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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「サボテン・ブラザース」

2022-12-25 06:05:26 | 映画の感想(さ行)
 (原題:i Three Amigos! )86年作品。お手軽すぎる邦題は、監督ジョン・ランディスの代表作「ブルース・ブラザーズ」(80年)の二番煎じを狙ったものだ。内容もそれに相応しく(?)超ライトで歯ごたえのない、観た後すぐに忘れてしまいそうになる脱力系コメディである。だが、本作は内容自体よりも“周辺のネタ”の方が興味深い。その意味ではコメントするに値するシャシンである。

 1916年のメキシコ。辺境の地にあるサント・ポコ村は、エル・グアポ率いる盗賊団のために危機的状況にあった。そのため村長の娘カルメンは盗賊団を撃退してくれる用心棒を探していたが、たまたま町の教会で上映されていたサイレント活劇映画「スリーアミーゴス」を観て実在の英雄のドキュメンタリー映像だと勘違いし、ハリウッドにスリーアミーゴスへの救いを求める電報を打った。これを受け取った件の映画の主演3人組は、これはメキシコでの新作映画のオファーだと思い込み、嬉々として現地へ向かう。



 要するに黒澤明の「七人の侍」のパロディで、知らぬ間に盗賊団に立ち向かうハメになった落ち目の俳優たちの悪戦苦闘を賑々しく描こうという作戦だ。設定は悪くなく、上手く作ればかなりウケの良いお笑い編に仕上がったところだが、ドラマの建付けがガタガタでギャグのキレも悪く、出るのはタメ息と失笑のみだ。

 ジョン・ランディスの演出は「ブルース・ブラザーズ」を撮った者と同一人物であることが信じられないほど覇気が無い。特にスティーヴ・マーティンにチェビー・チェイス、マーティン・ショートという当時人気絶頂にあった喜劇役者を起用していながら、ほとんど良さが出ていないことには閉口する。事実、その頃の本国の批評家の一致した見解は“つまらない”というものだったらしい。

 だが前述の通り、この映画は関連するネタの方が面白い。まず、当初予定されていたキャスティングがダン・エイクロイドにジョン・ベルーシ、ビル・マーレイ、ロビン・ウィリアムズ、リック・モラニスであり、監督にはスピルバーグが検討されていたとか。そんな大物たちが参加するような題材なのか疑わしいが、もしも実現していたならば“大作”に仕上がっていたかもしれない。

 そしてこの映画、何と日本公開時は地方ではオリバー・ストーン監督のアカデミー受賞作「プラトーン」との二本立てだったのだ。ベトナム戦争を扱った超シリアスな問題作と、能天気なおちゃらけ映画とのコラボレーションという、今から考えると究極的にシュールな状態が現出していたことを考えると、この映画の存在感(?)も捨てたものではないと思わせる。なお、本作は三谷幸喜が絶賛しており、なるほど生ぬるい展開の三谷作品と通じるものはあるようだ(苦笑)。
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「ザリガニの鳴くところ」

2022-12-17 06:14:36 | 映画の感想(さ行)
 (原題:WHERE THE CRAWDADS SING )全世界で累計1500万部を売り上げたというミステリー小説の映画化だが、謎解きの興趣はほとんど無いことに面食らった。聞けば原作者のディーリア・オーウェンズの“本職”は動物学者であり、小説は本作の原作が初めてとのこと。そのためかどうか知らないが、ストーリーラインが練られていない印象を受ける。

 1965年、ノースカロライナ州の湿地帯で、地元の名士の御曹司であるチェイスの死体が発見される。近くの物見櫓から転落したようだが、状況から殺人の可能性も考えられた。犯人として疑われたのは、6歳で親に捨てられてから19歳になるまで一人きりで湿地の中で生き抜いてきた少女カイアである。彼女はチェイスの元交際相手でもあり、動機もあった。逮捕され法廷に立ったカイアは、自身の半生を回想する。



 ポリー・モーガンのカメラによる南部の湿地帯の風景は美しく、紹介される動植物も興味深い。しかし、率直に言えば“キレイすぎる”のだ。辛い人生を歩んできたヒロインの心象にシンクロするかのような、得体のしれない闇がジャングルの奥に潜んでいるような気配はない。「地獄の黙示録」や「アギーレ 神の怒り」といった作品との類似性は、最後まで見い出せなかった(まあ、それを期待するのは筋違いかもしれないが ^^;)。

