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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ラブ&モンスターズ」

2021-07-31 06:25:38 | 映画の感想(ら行)

 (原題:LOVE AND MONSTERS )2021年4月よりNetflixより配信。他愛の無いSFサバイバルスリラーだとは思うが、上手く作ってあり最後まで飽きさせない。また、困難を乗り越えて主人公が成長してゆくというビルドゥングスロマン的な興趣もあり、話が表層的にならないのも好印象。

 近未来、地球に衝突しようとした小惑星をミサイルで破壊した際に、有害な化学物質が地上に降り注ぎ、小動物の遺伝子に影響を与えた結果、巨大化したモンスターが大量に出現。そいつらは人間を襲い始め、7年後には人類の大半が死に絶え、運よく生き残った者たちは地下シェルターで生活せざるを得なくなる。その中の一人ジョエルは、無線を通じて恋人のエイミーが別の避難所で生存していることを知る。彼女に会いたい一心で、彼はモンスターが跳梁跋扈する地上に出て、遠く離れた場所にいるエイミーのもとに向かうのだった。

 ジョエルは絵に描いたようなヘタレ野郎で、エイミーと離ればなれになって長い時間が経過しているにも関わらず、再会すればまた昔の関係を取り戻せると信じて疑わない。ただ、その一途な思い込みが彼を冒険に駆り立てるのだから、結果オーライである(笑)。道中ではタフなサバイバーたちに出会ったり、犬のボーイ(好演!)と行動を共にしたりと、的確なモチーフが付与される。

 そしてもちろん、モンスターたちの襲撃もてんこ盛りだ。こいつらは確かに不気味なのだが、見た目がどこか古い特撮映画のようなテイストが感じられて悪くない。苦難の果てに彼はエイミーと会うことが出来るのだが、それからの展開が切ない。ただ、そんな感傷に浸っているヒマは無く、新たなバトルに身を投じるという筋書きは(定番ながら)申し分ない。

 マイケル・マシューズの演出はテンポが良く、ドラマが停滞しない。アクション場面も段取りは万全で、繰り出されるアイデアは非凡だ。また、過去の諸作のネタが挿入されているのも嬉しい。主演のディラン・オブライエンは、一見頼りないがピンチになると力を発揮するという、好ましいキャラクターを上手く演じている。

 ヒロインのジェシカ・ヘンウィックが東洋系だったのには少し驚いたが、昨今のアメリカ映画ではよくあるパターンなのだろう。マイケル・ルーカーにダン・ユーイングといった脇の面子も良く機能している。しかしながら、この手の映画は劇場のスクリーンで対峙したいというのが本音。ネット配信だけになったのは残念だ。
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「浪人街」

2021-07-02 06:33:33 | 映画の感想(ら行)
 90年作品。どう考えても、ATG出身の黒木和雄監督に斯様な娯楽時代劇を撮らせるのは、適切とは思えない。案の定、要領を得ない出来に終わっている。もっと相応しい人材がいたはずだが、プロデューサーにはそういう考えが無かったらしい。キャストは豪華だが、うまく機能していない。

 江戸下町において夜鷹が次々に斬られるという事件が起こる。この街で用心棒をしている赤牛弥五右衛門や荒牧源内、そして母衣権兵衛らは犯人を突き止めるべく、おとり作戦を敢行。見事に下手人を成敗したと思われたが、連続殺人はまだ続いている。実はこの事件は、旗本の小幡一党による集団的な狼藉であった。恋人のお新にも魔の手が迫ってきたことに憤慨した源内は、100人以上もの小幡一味に対して戦いを挑む。また、権兵衛たち他の浪人たちも助太刀に駆けつけるのであった。昭和3年にマキノ正博が監督した「浪人街 第一話 美しき獲物」のリメイクだ。

 マキノ版は観ていないし、本作がどの程度元ネタを反映させているのか分からないが、チャンバラ物としては気勢が上がらないのは確かだ。好き勝手に振る舞っていたアウトローたちが、大義のために一致団結して敵と対峙するという筋書きはよくあるパターンで、ちゃんと作ってもらえればそれなりに盛り上がるものだが、本作はそうではない。

 とにかく、浪人たちの心意気がまったく伝わってこないのである。源内を除けば、皆なんとなく戦いに加わっているようだし、各人が抱えているはずの熱いパッションも、どこにも見当たらない。そして、活劇場面の低調さは致命的だ。終盤、画面上では十数分にも及ぶ乱闘が展開されるが、大殺陣と形容できるダイナミズムは見出せず、チャンバラとしての“型”はあるものの段取りが悪いため、迫力が出ない。

