元・副会長のCinema Days

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「ザリガニの鳴くところ」

2022-12-17 06:14:36 | 映画の感想(さ行)
 (原題:WHERE THE CRAWDADS SING )全世界で累計1500万部を売り上げたというミステリー小説の映画化だが、謎解きの興趣はほとんど無いことに面食らった。聞けば原作者のディーリア・オーウェンズの“本職”は動物学者であり、小説は本作の原作が初めてとのこと。そのためかどうか知らないが、ストーリーラインが練られていない印象を受ける。

 1965年、ノースカロライナ州の湿地帯で、地元の名士の御曹司であるチェイスの死体が発見される。近くの物見櫓から転落したようだが、状況から殺人の可能性も考えられた。犯人として疑われたのは、6歳で親に捨てられてから19歳になるまで一人きりで湿地の中で生き抜いてきた少女カイアである。彼女はチェイスの元交際相手でもあり、動機もあった。逮捕され法廷に立ったカイアは、自身の半生を回想する。



 ポリー・モーガンのカメラによる南部の湿地帯の風景は美しく、紹介される動植物も興味深い。しかし、率直に言えば“キレイすぎる”のだ。辛い人生を歩んできたヒロインの心象にシンクロするかのような、得体のしれない闇がジャングルの奥に潜んでいるような気配はない。「地獄の黙示録」や「アギーレ 神の怒り」といった作品との類似性は、最後まで見い出せなかった(まあ、それを期待するのは筋違いかもしれないが ^^;)。

 そして、前述したようにミステリーとしての体裁は整えられていない。では何があるのかというと、まずフェミニズムとエコロジー指向だ。カイヤの父は暴君で、家族は痛めつけられる。そして、この時代の南部らしい男尊女卑的な風潮も取り上げられている。そんな中にあって、ヒロインとその“理解者”たちはリベラルな方向から捉えられている。カイアには絵心があり、珍しい動植物を描いたイラストが評判を呼ぶ。ただ、そもそもどうして彼女の家族が湿地に住むことになり、なおかつ父親が横暴なのか、その理由は示されない。

 そしてカイヤと幼馴染のテイトとのアバンチュールは、完全なラブコメのノリだ。そういえばカイヤは人里離れた場所で暮らしていながら、少しも汚れた印象は受けない。あえて言えばこれはマンガの世界だろう。取って付けたようなエピローグも盛り下がるばかり。オリヴィア・ニューマンの演出は可もなく不可もなし。

 主演のデイジー・エドガー=ジョーンズは健闘していたと思うが、主人公の造形自体が場違いなものであるため、演技よりもルックスが印象付けられてしまうのは仕方がないかも。老弁護士役のデイヴィッド・ストラザーンは儲け役だったが、あとのテイラー・ジョン・スミスやハリス・ディキンソン、マイケル・ハイアット、スターリング・メイサー・Jr.といったキャストは堅実ながらあまり面白みは無い。本国の評論家筋の評判はあまりよろしくないようだが、それも当然かと思われる。ただし、テイラー・スウィフトによるエンディング・タイトル曲は良かった。

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