 そして、前述したようにミステリーとしての体裁は整えられていない。では何があるのかというと、まずフェミニズムとエコロジー指向だ。カイヤの父は暴君で、家族は痛めつけられる。そして、この時代の南部らしい男尊女卑的な風潮も取り上げられている。そんな中にあって、ヒロインとその“理解者”たちはリベラルな方向から捉えられている。カイアには絵心があり、珍しい動植物を描いたイラストが評判を呼ぶ。ただ、そもそもどうして彼女の家族が湿地に住むことになり、なおかつ父親が横暴なのか、その理由は示されない。

 そしてカイヤと幼馴染のテイトとのアバンチュールは、完全なラブコメのノリだ。そういえばカイヤは人里離れた場所で暮らしていながら、少しも汚れた印象は受けない。あえて言えばこれはマンガの世界だろう。取って付けたようなエピローグも盛り下がるばかり。オリヴィア・ニューマンの演出は可もなく不可もなし。

 主演のデイジー・エドガー=ジョーンズは健闘していたと思うが、主人公の造形自体が場違いなものであるため、演技よりもルックスが印象付けられてしまうのは仕方がないかも。老弁護士役のデイヴィッド・ストラザーンは儲け役だったが、あとのテイラー・ジョン・スミスやハリス・ディキンソン、マイケル・ハイアット、スターリング・メイサー・Jr.といったキャストは堅実ながらあまり面白みは無い。本国の評論家筋の評判はあまりよろしくないようだが、それも当然かと思われる。ただし、テイラー・スウィフトによるエンディング・タイトル曲は良かった。
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「サブウェイ」

2022-12-09 06:13:58 | 映画の感想(さ行)

 (原題:Subway)85年フランス作品。リュック・ベッソン監督がその名を知られるようになった映画で、86年のセザール賞で美術や音響部門でのアワードを獲得している。ただし、内容はほぼ空っぽだ。その代わり、映画の“外見”は目覚ましい求心力を持っている。つまりは中身をあれこれ詮索せず、エクステリアだけを楽しむシャシンと割り切った上で接するのが正しい。

 パリ市内で富豪が主催したパーティーの最中に、邸宅の金庫から機密書類が盗まれる。犯人のフレッドは地下鉄の奥深くに潜伏し、富豪の妻エレナに金を持って来させるように要求。だが実はフレッドとエレナは以前は恋仲であり、彼のもとに赴いたエレナは好きでもない金持ちに嫁いだ不満も相まって、再びフレッドに惹かれていく。

 序盤に迫力あるカーチェイスが展開し、これはキレの良い犯罪ドラマなのかと思ったら、そこから話は停滞する。警察やエレナの旦那が放った追っ手からフレッドが逃げるという設定はあるものの、主人公2人のアバンチュールみたいなものが漫然と流れるパターンが多くなり、サスペンスは一向に醸成されない。果ては音楽好きのフレッドが他の地下住民たちとバンドを結成し、コンサートを企画するなどという筋違いのモチーフが挿入される。終盤の処理に至っては、まるで作劇を放り出したような弛緩ぶりだ。

 L・ベッソンの演出は後年の「ニキータ」(90年)や「レオン」(94年)で見られた躍動感は無く、平板に推移するのみ。しかしながら、この映画の美術や大道具・小道具の使い方は実に非凡である。地上とは違う地下世界の妖しさと独特の空気感の創出は見事だ。的確な照明と色彩が場を盛り上げ、撮影監督のカルロ・ヴァリーニは良い仕事をしている。

 主演はクリストファー・ランバートとイザベル・アジャーニで、当時は“旬”の俳優であった2人が放つオーラには思わず見入ってしまう。衣装デザインも申し分ない。さらには使用されている楽曲のセンスの良さにも唸ってしまう。音楽担当は御馴染みエリック・セラだが、ここでもさすがのスコアを提供している。リシャール・ボーランジェにミシェル・ガラブリュ、ジャン=ユーグ・アングラードといった他の面子も悪くない。ジャン・レノがチョイ役で顔を出しているのも嬉しい。
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「シェルタリング・スカイ」

2022-11-27 06:20:23 | 映画の感想(さ行)
 (原題:The sheltering sky)90年作品。好評を得た「ラストエンペラー」(87年)のスタッフが再結集したということで、公開当時はテレビのゴールデンタイムに宣伝CMが流れるほど興行側は力を入れていたのだが、現在ではこの映画のことを覚えている人はあまりいないだろう。それだけ本作の印象は薄い。

