
(原題:BOY A )厳しい映画だが、平易な語り口を全編に渡って遵守しているために露悪的なケレン味は抑えられ、誰でもテーマの重要性に向き合えることが出来る良心作に仕上がっている。十代の頃に犯した重大事件のために長らく刑務所に入れられていた若い男が24歳になって出所。名前を変え、新しい街で保護司の助けを受けながら人生の再出発を図ろうとする。しかし、ひょんなことから“過去”が知れ渡ることになり、せっかく手探りで築き上げた人間関係がもろくも瓦解。彼は窮地に追いつめられてゆく。
この設定でまず思い浮かぶ主題は“犯罪者の更生の難しさ、及び当人を取り巻く社会の壁”であろう。だが映画を観ると問題は別のところにあることが分かる。主人公は絵に描いたような好青年。シャイで口数は多くはないがマジメで人当たりが良く、周りからも信頼されるキャラクターだ。そして思わぬ人命救助で表彰されたりもする。ハッキリ言って、こういう人間が昔凶悪な犯罪に手を染めたとはとても思えないのだ。
映画は回想シーンで彼のティーンエージャー時代に一緒につるんでいた“悪友”を登場させる。不遇な生い立ちだが、そのせいで周囲を逆恨みしていて近づく者すべてに暴力を振るう。元になった事件の“主犯”はコイツだろうと思われるが、おそらくは目撃者もおらず当事者だけのあやふやな証言だけで二人とも“同罪”にされてしまう。しかも、相方は早々に謎の死を遂げ、真相は闇の中だ。
そしてこれが怖いところだが、舞台になったイギリスでは容疑者が未成年だろうと何だろうとすべてマスコミに公開されてしまうのである。おまけに審判もほとんど“公開裁判”。タブロイド紙により成人した後も“お尋ね者”扱いで大々的に周知される。日本では成人に達していない凶悪犯のプロフィールを開示せよとの議論があるが、それはあくまで容疑が明確になった上での話だ。特に複数犯の場合は細心の注意が必要。
もちろん日本での過度な秘匿主義は問題だが、この映画のようなマスコミの明け透けな報道も断じて許されるものではない。本作は冤罪に近い案件が罷り通ることへの抗議、そしてマスメディアの無責任さとそれを容認する世間への糾弾こそをテーマに据えているのである。
ジョン・クローリーの演出は実に丁寧で、脇のキャラクターに対しても十分配慮している。特に面倒見の良い保護司が、主人公と同世代の息子とはまるで心を通わせることが出来ないエピソードは、建前だけでは片付けられない人間の“業”を感じさせて出色だ。
主演のアンドリュー・ガーフィールドは苦悩する若者像を上手く表現している。保護司役のピーター・ミュランも中年の悲哀を滲ませて出色だ。そして主人公の恋人に扮するケイティ・リオンズは、太めなのに魅力的という得な役どころである(笑)。ロブ・ハーディのカメラワークは清冽で、映像派的な画面が主体のラストの処理も違和感がない。観て決して損はない英国映画の秀作だ。