元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「郊遊 ピクニック」

2014-12-01 06:37:05 | 映画の感想(さ行)

 (原題:郊遊)熱心な映画ファンにとっては“試練”になりそうなシャシンである(笑)。この作品を観て“ワケが分からない。退屈だ。つまらん”と単純に切って捨てれば良いのだろうが、日頃から映画に関して突っ込んだコメントをせずにはいられない手練れの映画好きにとっては、これほどの難物はめったにないと思う。

 台北市街にある廃墟に、中年男とその2人の子供が住み着いている。父親は宣伝広告の看板を持って路上に立つ“人間立て看板”をしながら、僅かな収入を得ている。幼い息子と娘は学校へも行かず、スーパーマーケットの試食コーナーで何とか飢えを凌ぎ、公衆トイレで身体を洗う。そんな子供達を見かねたスーパーの女性主任は、2人を父親から引き離そうとするのだが・・・・。

 劇中に3人の女優が演じる女が登場するが、それぞれがどういう役柄なのか分からない。しかも、スクリーンに映し出されている光景は現在のことなのか、過去の回想場面なのか、はたまた登場人物の空想なのか判然としない。そもそも主人公はなぜこのような境遇に身を置いているのか、その理由も不明である。思わせぶりな長回しや、各キャラクターの挙動不審な行動を克明に追うシークエンスの連続で、ラストなんか作劇の継続を拒否したような処理で観客は呆気にとられるばかりだ。

 ならば本作は徹頭徹尾送り手の“心象風景”とやらの羅列でしかないナンセンスな仕上がりなのかというと、それは違う。全編にみなぎる強烈な緊張感は、少しでも映画を能動的に鑑賞しようとする者にとっては、切迫したメッセージの存在を感じ取ることだろう。

 ストーリーは曖昧模糊としており、観る者によって複数の解釈が可能だと思うが、私はおそらく主人公はかつて妻を死に追いやったのだと思う。吹きさらしの路上に立ちながらも満江紅を詠む彼は、明らかにインテリ層に属する人間で、昔はカタギの生活を送っていたと思わせる。それが何か大きな事件があって妻を失い、職場も追われて子連れでホームレス暮らしに身をやつしているのかもしれない。

 ただ、そんな勘繰りもこの大きな悲劇性を伴うような喪失感の前では、小賢しいものでしかない。廃屋の壁に描かれた風景画に見入る彼らは、何かをどこかに置いてきてしまった“漂泊者”のように見える。すでに“リアル”なものは絵の中にしかなく、あとは空っぽの日々を送るしかないという絶対的な孤独感。そんな暗いパッションが観る者に迫ってくる。

 監督は「青春神話」「愛情萬歳」などで知られる台湾の異能ツァイ・ミンリャンだが、分かりやすいとは言えないこれまでの諸作と比べても、本作は群を抜いて難解だ。しかし、それだけ贅肉をそぎ落としたようなレアなインパクトが感じられる。主演は従来のツァイ監督作と同様リー・カンションで、彼が重ねた時の流れをも実感できる。ヤン・クイメイ、ルー・イーチン、チェン・シャンチーらの女優陣も印象は強烈だ。第70回ヴェネツィア国際映画祭で審査員特別大賞を受賞。異形の問題作である。
コメント
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