 1947年、結婚から10年経った節目としてニューヨークからモロッコに旅行に出かけたポートとキットのモレスビー夫妻だったが、すでに2人は倦怠期を迎えていた。遠出したら気分が変わるかと思っていたのだが、期待したほどでもない。それどころかキットは同行していた友人のタナーと懇ろな関係になり、ポートも現地の女性とよろしくやっているという有様。そんな折、ポートはパスポートを紛失した挙句に風土病に罹って体調を崩してしまう。アメリカ人作家ポール・ボウルズによるベストセラー小説の映画化だ。



 都会生活で夫との関係に行き詰ったインテリ婦人が気晴らしのためにアフリカまでやってきて、好き勝手に振る舞った末に何となく悟ったような境遇になったという、それだけの話だ。もちろん、すぐに底が割れるような筋書きでも上手く作ってあれば文句は無いのだが、どうにもパッとしない。

 大御所ベルナルド・ベルトルッチの演出は平板で、ドラマティックに盛り上げられるようなモチーフもあえてパスしているように見える。一番気になったのが、彼の地に対する差別的とも思われる扱いだ。現地の住民の風体や振る舞いは、まるで未開人のそれである。ちなみに、この地域を描いた映画は他にも何本も接しているが、この作品のような突き放した描写は見られない。

 そして驚いたのが、画面に何度も現れるハエの大群。実際もその通りなのかもしれないが、あまり愉快になれない。そういえば封切り当時に知り合いが“題名を「シェルタリング・フライ」に変更しろ!”と言っていたが、さもありなんという感じだ。

 デブラ・ウィンガーをはじめジョン・マルコヴィッチ、キャンベル・スコット、ティモシー・スポールといったキャストは熱演だが、訴求力に欠ける内容なのでそれほど評価できず。坂本龍一の音楽は流麗ながら、聴きようによっては感傷的に過ぎるかもしれない。ただし、ヴィットリオ・ストラーロのカメラによる映像はすこぶる美しい。彼は本作でいくつかのアワードを手にしている。
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「線は、僕を描く」

2022-11-19 06:24:00 | 映画の感想(さ行)
 水墨画という稀有な題材を取り上げていながら、内容は平板で陳腐。劇的な展開も、目を奪うような映像モチーフも見当たらない。キャラクターの掘り下げはもちろん、各エピソードの扱いも不十分。すべてが安手のテレビドラマ並に奥行き感が無い。聞けばけっこう高評価だというが、この程度の完成度のシャシンが持ち上げられること自体、日本映画を取り巻く状況のヤバさが垣間見える。

 滋賀県の大学に通う青山霜介は、アルバイト先の絵画展設営現場で展示予定の一枚の水墨画を見て衝撃を受ける。その絵のあまりの訴求力に涙さえ流してしまう彼だったが、その縁で大御所である篠田湖山に弟子入りすることになる。くだんの絵の作者は湖山の一番弟子であり実の孫娘である千瑛であり、霜介は彼女と出会うことによって益々水墨画にのめり込んでゆく。砥上裕將の同名小説の映画化だ。

 本作を観る前は、少なくとも水墨画の神髄の片鱗ぐらいは披露してくれるのだろうと思っていたが、実態は違っていた。たとえば、霜介が師匠から墨の刷り方に対してダメ出しされる場面があるが、具体的に何がどう不十分なのかは詳しくは示されない。そして水墨画の基本的テクニック、どのような技巧を施すと斯くの如くヴィジュアルに反映されるのか、それに関しても平易な解説は省かれている。

 湖山をはじめとするその道のアーティスト達の、水墨画に激しく傾倒している狂気じみたパッションも表現されていない。単に水墨画はドラマの“小道具”として扱われるだけだ。それでもかつての弟子であった西濱湖峰のパフォーマンスはスクリーンに映えるが、湖峰の境遇についてはほとんど言及されていない。千瑛の両親がどうなっているのかも不明。

 霜介には水害で家族を亡くすという辛い過去があり、それが水墨画へのインスピレーションに繋がっているとのモチーフを持ってくるが、いくら何でも牽強附会に過ぎるだろう。かと思えば、霜介の友人達が大学で水墨画サークルを立ち上げるといった、どうでもいいネタは挿入される。小泉徳宏の演出はキレもコクも無く、やたら説明的なセリフが多いのには脱力する(良かったのはエンドロールの水墨画ぐらい)。

