元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「眠る男」

2008-12-22 06:43:33 | 映画の感想(な行)
 96年作品。群馬県の山奥の村を舞台に、山の事故で意識を失い眠ったままの男(アン・ソンギ)を中心に、周囲の人々の生活を静かに描く。監督は「泥の河」などの小栗康平。初めて地方自治体が手掛けた商業映画としても公開当時は話題を呼んだ。

 さて、ハッキリ言ってしまおう。この映画は凡作だ。物語の“段取り”をすっ飛ばして、本筋のみを遠景ショットと固定カメラで暗示的に綴っていくこの監督の手法はその前作「死の棘」に接して重々承知しているが、決定的に違うのは、今回はその方法に必然性がまったくないことである。

 ベルイマンやテオ・アンゲロプロスを例に出すのは乱暴だと言われるなら、「幻の光」の是枝和裕あたりを思い浮かべてもいい。説明過多で予定調和のハリウッド作品や日本のTVドラマとは対極にある(と少なくとも本人は信じている)映像至上主義とやらのスタンスとは何か。セリフや余計なエピソードでドラマの本筋を語らせることを廃し、観客の想像力を信じて映像中心で勝負すること。あるいはセリフやナレーションでは説明できないテーマを映像の力で無理矢理ねじ伏せることだと思う。そういう必然があっての手法である。その上で極端な長廻しや固定ショットが効果的だと思うのなら、遠慮なく使えばいい。しかしこの映画は“映像派”どころか、とんだ説明過剰の三流ドラマである。“映像派もどき”と言ってもいい。

 ただ眠り続ける男。この素材を何らかの比喩やメタファーとして扱うこと自体、どうも無理くさい。せいぜいが“脳障害の自宅療養における有効性と問題点”などという文化映画的な結論にしか行き着かない。これを(私が想像するに)自然と人間との葛藤とか、生の無常とか、魂の問題とかいったご大層なテーマに結び付けるため、山のような“説明的映像”を挿入しなければならなくなった。

 熱帯雨林の乱開発により家族を失ったというタイ出身のジャパゆきさん(クリスティン・ハキム)のエピソードや、頭が弱いが自然体で暮らす青年(今福将雄)の話など予定調和の極みだ。在日朝鮮人の老婦人の扱いにしてもステレオタイプの域を出ない。対して役所広司扮する主人公は感情を表に出さないキャラクターとして描かれるが、大事なところで失笑ものの説明的セリフを吐く。田村高廣の世捨て人みたいな年寄りも類型的(あらずもがなの身の上話なんかも紹介される)。

 自己陶酔的な映像美とやらは、これまた見事なほど図式的。どこかで見たようなショットの連続だ。映像で語ろうとせず、説明的セリフの中継ぎあるいは引き立て役として長廻しなどの映像テクニックを使っているから、余計な部分が恐ろしく長い。1時間40分の映画だけど、20分で済む内容を引き延ばした印象しかない。だいたい、わざわざ韓国からアン・ソンギを呼んできて、ただ寝かしとくだけなんて芸がないではないか(笑)。

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