 各剣客が登場するタイミングも悪く、鼻白むばかり。やっぱりこのネタは黒木監督には無理だと思う。深作欣二や工藤栄一あたりに任せた方が、もっと面白い映画になったはずだ。原田芳雄に田中邦衛、勝新太郎、樋口可南子、石橋蓮司、中尾彬、佐藤慶、杉田かおるなど、配役は多彩だが、それぞれ持ち味を十分出していたとは言い難い。印象的だったのは松村禎三による音楽ぐらいだ。
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「恋恋風塵」

2021-06-21 06:23:46 | 映画の感想(ら行)
 (原題:戀戀風塵)87年作品。台湾の名匠と言われた侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の代表作の一つで、感銘度はとても高い。技巧的には精緻を極め、語り口は静かだが、内容はドラマティックで息もつかせない。そして、題名通りに“風の中の塵のように”儚くも崇高な人生の機微について思いを馳せる。見事な映画だ。

 時代設定は1960年代末。台湾北部の山村で生まれた少年ワンと少女ホンは、幼い頃から実の兄妹のように育った。ワンは中学を出た後に台北に出て、働きながら夜学の高校に通う。1歳下のホンも台北で暮らし始め、互いに助け合って生きていくことを誓う。だが、数年後ワンは兵役に就くことになり、2人は離れ離れになる。ホンはワンに毎日手紙を書くことを約束するが、2年間の兵役期間は若い彼らにとって変わっていくには十分な時間だった。



 ストーリーの骨子は、幼馴染みの少年と少女の悲恋であるが、その描き方には一点の緩みも無い。2人でいることが当然だと思っていた彼らが、環境の変化により徐々に内面が揺らぎ始め、当初は考えもしなかった結末に行き着いてしまう。声高なセリフのやり取りも、大仰な振る舞いも無いが、登場人物の微妙な表情や周囲の状況の移ろいにより、力強い物語性を演出する。

 さらに素晴らしいのは、主人公2人を取り巻く家族や、故郷の村の風景だ。若い彼らを温かく見守り、それでいて流れゆく時間に対してある種の諦念をも織り交ぜる。光や緑の匂い立つような輝きと、奥深い山々の神秘性。そこに暮らす人々の、長い歴史に裏打ちされた超然とした生き方が、観る者の心を打つ。特に、ワン少年の祖父の存在は、この作品のハイライトだ。激動の台湾現代史を生きた祖父の、まさにすべてを達観したような佇まいは、作品の格調を押し上げている。

 ワン役のワン・ジンウェンとホンに扮するシン・シューフェンは共に好演。そして祖父を演じたリー・ティエンルーは台湾の伝統的人形劇の演者として有名であるが、ここではカリスマ的な魅力を発揮している。名カメラマンのリー・ピンビンによる映像は痺れるほど美しく、チェン・ミンジャンの音楽もドラマを盛り上げる。
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「ラブ・セカンド・サイト はじまりは初恋のおわりから」

2021-06-07 06:51:28 | 映画の感想(ら行)
 (原題:MON INCONNUE)ファンタジー仕立てのラブコメという、私が最も苦手とするジャンルに属する映画ながら(笑)、巧みな切り口と語り口によって楽しく観ることが出来た。もっとも、ラストの処理は大いに不満だが、それを抜きにしても見応えのあるシャシンであることは間違いない。

 パリに住むラファエルとオリヴィアは高校生時代に知り合い、長じて結婚する。だが、作家として大成したラファエルに対し、ピアニスト志望だが目が出ずに小さなピアノ教室の講師に甘んじているオリヴィアの間には、大きな溝が出来ていた。離婚を覚悟したラファエルがある朝目覚めると、そこは彼がしがない中学教師で、オリヴィアが人気ピアニストという立場が逆転している世界だった。しかも、彼女はラファエルに会ったこともなく、別の甲斐性のありそうな男との結婚も控えている。オリヴィアをもう一度振り向かせれば元の世界に戻れると信じたラファエルは、友人フェリックスの助けを得て奔走する。



 冒頭、SF大作のような映像が現れて驚かされるが、これはラファエルが執筆している小説の一場面だ。その小説が切っ掛けになって彼はオリヴィアと仲良くなり、結婚してからも2人はしばらくは幸せだったが、呆気なく終焉を迎えようとするくだりが一気に語られる。そしてその原因も短時間で明示され、まさに“掴みはオッケー”だ。