 主演の横浜流星をはじめ、清原果耶に細田佳央太、矢島健一、富田靖子、江口洋介そして三浦友和と、キャストはほぼ危なげないパフォーマンスを見せているだけに不満が残る出来だ。ついでに言えば、目新しいテーマを掲げたことだけで賞賛されてしまう邦画界の状態にもやるせない気分になる。
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「佐々木、イン、マイマイン」

2022-11-07 06:32:15 | 映画の感想(さ行)

 2020年作品。良い映画だと思う。リアルタイムで劇場鑑賞していたならば、確実にその年のベストテンに入れていたことだろう。誰しも若い頃に体験した掛け替えのない出会いと、それが後の人生に影響を与えていく様子を普遍的かつ内省的に描き、しみじみとした感慨を呼び込む。各キャストの熱演も光る、青春映画の佳編だ。

 27歳の石井悠二は俳優になるため上京して数年経つが、仕事はなかなか回ってこない。同棲中のユキとの仲もしっくりいかず、鬱屈した日々を送っていた。あるとき、彼は高校の同級生の多田と偶然再会して昔話に花を咲かせるが、彼らが真っ先に思い出すのは、学内の超問題人物だった佐々木のことだ。後日、長らく消息を聞かなかったその佐々木から電話が掛かってくる。悠二たちは佐々木の様子を見るため、久々に地元の甲府に足を運ぶ。

 悠二や多田も、決して恵まれた生活を送っているわけではない。特に悠二の境遇は崖っぷちだ。しかし、それでも故郷を後にして自分の進む道を歩いている分、能動的な人生を選択していると言える。対して佐々木はマトモな職には就けず、それどころか地元から離れることも出来ない。そもそも高校時代から佐々木の人生は不遇だった。母親はおらず、父親はほとんど家に戻らない。ただ、彼は極道者のような父を見捨てられず、ヤケになって悪の道にも入らずに親を待ち続けている。そんな彼でも学校で奇行に走れば周りの者たちは注目してくれたのだ。

 しかし、卒業してみれば知り合いはいなくなり、無為に日々を送るしかない。佐々木は学生時代の面白おかしい体験だけを糧に生きているのだ。この、究極的にモラトリアムな次元に捨て置かれた人間の存在は、実は悠二たちの“一部”でもある。佐々木と過ごした日々を、彼らはこれからも思い出すのだろう。何をやっても許された若年期のメタファーとして、佐々木は永遠に生きる。

 内山拓也の演出は基本的には平易だが、時として悠二が出演する舞台劇のやり取りが佐々木との関係性とクロスしたり、ラストには大仕掛けを用意するなど、作家性を十二分に発揮する。佐々木に扮した細川岳はまさに怪演で、ぶっ飛んだキャラクターにもかかわらず目覚ましいリアリティを獲得している。脚本にも参画しており、今後も期待できる人材だ。悠二役の藤原季節をはじめ、萩原みのり、遊屋慎太郎、森優作、井口理などキャストは好調。佐々木の父親を演じる鈴木卓爾の存在感も見逃せない。
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「千夜、一夜」

2022-10-29 06:10:07 | 映画の感想(さ行)
 個人的には評価しない。理由は、タッチが重すぎるからだ。もちろんヘヴィな題材を扱っている関係上、決してライトな雰囲気にはならないことは承知している。しかし、本作は重さのための重さというか、深刻に描くこと自体が目的化しているような傾向があるのだ。映画はそんな暗い“空気”の創出ばかりに気を取られるあまり、各登場人物の内面描写は不十分になっている。これではとても共感できない。

 佐渡島の港町に暮らす若松登美子は、30年前に姿を消した夫の帰りを待ち続けている。地元の漁師である藤倉春男はそんな彼女に対しずっと以前から好意を抱いているが、登美子はまるで相手にしていない。ある日、2年前に失踪したという夫の洋司を捜している田村奈美が登美子を訪ねてくる。役場の紹介で、同じくパートナーが行方不明になった登美子に、何らかのアドバイスを求めてきたのだ。ところが、所用で本土に赴いた登美子は、街中で洋司を見掛けてしまう。



 佐渡島での失踪事件といえば、まずは北朝鮮による拉致を疑う必要がある。もちろん本作でも言及はされているが、扱いは意外とあっさりしたものだ。はっきり言って、それはおかしい。重点的に描く気が無いのならば、舞台を別の場所に設定すべきであった。

