元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「裁かれるは善人のみ」

2015-12-21 06:34:40 | 映画の感想(さ行)

 (英題:Leviathan )観ていて少しも楽しくない映画だ。もちろん“楽しくないからダメだ”と言うつもりはない。たとえ無愛想なタッチでも求心力さえあれば、最後まで付き合うことは出来る。しかし本作には、娯楽性も観る者を惹き付ける力強さも無い。底の浅い暗鬱さが全編を覆っているという感じなのだ。これでは評価するわけにはいかない。

 バレンツ海に面したロシア北部の小さな町で、自動車修理工場を経営している中年男コーリャ。同居しているリリアは二番目の妻であり、先妻との間には中学生の息子ロマがいる。市長のヴァディムは再開発のため彼の土地を安値で買い叩こうとするが、コーリャはそんな横暴なやり方には納得できない。モスクワから友人の弁護士ディーマを呼んで市長の悪事を暴露し、有利な状況に持って行こうとする。両者の攻防は激しさを増すが、リリアとディーマがいつの間にか懇ろな仲になってしまったのを切っ掛けに、コーリャは窮地に追い込まれてしまう。

 何より、この邦題はいただけない。この映画には“善人”は出てこないのだ。“悪人”ではないのは年相応のナイーヴさを持ち合わせたロマぐらいで、あとはどいつもこいつも生臭い。

 権力に固執する市長とその取り巻きはもちろん“善人”とは程遠いが、コーリャも頑迷で喧嘩っ早い問題人物だし、リリアは“よろめいて”ばかり。一見親切な友人夫婦にしても、警察官のくせに公私混同と飲酒運転は平気でやる旦那と、人生に疲れたようなカミさんのカップルでしかない。正義漢であるはずのディーマは、結局最後まで煮え切らないままだ。

 まあ、たぶん作者としてはロシア社会の実相を描こうとしたのだろう。権力側は傲慢で目的のためには手段を選ばず、対する庶民は諦めの中で皮相的な笑みを浮かべるしかない。そして人々を救うはずの宗教(ロシア正教)は体制側にべったりで、まるで機能していない。ただしそれらは図式的にしか提示されていないのだ。

 市長室にはプーチンの肖像画が掛けてあり、コーリャ達は射撃の的として歴代ロシア・ソ連の指導者の写真を並べる。原題の「リヴァイアサン」を象徴するがごとく、海の怪物めいた鯨の骨が画面に鎮座し、ホッブスの同名著作をなぞるように司祭は権力擁護の姿勢を隠さない。いずれにしても“語るに落ちる”ようなレベルである。

 監督のアンドレイ・ズビャギンツェフはかつて「父、帰る」(2003年)で素晴らしい映像世界を展開させたが、ここでの北極に近いロシアの風景はただ荒涼としていて、何ら迫ってくるものがない。ただ“ああ、寒々としているね”という印象しか無いのだ。第67回カンヌ国際映画祭での脚本賞をはじめいくつかの主要なアワードを獲得しているが、正直それほどのシャシンとは思えない。
コメント
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