 別の世界に転生してから、彼はどうしてオリヴィアと上手くいかなくなったのかを悟り、それをリカバリーしようとするのも定石通り。ただし、よくある“パラレルワールドもの”ながら、けっこう描き方は辛辣で容赦ない。ここは恋愛至上主義のフランスの映画らしく、色恋沙汰に関するいざこざには妥協を許さない。

 終盤の展開はその延長線上にあるもので、頭の中では納得しても少しはライトな方向に収めてほしかったというのが本音だ。しかしながら、全編に散りばめられたギャグは暗くなりそうなストーリーを良い按配で中和してくれる。その“お笑い部門”を担っているのがフェリックスで、彼が出てくると画面が弾んでくる。特に、卓球が得意な彼のウェアの胸元に“南葛”という漢字が入っていたのには笑った(言うまでもなく、南葛はキャプテン翼の出身校だ)。

 ユーゴ・ジェランの演出は緩急をつけた達者なもので、ダレることはない。ラファエルを演じるフランソワ・シビルのワイルドな二枚目ぶりも良いが、オリヴィアに扮するジョセフィーヌ・ジャピの魅力には参ってしまった。とにかく、物凄く可愛い。フェリックス役のバジャマン・ラベルネの芸達者なコメディ演技も一見の価値はある。ニコラ・マサールによる撮影も言うことなしだ。
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「ロマンティックじゃない?」

2021-04-19 06:33:31 | 映画の感想(ら行)

 (原題:ISN'T IT ROMANTIC )2019年2月よりNetflixにて配信。有り体に言えばラブコメディなのだが、ラブコメのルーティンを徹頭徹尾バカにしていながら、作品としてはしっかりとラブコメとして完結させるという、アクロバティックな筋書きが光る。まさにアイデア賞もので、面白く観ることが出来た。

 ニューヨークの建築事務所で設計士として働くナタリーは、幼い頃からロマンティックコメディの世界に憧れていたが、母親からダメ出しを食らったのを皮切りに、成長してからも厳しい現実を突き付けられて色恋沙汰を嫌うようになっていた。ある日、地下鉄構内でひったくりに襲われた彼女は、犯人と揉み合う間に頭を強打し失神してしまう。目を覚ますと、彼女は周囲の雰囲気が妙にカラフルで脳天気であることに気付く。どうやら“ラブコメの世界”みたいな場所にワープしてしまったらしい。ナタリーは何とか元の世界に戻ろうとするが、どうしたら良いか分からない。

 序盤の、ナタリーがラブコメを皮肉るところはかなりウケる。主人公は思っていることをすべて口に出すとか、放送禁止用語は発声出来ないとか、ベッドインしたらすぐに朝になるとか、クライマックスではヒロインはスローモーションで走るとか、そんなラブコメの“段取り”をコケにする。ところが自分がラブコメの“当事者”になると、その“段取り”の通りに行動してしまうという皮肉が効いている。

 ナタリーはこの“ラブコメ世界”で同僚のジョシュが好きであることに気付くのだが、あいにく彼はインド系の美女と婚約していた。何とか結婚式をブチ壊そうとするナタリーの暴走ぶりが楽しい。興味深いのが、ヒロインは好きな男とのハッピーエンドを迎えることよりも、自己肯定に目覚めることを強調していることだ。考えてみればその通りで、自分を好きにならなければ他人を大事にすることなど、出来はしない。

 トッド・ストラウス=シュルソンの演出は、嫌味にはならない程度にライトでポップだ。特にミュージカル仕立てになっているのは秀逸で、使われる楽曲も皆がよく知っている既成のナンバーであるのも納得。主演のレベル・ウィルソンはかなり太めながら、身体のキレが良く愛嬌も満点だ。リアム・ヘムズワースやアダム・ディヴァインといった男性陣も良いのだが、インド映画界のスターであるプリヤンカー・チョープラーが出ているのも嬉しい。1時間半というコンパクトな尺も申し分なく、観て損の無いシャシンと言える。
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「ライリー・ノース 復讐の女神」

2021-02-28 06:32:15 | 映画の感想(ら行)
 (原題:PEPPERMINT)2018年作品。本国アメリカでは酷評されているらしいが、個人的にはそれほどヒドいとは思わなかった。しかしながら、決して上出来ではない。有り体に言えば、何も考えずヒマつぶしに観るのには丁度良い。展開にモタモタしたところがなく、ストレスを感じないのは取り柄だろう。

