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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「レッズ」

2022-08-26 06:20:03 | 映画の感想(ら行)
 (原題:REDS)81年作品。本作の特徴というか、一番印象に残る点は、ハリウッド映画で初めてアメリカ国内に実在した左翼勢力を正面から描いたことだ。もちろん、それ以前もその存在や影響力を暗示した作品はあったが、ここまであからさまに取り上げたケースは無かったと思う。さすがハリウッド随一のリベラル派である、ウォーレン・ベイティの手によるシャシンだけのことはある。しかし、肝心の内容は万全とは言い難い。

 第一次大戦中のヨーロッパでは国際労働者同盟の闘争が巻き起こっていたが、オレゴン州ポートランド出身の若手ジャーナリストのジョン・リードはこの動きに触発され、1917年に革命の嵐が吹き荒れるロシアに渡る。そこで彼は自身の体験やウラジーミル・レーニンへのインタビューなどをまとめ「世界を揺るがした10日間」として刊行。一躍注目を浴びる。



 彼と行動を共にしたのは交際相手であるルイーズ・ブライアントで、女権主義者のエマ・ゴールドマンや劇作家ユージン・オニールも彼を支援した。リードは帰国後に米国内の左翼勢力をまとめようとするが、上手くいかない。そこでリードは自身が立ち上げた政党を本家のロシアの革命勢力に公認してもらうため、封鎖中のロシアに潜入する。

 題材に関して大いに思い入れがあったW・ベイティは、綿密な時代考証と見事な舞台セットにより、3時間を超える上映時間も相まって本作に歴史大作としての佇まいを与えている。また、劇中ではリードとルイーズを知る人物のインタビュー映像が幾度も挿入される。その面子は歴史家のウィリアム・ダラントや作家のヘンリー・ミラーにレベッカ・ウェスト、アメリカ自由人権協会創立者のロジャー・ナッシュ・ボールドウィン、画家のアンドリュー・ダスブルクなどで、作劇上では正攻法ではないものの、映画の厚みが増したことは確かだ。

 しかし、この映画は一番大事なことを描いていない。それは、どうして当時アメリカで左傾運動が盛んになり、主人公はなぜそれに共鳴したのか、ほとんど説明されていないからだ。もちろん、こういう映画を観る客層はその頃の社会情勢の概要は承知しており、構造的な背景は想像できるだろう。だが、映画的な興趣としては昇華されていない。リードは最初から左翼の闘志であり、ルイーズをはじめとする周りのメンバーも自らのイデオロギーに一抹の疑念も持っていないように見える。こういう図式的な建て付けでは、求心力は発揮できない。

 主役はベイティ自身だが、熱演だとは思う。ルイーズに扮したダイアン・キートンをはじめ、ジャック・ニコルソン、モーリン・ステイプルトン、ポール・ソルヴィノ、ジーン・ハックマンなど、顔ぶれは豪華。だが、映画の内容自体が斯くの如しなので評価は差し控えたい。なお、スティーヴン・ソンドハイムとデイヴ・グルーシンによる音楽と、ヴィットリオ・ストラーロのカメラによる映像は良かった。
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「リコリス・ピザ」

2022-07-18 06:50:01 | 映画の感想(ら行)
 (原題:LICORICE PIZZA)奇妙で、取り留めもない映画だ。似たようなシャシンを過去に観たような気がしたが、それは同じポール・トーマス・アンダーソン監督の手による「ブギーナイツ」(97年)だったことを思い出した。ただし、70年代末から80年代にかけてのポルノ業界をスケッチ風に描くという、明確な方向性を打ち出していたあの映画と比べると、本作の散漫な印象はより強い。いわば作者の心象の映像化というべきものだろう。

 1973年のロスアンジェルスのサンフェルナンド・バレー。高校生のゲイリー・ヴァレンタインは学校に通う傍ら、母親の経営する芸能事務所を手伝ったり、俳優としても活動したりと忙しい日々を送っていた。あるとき、生徒の写真を撮るために学校に来ていたフォト・スタジオの店員であるアラナ・ケインと知り合い、ゲイリーは恋に落ちてしまう。とはいえ、相手は10歳も年上だ。対等な関係になるのは難しいと分かっていながら、彼は新たな儲け話を持ち掛け、アラナをビジネス・パートナーに誘うなどの猛チャージを開始する。



