元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「恋人たち」

2015-12-01 07:06:55 | 映画の感想(か行)

 本年度の日本映画を代表する秀作だ。橋口亮輔監督・脚本による「ぐるりのこと。」以来7年ぶりの長編作品だが、その間に相当に悩んでいたことが窺えるような内容である。しかしながら、懊悩を克服したような力強さを携えてスクリーン上に復帰したこの作家の成長を見るようで、実に頼もしい。

 主人公は3人。通り魔によって妻を殺されたアツシは、何とか民事訴訟を起こそうと複数の弁護士に相談してみるのだが、時間と費用が無駄になるだけで事態はまったく進展しない。そのうち彼は何もかも投げ出したい心境になってくる。そりの合わない姑と自分に無関心な夫と暮らす主婦・瞳子は、家にいても職場の総菜屋でも気分の晴れない生活を送っている。エリート弁護士の四ノ宮は同性愛者である。交際相手はいるが、本当に好きなのは既婚者である昔からの友人だ。

 彼らの人生が交わることはほとんど無いが、大いなる屈託を抱えていることでは共通している。特に深刻な事態に直面しているのはアツシだ。人付き合いが苦手な彼を唯一受け入れてくれたのが妻だった。妻がいなくなってからは橋梁点検の仕事にも身が入らず、何も出来ない男になってしまった。

 瞳子は人生を諦めたような日々を送っていたが、ある時ひょんなことから恋に落ちる。相手の男は実に胡散臭いが、それまでの退屈な生活を変えてくれるような危険な魅力を感じてしまう。四ノ宮は自身のつまらないプライドのために、友人や仲間を失ってゆく。加えて顧客からは勝手な言い分を毎日聞かされ、ストレスが溜まるばかりだ。

 3人は確かに愚かである。しかし、観ている側に“こんな愚かなキャラクターは自分とは関係ない”などとは決して思わせない。なぜなら登場人物を取り巻くリアルな空気の描出が、並々ならぬレベルまで高められているからだ。ちょっとした偏見や小さな悪意が人の心をズタズタにしていく様子が、容赦ないタッチで提示される。この鮮烈さ。

 さらに本作の優れた部分は、橋梁をハンマーで叩いて外見からは分からない内部構造を確かめるアツシの行為のように、攻撃性で武装された人間の心の奥底にあるピュアな箇所をひとつひとつ探り当てるプロセスを、実に丁寧に追っていることだ。

 彼らがいかに自身の置かれた状況に折り合いを付けて、人生に向き合っていくのか。“前向きに生きる”なんて、言葉に出すのは容易い。ポジティヴになっているつもりが、実は全然そうじゃないことだってある。逆境ばかりの世の中で、七転八倒しながら何とか進もうとする彼らのレアな姿は、心を揺さぶらせずにはいられない。

 主演の篠原篤と成嶋瞳子、池田良は無名の俳優だ。しかし、彼らに合わせた脚本構成を採用しているせいか、皆渾身の演技を見せる。光石研や安藤玉恵、木野花といった芸達者が脇を固めているが、中でもアツシをフォローする先輩社員を演じる黒田大輔のパフォーマンスは素晴らしい。こんな人物がどこの職場にもいてくれたら、もっと社会は良くなるはずだ。“明星”によるエンディングテーマと共に、鑑賞後の感触は極上である。橋口監督の次の仕事が楽しみだ。
コメント
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