 ロスアンジェルスに住む平凡な主婦ライリー・ノースは、ある日突然悲劇に遭遇する。マフィアの金を横取りする話に乗ろうとした夫が、組織の逆恨みを買って幼い娘ともども殺されてしまったのだ。事件を目撃したライリーは警察の捜査に協力するが、起訴された実行犯は無罪放免になる。判事に食ってかかった彼女だが、危うく精神病院に送致されそうになる。隙を見て逃げ出した彼女は、5年間姿を消す。その間に外国で戦闘のスキルを身に付けたライリーは、ロスに舞い戻って復讐を開始するのだった。



 いわば“「ランボー」の女性版”みたいな体裁のシャシンだが、元グリーンベレーで実戦経験も豊富なランボーとは違い、ライリーは普通の主婦に過ぎない。いくら鍛練を積んだといっても、わずか5年で殺人に対する忌避感も消え失せたバトルマシーンに変身するというのは、いくら何でも無理がある。

 しかも、彼女は無駄に強いのだ。悪者どもの放つ銃弾はほとんど当たらないのに、ライリーの射撃は百発百中(笑)。肉弾戦でも負けることは無い。ライリーの確保にFBIが乗り出すとか、警察内に組織への通報者がいるとかいったサブ・プロットも用意されているが、大して効果的ではない。

 斯様に大味な御膳立てながらあまり退屈しないのは、演出の上手さに尽きると思う。監督ピエール・モレルの仕事ぶりは的確で、シークエンスの繋ぎに無理がなく、ドラマが弛緩しない。またアクション場面はよく考えられており、ライリーの大暴れを“そんなバカな!”と突っ込みを入れつつも、楽しんでしまった。ラストに続編の製作を匂わせるあたりは御愛敬だ。

 主演のジェニファー・ガーナーは主人公の年齢設定よりも上にしか見えないが、かなり頑張っている。終盤には、序盤においてライリーが一般人であったことを忘れるほどだ。ジョン・オーティスやジョン・ギャラガー・Jr、フアン・パブロ・ラバといった脇の面子は可も無く不可も無しだが、サイモン・フラングレンの音楽とデイヴィッド・ランゼンバーグによるカメラワークは万全だ。
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「ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ」

2020-11-07 07:02:10 | 映画の感想(ら行)

 (原題:THE LAST BLACK MAN IN SAN FRANCISCO )面白そうな場面はあるのだが、全体的に薄味かつ散漫な印象で求心力があまり感じられない。かと思えば、時折取って付けたようなメッセージ性が強調されて、観ていて居心地が悪い。聞けば2019年のサンダンス映画祭の監督賞と審査員特別賞を受賞したとのことだが、それほどのシャシンとは思えない。

 サンフランシスコで生まれ育った黒人青年のジミーは、介護士をしながら親友で脚本家志望のモントの家に居候している。彼の興味の対象は、山の手にあるヴィクトリア様式の美しい邸宅だ。かつてこの家でジミーは両親と暮らしていたが、父親は経済的に維持できずに家を手放してしまった。それ以来、いつかこの家を取り戻そうと心に誓っている。ある日、ジミーは現在の家主が売りに出したことを知る。早速彼はモントと共にその家に忍び込み、家具を持ち込んで勝手に暮らし始める。だが、この物件の持ち主である不動産屋は、ジミーたちの思惑には関係なくドライに仕事を進めるのだった。

 冒頭、防護服に身を包んだ者たちが、海岸で廃棄物を撤去しているシーンが映し出される。そして、近くには環境保護を訴えて演説している男がいる。また、劇中では件の邸宅周辺は今はブルジョワの白人しか住んでいないことが示される。要するに“昔は良かったが、現在は環境が悪化した世知辛い街になってしまった”という懐古趣味を前面に出しているわけで、そんな後ろ向きのスタンスにまず脱力してしまう。

 そもそも、ジミーはどうしてモントと親友になったのかが推察できないし、この2人が罪の意識も無く他人の家に不法侵入するあたりもまったく共感できない。ジミーがこの家に執着するのは“以前住んでいたから。その頃は幸せだったから”という感傷以外に理由は見当たらず、自らの境遇を改善しようという意思が見受けられない。

 誰だって過去のノスタルジーに浸ることはあるが、それだけに拘泥するのは愚かでしかない。何しろ父親は別の場所に住んでいてあの家には未練はないし、母親に至っては偶然ジミーと会うまでどこに暮らしているか分からない始末だ。モントは劇作家を目指しているというが、ラスト近くでの“仕事の成果”を見る限り、大して才能があるとは思えない。こんな2人が見果てぬ夢を追っても、ドラマ的な興趣は生まれない。

