(原題:L'EVENEMENT )かなりの求心力を持つ映画で、鑑賞後の満足感は大きい。ただし、本作を頭から否定する者もいることは想像できる(特に日本において)。望まぬ妊娠をしてしまったヒロインに対し、“自業自得だ”とか“中絶への罪悪感は無いのか”とかいった道徳論をぶつけて指弾してくる手合いだ。一見モラルを説いているようだが、実は身も蓋も無い自己責任論にすぎない。対策案も考えずに建前論ばかりに執着していては、物事は一向に進展しないのだ。
1960年代。フランス南部の大学に通うアンヌは、労働者階級の出身ながら苦学して学位にも手が届こうとしていた。ところが学位取得試験を前に、妊娠が発覚。当時は中絶は違法で、関わった医師も処罰の対象になる。交際相手の男に責任を取らせようとするが、逃げ腰で話にならない。手をこまねいている間にも、確実に彼女のお腹は大きくなる。アンヌは独力で解決方法を見つけるべく、不測の事態に徒手空拳で立ち向かう。2022年度のノーベル文学賞を受賞したアニー・エルノーの自伝的短編小説の映画化だ。
とにかく、ヒロインの12週間にわたる壮絶な“バトル”に圧倒される。誰も助けてくれず、望みの薄い方法であっても飛び込むしかない。しかも、タイムリミットは刻一刻と迫ってくる。似たようなネタを扱った映画にクリスティアン・ムンジウ監督の「4ヶ月、3週と2日」(2007年)があるが、設定が“独特”であったあの映画よりも、ヴォルテージは本作の方がはるかに高い。なぜなら、誰にでも起こりうる事態であるだけではなく、主人公の価値観がある種の普遍性を持っているからだ。
それは、学術に対する姿勢である。アンヌは苦労して掴んだアカデミックな生き方を“妊娠ごとき”で手放したくはないのだ。これは決して子供を産むことを軽んじているわけではなく、彼女にとって学問はそれだけ価値があるものなのだ。オドレイ・ディワンの演出は強靭で、一時たりともスクリーンから目が離せない。リアルな描写も避けることなく真正面からぶつかっている。
主役のアナマリア・ヴァルトロメイは捨て身の熱演で、観ていて鳥肌が立った。サンドリーヌ・ボネールにルアナ・バイラミ、ケイシー・モッテ・クライン、ルイーズ・オリー=ディケロなどの脇の面子も言うことなし。ロラン・タニーのカメラによる即物的な映像も印象的だ。第78回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を獲得。本年度のヨーロッパ映画の収穫である。
1960年代。フランス南部の大学に通うアンヌは、労働者階級の出身ながら苦学して学位にも手が届こうとしていた。ところが学位取得試験を前に、妊娠が発覚。当時は中絶は違法で、関わった医師も処罰の対象になる。交際相手の男に責任を取らせようとするが、逃げ腰で話にならない。手をこまねいている間にも、確実に彼女のお腹は大きくなる。アンヌは独力で解決方法を見つけるべく、不測の事態に徒手空拳で立ち向かう。2022年度のノーベル文学賞を受賞したアニー・エルノーの自伝的短編小説の映画化だ。
とにかく、ヒロインの12週間にわたる壮絶な“バトル”に圧倒される。誰も助けてくれず、望みの薄い方法であっても飛び込むしかない。しかも、タイムリミットは刻一刻と迫ってくる。似たようなネタを扱った映画にクリスティアン・ムンジウ監督の「4ヶ月、3週と2日」(2007年)があるが、設定が“独特”であったあの映画よりも、ヴォルテージは本作の方がはるかに高い。なぜなら、誰にでも起こりうる事態であるだけではなく、主人公の価値観がある種の普遍性を持っているからだ。
それは、学術に対する姿勢である。アンヌは苦労して掴んだアカデミックな生き方を“妊娠ごとき”で手放したくはないのだ。これは決して子供を産むことを軽んじているわけではなく、彼女にとって学問はそれだけ価値があるものなのだ。オドレイ・ディワンの演出は強靭で、一時たりともスクリーンから目が離せない。リアルな描写も避けることなく真正面からぶつかっている。
主役のアナマリア・ヴァルトロメイは捨て身の熱演で、観ていて鳥肌が立った。サンドリーヌ・ボネールにルアナ・バイラミ、ケイシー・モッテ・クライン、ルイーズ・オリー=ディケロなどの脇の面子も言うことなし。ロラン・タニーのカメラによる即物的な映像も印象的だ。第78回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を獲得。本年度のヨーロッパ映画の収穫である。