 登美子がひたすら夫を待ち続けるのは、夫とのかつての生活がそれだけ輝いていたからだが、それだけで30年も独りで暮らし、義母の世話までする理由にはならないと思う。後半には彼女に何らかのメンタル的問題があることも暗示されるが、それ以上は突っ込まれない。対して早々に別の男と懇ろになる奈美の方がまだ説得力がある。しかし、肝心の洋司の態度は何とも煮え切らない。失踪の原因も曖昧なものだし、正直、どうでもいいキャラクターだ。

 春男にしても、色良い返事がもらえないのならば諦めるべきだが、拗ねて問題行動まで引き起こすのだから呆れてしまう。斯様に、本作の登場人物の造形は観る者の感情移入を拒んでいるがごとくエゴイズムが横溢しているが、作者はそれを当たり前だと合点するかのごとく必要以上の重々しい筆致で島に生きる人々を追うのである。

 久保田直の演出はシリアス一辺倒で感心せず、青木研次によるオリジナル脚本も上出来とは言い難い。登美子に扮する田中裕子をはじめ、尾野真千子に安藤政信、ダンカンなどの主要キャストはいずれも熱演。白石加代子に平泉成、小倉久寛、山中崇、田中要次といった脇の顔ぶれも悪くないだけに、作品のコンセプトをもう少し煮詰めて欲しかった。
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「さかなのこ」

2022-10-15 06:22:32 | 映画の感想(さ行)
 ヘンな映画である。最初から終わりまで、違和感しか覚えない。ただし世評は高いようだ。こういうパターンに過去に遭遇したように思ったが、それはロバート・ゼメキス監督の「フォレスト・ガンプ/一期一会」(94年)であることに鑑賞後に気付いた。あの映画もアカデミー賞を総ナメにするほど高評価だったが、個人的には面白さが感じられなかった。たぶんアメリカ人ならばピンと来るのだろうが、この“素材に対して思い入れのある者しか分からない”という構図は本作と一緒だ。

 千葉県に住む小学生のミー坊は三度の食事より魚の生態が好き。父親は個性的すぎるミー坊を心配するが、母親はミー坊のキャラクターを認めていた。高校生になっても魚のことにしか興味が無く、いつの間にか不良どもに絡まれていても当事者意識ゼロ。それどころか彼らと仲良くなってしまう。ところがミー坊は魚以外のことはからっきしダメで、進学には失敗し、職を得ても上手くいかない。だが、思わぬ出会いから道が開けてくる。さかなクンの自叙伝を元にして劇映画として仕立て上げられたシャシンだ。



 まず、困ったことに私はさかなクン自体に興味が無い。また、映画として門外漢にでも興味が持てるような仕掛けも見当たらない。要するに、さかなクンのファンおよび理解者だけを対象にした作品なのだと思う。強すぎる個性を持った主人公が、ファンタジー風味の御都合主義的な展開を経て世に出る過程を笑って見ていられる層ならば、満足出来るのだろう。当然のことながら、私のような“部外者”はお呼びではない。

 主演は“のん”こと能年玲奈だが、男性であるさかなクンを女優が演じることの居心地の悪さを感じずにはいられない。冒頭に“性別は関係ない”みたいなテロップが流れるが、余計なエクスキューズだろう。「フォレスト・ガンプ」と同じく、個人的には関係の無いキャラクター設定だ。また、意外と魚介類の生態を大きくクローズアップした部分が少ないのも、何か違う気がする。魚類の持つ独特の魅力を強くアピールしないでどうするのかと思うばかりだ。そして自然の神秘を強調するような映像の美しさにも欠けている。

 沖田修一の演出は今回は可も無く不可も無し。柳楽優弥に夏帆、磯村勇斗、岡山天音、井川遥、宇野祥平、鈴木拓、島崎遥香、そしてさかなクン自身と、キャストは多彩。しかし、総花的であまり印象に残らず。CHAIによる主題歌だけは良かった。
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「白い手」

2022-10-14 06:20:48 | 映画の感想(さ行)
 90年作品。この頃話題になった日本映画に篠田正浩監督の「少年時代」があるが、同じく子供を主人公にした神山征二郎監督による本作も、また味のある一編だ。とはいえ、両者のテイストはかなり違う。篠田作品の時代設定は終戦前夜、対してこの映画は昭和30年代の初頭というから、共に監督が作中の少年だった時分であり、両作品の差異はそのまま作者の世代によるものだろう。