 ただし、サンフランシスコの町は効果的に描かれている。金門橋や市電などの観光名所の風景はカラリとした明るさは無く、主人公たちの姿を象徴するかのように灰色に沈んでいる。2人が坂道をスケートボードで移動するシーンの絵面は面白い。ジョー・タルボットの演出はメリハリが不足していて平板だ。主演のジミー・フェイルズとジョナサン・メジャースはどうもパッとしない。ただ、ダニー・グローヴァーが久々に元気な姿を見せてくれたのは嬉しかった。
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「ラ・バンバ」

2020-11-06 06:23:22 | 映画の感想(ら行)

 (原題:La Bamba)87年作品。公開当時は話題になった映画だが、出来の方も良い。夭折した実在のロックスターを主人公に、その“周囲”を丁寧に描き、青春映画としてかなりのレベルに達している。そしてもちろん、大ヒットしたテーマ曲をはじめ劇中で流れるナンバー、および演者たちのパフォーマンスは素晴らしいの一言だ。

 1957年。ブドウ農場で働く16歳のリッチー・バレンズエラは音楽好きで、いつかプロデビューして家族の生活を楽にさせたいと思っていた。ある日、刑務所に入っていた兄のボブが出所して帰宅する。父親が違って性格も正反対の2人だが、仲は良かった。如才ないボブは、一家をロスアンジェルス郊外の町暮らしへ生活を変えてやる。

 リッチーは新たに通い始めた学校で、ブロンドの少女ドナと仲良くなり、同時に地元のバンドに加入。悪酔いしたボブのためにデビューコンサートは散々な出来に終わったが、その演奏を聴いていたデルファイ・レコードのプロデューサーであるボブ・キーンはリッチーの実力を認め、レコード会社と契約することを奨める。やがて頭角を現したリッチーは、次々とヒット曲を生み出すのだった。バディ・ホリーらと共に飛行機事故により17歳で世を去った、リッチー・ヴァレンズの生涯を描く。

 リッチーとボブの関係性は興味深い。明るくて誰からも好かれ、音楽の才能にあふれた弟に対し、いくらか弁は立つが、所詮は風采のあがらない凡人のボブ。映画はこの2人を対比し、運命の残酷さをリアリスティックに描き出す。特に、ただ生き残っただけというボブの境遇には観ていて身を切られるものがある。

 それから、本作にはマイノリティである主人公が直面する偏見や差別が意外なほど取り上げられていない。せいぜい、白人であるドナの親がリッチーに対していい顔をしないぐらいだ。これは別に手を抜いているわけではなく、平等のチャンスを与えられたアメリカ人としてアメリカン・ドリームを追い求めた主人公像を描く上で、さほど重視する必要が無いと割り切ったためだろう。

 ルイス・ヴァルデスの演出はテンポが良く、かつ堅実だ。本来は製作担当のテイラー・ハックフォードが監督する予定だったらしいが、ハックフォードの演出タッチではこれほど盛り上がらなかったと想像する(笑)。主演のルー・ダイアモンド・フィリップスをはじめ、イーサイ・モラレス、ロザンナ・デ・ソート、ダニエル・フォン・ゼルニックなどのキャストは皆好演。ロス・ロボス、カルロス・サンタナなど、同じラテン系のミュージシャンによる音楽には文句の付けようが無い。
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「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」

2020-08-22 06:58:55 | 映画の感想(ら行)

 (原題:A RAINY DAY IN NEW YORK )若者が主人公のラブコメも、ウディ・アレン御大が手掛けると、かくも上質でエスプリの効いた逸品にに仕上げられるのかと、感心することしきりである。俳優の動かし方、ギャグの繰り出し方もさることながら、先の読めない脚本の巧みさには唸るしかない。

 東海岸の郊外(田舎)の大学に通うギャツビーは、学生新聞の記者をしている同級生の恋人アシュレーがマンハッタンで有名監督にインタビューする機会を得たことから、一緒にニューヨークに出向く。実はギャツビーはニューヨーク出身で、アリゾナ生まれのアシュレーに街を案内する予定だった。しかし、到着早々2人は別行動を余儀なくされる。何とかして彼女とニューヨークでのデートを敢行したいギャツビーだが、次から次にハプニングが起こり、連絡さえ取れなくなる。やることが無くなり、やむなく両親の主宰するパーティーに出席した彼が直面したのは、母親の思いがけない秘密だった。

