美しさを見せるラストと共に、気分良く劇場を後に出来る佳編だと言えよう。
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「ファイヤーフォックス」

2015-12-02 06:25:55 | 映画の感想(は行)
 (原題:Firefox )82年作品。クリント・イーストウッドの監督兼主演による映画で本当に面白いのは「ガントレット」(77年)ぐらいで、あとは凡作・駄作の山だ。本作の出来もあまりよろしくないのだが、中盤からイーストウッドの作品ではなくSFXスーパーヴァイザーのジョン・ダイクストラの映画になっているところが実に興味深い。その意味では観る価値のあるシャシンだ。

 冷戦下、西側諸国はソビエト連邦がそれまでの戦闘機を大きく上回る性能を持った新型機“ミグ31 ファイヤーフォックス”を開発したとの情報をキャッチする。これが実戦用に多数配備されると軍事バランスが崩れてしまう。今からこれに対抗する戦闘機の開発を始めても間に合わない。



 かくなる上はその技術を機体もろとも盗み出すしかなく、NATO司令部は元米空軍パイロットのミッチェル・ガントにその任務を与える。76年のベレンコ中尉亡命事件にヒントを得て書かれた、クレイグ・トーマスの同名小説の映画化だ。

 主人公が敵基地に侵入し、ミグ31を奪うまでの過程が上映時間のかなりの部分を占めるが、これが全然盛り上がらない。間延びした演出と不必要に暗い場面の連続。弱々しいアクションを見せるイーストウッド御大の仕事ぶりにも脱力する。観ているうちに眠くなってくるのだが、終盤近くに戦闘機を手に入れたミッチェルが晴れた大空に向かって飛び立っていくシークエンスでイッキに目が覚める。それまでの根暗な雰囲気を帳消しにするような、明るく闊達な展開に思わず身を乗り出してしまうのだ。

 海面近くを、水しぶきを高々と立てながら飛翔するファイヤーフォックスの勇姿。北極海の氷原を滑走路代わりにして潜水艦から給油を受けるくだり。敵ミサイルの攻撃を紙一重でかわして逆に相手にダメージを負わせるシーンなど、アイデアに満ちた活劇場面の連続だ。白眉はもう一機のミグ31とのドッグファイトで、ここで主人公がロシア語が堪能であるという設定が存分に活きてくる。

 余談だが、この映画が公開された年の夏興行においては、他にトビー・フーパー監督の「ポルターガイスト」とリドリー・スコット監督の「ブレードランナー」が公開されていた。つまりはダイクストラとリチャード・エドランド、ダグラス・トランブルという特撮御三家が揃い踏みだったわけで、今考えると随分贅沢なラインナップである(笑)。
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「恋人たち」

2015-12-01 07:06:55 | 映画の感想(か行)

 本年度の日本映画を代表する秀作だ。橋口亮輔監督・脚本による「ぐるりのこと。」以来7年ぶりの長編作品だが、その間に相当に悩んでいたことが窺えるような内容である。しかしながら、懊悩を克服したような力強さを携えてスクリーン上に復帰したこの作家の成長を見るようで、実に頼もしい。

 主人公は3人。通り魔によって妻を殺されたアツシは、何とか民事訴訟を起こそうと複数の弁護士に相談してみるのだが、時間と費用が無駄になるだけで事態はまったく進展しない。そのうち彼は何もかも投げ出したい心境になってくる。そりの合わない姑と自分に無関心な夫と暮らす主婦・瞳子は、家にいても職場の総菜屋でも気分の晴れない生活を送っている。エリート弁護士の四ノ宮は同性愛者である。交際相手はいるが、本当に好きなのは既婚者である昔からの友人だ。

 彼らの人生が交わることはほとんど無いが、大いなる屈託を抱えていることでは共通している。特に深刻な事態に直面しているのはアツシだ。人付き合いが苦手な彼を唯一受け入れてくれたのが妻だった。妻がいなくなってからは橋梁点検の仕事にも身が入らず、何も出来ない男になってしまった。

 瞳子は人生を諦めたような日々を送っていたが、ある時ひょんなことから恋に落ちる。相手の男は実に胡散臭いが、それまでの退屈な生活を変えてくれるような危険な魅力を感じてしまう。四ノ宮は自身のつまらないプライドのために、友人や仲間を失ってゆく。加えて顧客からは勝手な言い分を毎日聞かされ、ストレスが溜まるばかりだ。

 3人は確かに愚かである。しかし、観ている側に“こんな愚かなキャラクターは自分とは関係ない”などとは決して思わせない。なぜなら登場人物を取り巻くリアルな空気の描出が、並々ならぬレベルまで高められているからだ。ちょっとした偏見や小さな悪意が人の心をズタズタにしていく様子が、容赦ないタッチで提示される。この鮮烈さ。

 さらに本作の優れた部分は、橋梁をハンマーで叩いて外見からは分からない内部構造を確かめるアツシの行為のように、攻撃性で武装された人間の心の奥底にあるピュアな箇所をひとつひとつ探り当てるプロセスを、実に丁寧に追っていることだ。

 彼らがいかに自身の置かれた状況に折り合いを付けて、人生に向き合っていくのか。“前向きに生きる”なんて、言葉に出すのは容易い。ポジティヴになっているつもりが、実は全然そうじゃないことだってある。逆境ばかりの世の中で、七転八倒しながら何とか進もうとする彼らのレアな姿は、心を揺さぶらせずにはいられない。

 主演の篠原篤と成嶋瞳子、池田良は無名の俳優だ。しかし、彼らに合わせた脚本構成を採用しているせいか、皆渾身の演技を見せる。光石研や安藤玉恵、木野花といった芸達者が脇を固めているが、中でもアツシをフォローする先輩社員を演じる黒田大輔のパフォーマンスは素晴らしい。こんな人物がどこの職場にもいてくれたら、もっと社会は良くなるはずだ。“明星”によるエンディングテーマと共に、鑑賞後の感触は極上である。橋口監督の次の仕事が楽しみだ。
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