 小学5年生のマサルは、千葉県の小さな港町に母親と二人で住んでいる。ある日、彼のクラスに東京から転校生のキヨタカがやって来る。ある“致命的な弱点”を持つキヨタカは早速イジメの対象になるが、マサルは彼の母から友だちになってくれと涙ながらに頼まれ、仕方なく仲良くすることにした。2人の通学経路には瀟洒な洋館があり、マサルたちは二階の窓から出ている白い手が気になって仕方がない。実はそこには病気で寝たきりの女の子がいて、彼らは強い関心を寄せる。椎名誠による同名小説の映画化だ。

 まあ、いつの世もそうなのだが、子供の世界というのはドライで容赦ないものなのだ。皆好き勝手に振る舞うし、転校生はイジメられるものと相場が決まっている。だが、本作の主人公たちを取り巻く環境は、かなり楽天的だ。しかし、本作の登場人物たちは篠田監督の「少年時代」のような明日をも知れぬ切迫した世界には生きていない。

 昭和30年代前半の日本は戦後の混乱期も一段落し、これからは良くなることはあっても悪くなることは無いと誰しも信じていたのだろう。マサルたちの前に少々の逆境が立ちはだかっても、余裕で乗り越えてしまう。

 もちろん、この映画のライトな雰囲気は時代背景だけのせいだけではない。マサルの母親が父親の弟と通じてしまっても、担任の女性教師が名うてのプレイボーイと懇ろになっても、少しも雰囲気が生臭くならない。少しばかりの無茶をやらかしても、それは人間の本性だと見切ってしまう。そんな屈託の無さをとことんポジティヴに描いているし、それに不自然にならないだけの演出の力がある。

 一応は主役扱いの南野陽子は演技が上手いとは言えないし、哀川翔や石黒賢もこの頃は青臭い。桜田淳子が出ているのも隔世の感がある。ただその分小川真由美や前田吟、佐藤オリエといった手練れの人材が頑張っている。飯村雅彦のカメラによる映像は美しく、特に冒頭とラストに映し出される壮大な桜並木は圧巻だ。
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「サバカン SABAKAN」

2022-09-16 06:28:38 | 映画の感想(さ行)
 子供を主人公にした一夏の“冒険”を描いた映画は、過去にも秀作・佳作が目白押しだ。それだけ普遍性が高い鉄板の設定ということだが、本作はとても及第点には達していない。違和感なく物語を綴るだけのシナリオが出来ておらず、無理な展開が目立つ。筋書きは行き当たりばったりで、観終っても何のカタルシスも無い。

 86年の夏、長崎県長与町に住む小学5年生の久田孝明は、ある日同じクラスの竹本健次から一緒にイルカを見に行こうと誘われる。ところが孝明はあまり気が乗らない。なぜなら健次は家が貧しくて同級生から避けられていたからだ。それでもクラスで唯一自分を笑いものにしない孝明を気に入っていた健次は、彼を無理矢理に連れ出す。様々なトラブルに遭遇しながらも何とか目的地に到達した2人は、それから夏の間仲良く過ごすようになる。しかし悲しい事件が起こり、2人の夏は終わりを告げる。

 最大の不満点は、健次のキャラクターが練られていないことだ。貧乏なのは仕方が無いとして、コイツは供え物を平気で盗み、畑からミカンを何度も拝借し、町の売店では万引きの常習犯でもある。そして孝明を強引に危険な遠出に誘い、重大事故の一歩手前まで追い込んでしまう。どう考えても付き合うには値しない人間だ。

 また、健次の家は見かけは本当にボロいのだが、中に入ると至って普通なのは拍子抜けだし、タイトルになっているサバの缶詰が大して効果的に取り上げられていないのも不満だ。だいたい、子供が潮の流れが速い海域を泳いで沖の島まで渡るのは不可能だし、助けに入る女子高生の正体も最後まで分からない。

 くだんの“健次が遭遇する悲しい事件”にしても無理矢理にデッチ上げたようなシロモノで、到底納得できるものではない。斉藤由貴のポスターやキン肉マン消しゴムなど、この時代を象徴する事物こそ登場するが、かなりワザとらしい。TVディレクター出身の金沢知樹の演出は平板で、何やら「スタンド・バイ・ミー」あたりを意識したような雰囲気も目立ち、観ていて萎える。

 尾野真千子に竹原ピストル、貫地谷しほり、岩松了、茅島みずきなどのキャストは大して記憶に残らず。子役2人は達者だが、それはこの手の映画にとっては最低限の条件なので殊更評価するほどのことではない。大人になった孝明に草なぎ剛が扮しているが、それ自体は印象に残らず。映し出される長与の風景は別に美しくも何ともなく、その点も愉快になれない。観る必要の無い映画だ。
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