 恋愛映画の主要メソッドである“すれ違い”ネタが展開するのだが、携帯電話やSNSが普及した現在では成り立たないと思わせて、微妙な情報の齟齬により2人がどんどん引き離されてゆくプロセスが、目立った瑕疵も無く進むというのが凄い。しかも、2人が遭遇するエピソードが映画製作の現場およびその裏側に関するネタに準拠しているので、映画ファンとしては堪えられない。

 ウディ・アレンの映画には大抵インテリぶって講釈ばかり垂れ流す野郎(作者の分身)が登場するが、本作のギャツビーはまさしくそう。当初はアイビーリーグ校に入学したものの、1年で(おそらく成績不振により)放校処分になるが、それを“ボクの実力を発揮出来る場ではなかった”などと言い訳じみたモノローグを連発して誤魔化すのはケッ作だ。

 自意識過剰で認識不足のアシュレーのキャラクターも最高で、洪水のように押し寄せるトラブルを、平然と(自分に都合が良いように解釈して)乗り切ってしまうのはアッパレだ。思いがけないラストのオチは効果的だが、やっぱりアレンはニューヨークが好きなのだと改めて感じ入った。

 ギャツビー役のティモシー・シャラメは軽佻浮薄に見える二枚目を上手く演じていたし、アシュレーに扮したエル・ファニングも大奮闘で、何よりも可愛く撮れていた。セレーナ・ゴメスにジュード・ロウ、ディエゴ・ルナ、レベッカ・ホールなどの脇の面子も万全だ。なお、本作はアメリカでは公開されていないらしい。昨今の#MeToo運動によってアレンの過去が蒸し返されたという理由だが、このあたりの事情はどうも愉快になれない。
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「ライド・ライク・ア・ガール」

2020-08-08 07:00:05 | 映画の感想(ら行)
 (原題:RIDE LIKE A GIRL)ドラマ部分は大したことがはない。展開が平板だし、監督がこれが第一作ということもあるが、素人臭い御膳立てが目立つ。だが、メインである競馬レースのシーンはかなり盛り上がる。また、今まで知らなかったオーストラリアの競馬事情を紹介してくれたのも有り難い。

 10人きょうだいの末娘として生まれたミシェル・ペインは、馬の調教師である父親のもと、騎手である兄や姉に囲まれて健やかに育つ。成長した彼女は、家族の影響もあって騎手を志望するようになる。厳しい訓練の末に、やっとデビューを飾ったミシェルだが、当初から実力を発揮。珍しい女性騎手ということで世間の注目を浴びる。



 ところが、コンディションの悪い状態で強行出場したレースで、落馬してしまう。一命は取り留めたものの脳に重大なダメージを負った彼女は、復帰は無理だと誰しも思っていた。2015年のメルボルンカップで、女性騎手として初めて優勝したミシェル・ペインの半生を追った実録映画だ。

 元々俳優であるレイチェル・グリフィスの演出はメリハリに乏しく一本調子で、盛り上がるべき箇所とそうではない部分との切り分けが上手くいっていないように思う。また、決して短くはない時間軸を駆け足で進めているせいか、結果としてエピソードの羅列に終わっている感がある。そして、何かというと場を持たせるためか、当時のヒット曲が芸も無く流れるのには閉口した。ここはたとえば強力なライバルを用意するとか、明らかな敵役を据えるとかして、ドラマの方向性を整えた方が良かった。

 しかしながら、レースの場面はよく撮れていると思う。メルボルンカップという大会の存在は今回初めて知ったが、その規模には驚かされた。距離が3.2kmというのはかなり長い方だが、何と24頭立てだ(ちなみに、英国ダービーステークスは16頭立て、国内では日本ダービー等の18頭立てが最大)。これだけ派手だと、映画としては実に見栄えがする。また、業界内での男女格差問題に関しても、ちゃんと言及されている。

 主演のテリーサ・パーマーは、前半のヒロインの女子高生時代は年齢面で辛いものがあるが(笑)、それ以外はよくやっていると思う。父親に扮したサム・ニールも、さすがの貫録を発揮。そして特筆すべきはダウン症の兄役のスティーヴィー・ペインで、実は“本人”が演じている。しかも彼は見るからに心優しいキャラクターで、ミシェルの良き協力者として、本当にイイ味を出している。マーティン・マクグラスのカメラがとらえた競馬場およびその周辺、そしてヒロインの故郷の風景は、本当に美しい。
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