元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ラブリーボーン」

2010-02-09 05:09:57 | 映画の感想(ら行)

 (原題:The Lovely Bones)どうにも煮え切らない映画だ。ペンシルヴァニア州の地方都市に住む14歳のスージーは、学校帰りに変質者に拉致されて殺される。死んだ後にも成仏できずに彼岸と現世との間を彷徨う彼女は、残された家族に何とか真犯人を教えようとする。

 こういう設定で絶対必要なのが、霊になった彼女の“活動範囲”の設定だ。つまり、どういうシチュエーションでこの世に現れてどのように生きている人間に干渉出来るのかという、基本的な段取りである。ところが本作にはそれが全く描かれていない。親兄弟や友人への意思伝達も行き当たりばったりである。これではサスペンスが盛り上がらないのはもちろん、ドラマ自体のメリハリも付けられない。

 だいたい、彼女が留まっている“あの世とこの世との狭間”の位置付けがハッキリしない。随分と幻想的で煌びやかな場所のようで、映像イメージも非凡なものを感じさせるが、ここで何が出来て何が出来ないのかまるで分からない。セリフで滔々と説明する必要はないが、何らかの暗示ぐらいはあってしかるべきだと思う。第一、どういう状態になれば彼女が成仏できるのか、それさえ説明されていないではないか。

 斯様に物語の土台が不安定であるから、筋書きもまるで地に足が付いておらず説得力に欠ける。犯人に対する決着の付け方が曖昧なら、家族がどう彼女の死と向き合うようになったのかも不明瞭だ。霊感の強い友人なんかもっと活躍させてもいいと思うのだが、これも肩透かしに終わっている。時代設定が1973年であるのも意味がよく分からないし、時代風俗の再現もそれほど上手くいっているとも思えない。

 監督はピーター・ジャクソンだが、同じく少女を主人公にした彼の代表作「乙女の祈り」の足元にも及ばないヴォルテージの低さだ。まあ、大作続きだったジャクソンとしては“息抜き”のつもりで作った小品なのかもしれないが、それにしても気合いが入っていないのではないか。

 主演のシアーシャ・ローナンは「つぐない」に続いての登板だが、それほどの美少女ではないし、表面的な小芝居が先行しているようで愉快になれない。少なくとも母親役のレイチェル・ワイズや祖母に扮したスーザン・サランドンの方がよっぽど魅力的だ。また、マッチョなイメージのある父親役マーク・ウォールバーグが簡単にボコボコにされるのにも違和感がある(笑)。ネタがよく練られていない割には上映時間も無駄に長く、これではとても奨められないシャシンである。良かったのはブライアン・イーノの流麗な音楽ぐらいだ。

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