 まず、いくらゲイリーに商才があっても、高校生の分際でカタギのビジネスを容易に立ち上げられるとは信じがたい。しかも、取引先として“その筋”の顔役たちをいつの間にか取り込んでいるという都合の良さ。かと思えば、時間の経過が不明確で、知らぬ間に主人公たちは年を重ねている。

 通常の恋愛ドラマと同様、2人の関係は決して順風満帆ではなく、劇中ではいろいろと波風が立つ。しかし、それらが映画を盛り上げるモチーフにはなっていない。ただ何となくすれ違ったり、誤解したり、しばらく逢えなかったりと、通り一遍の退屈な筋書きを重ねるだけでストーリーを高揚させることはない。もちろん、熱いパッションといったものも見当たらない。こんな調子で2時間14分も引っ張ってもらっては、ひたすら眠気との戦いに終始するばかりだ。

 登場人物たちは作者とは世代が違うので、個人的なノスタルジーを追ったものではない。では何なのかというと、この時代に生きた若者たちはたぶんこういう風景を見ていたのだろうという、勝手な想像だろう。そのノリに付いていける観客ならば別だが、そうでなければ評価する余地はない。

 ゲイリー役のクーパー・ホフマンはフィリップ・シーモア・ホフマンの息子でこれがデビュー作。体型と不貞不貞しさは父親譲りかと思うが、あまりスクリーン映えする素材ではない。ヒロインを演じるアラナ・ハイムは、あのハイム三姉妹の一人だ。しかも、姉二人だけではなく家族総出でキャスティングされているのにはウケた。そしてその点が、本作で興味を惹かれた唯一のモチーフである。

 あとショーン・ペンやトム・ウェイツ、ブラッドリー・クーパーも出ているが、実質的に“友情出演”の域を出ない。ジョニー・グリーンウッドの音楽はあまり印象に残らず、使われている既成曲も大して面白いとは思えない。いっそのことハイムに楽曲を担当させた方が良い結果になったかもしれない。
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「ラルジャン」

2022-06-26 06:14:46 | 映画の感想(ら行)

 (原題:L'argent)83年作品。「スリ」(1959年)や「少女ムシェット」(1967年)など、シビアでストイックな作風で知られるロベール・ブレッソン監督が最後に撮った映画である。通常、尖った演出スタイルが身上の作家は年齢を重ねるたびに“丸く”なっていくらしいが、ブレッソンに限ってはこの遺作においてラジカルなテイストはピークに達している。とにかく85分という短い尺ながら、その重量感は尋常ではない。第36回カンヌ国際映画祭における監督賞をはじめ多くのアワードを獲得しているが、十分納得できる。

 パリに住むブルジョワ少年が、借金のある友人に返済の先延ばしを頼むが、相手はニセ札を使ってお釣りをせしめろと言う。少年はニセ札を写真店で使うが、ニセ札を掴まされた店の主人夫婦は、その札で燃料店への支払いに使ってしまう。燃料店の従業員イヴォンがそれに気付かずレストランで使おうとすると、たちまちバレて警察に拘束。無実を訴えるが、写真店の店員の偽証により服役を余儀なくされる。その間、妻と子は不幸な目に遭い、ようやく出所したイヴォンには何も残されていなかった。文豪トルストイの「にせ利札」の映画化だ。

 善良だったイヴォンが、周囲の人間たちの悪意によって坂道を転げ落ちるようにダークサイドに飲み込まれてゆく。ブレッソンの演出には、扇情的なテイストは皆無。冷徹に、イヴォンの迷走を追うのみだ。それが却って衝撃度を増進させていく。

 我々の日常生活には無数の陥穽が口を開けており、それは当事者の資質などに関係なく、近付く人間を容赦なく引きずり込む。この不条理極まりない現実は、ストレートにはかなり映画にしにくい。若干のエモーショナルなモチーフを伴った因果律が無ければ、スノッブなドキュメンタリーもどきのシャシンに終わってしまう。だが、そんなリアルな不条理を真正面から映像化してサマになる作家は数少ないながら存在していて、ブレッソンはその第一人者だ。

 セリフや登場人物の感情表現は最小限に抑えられていながら、映像は隅々まで精査されており、並々ならぬ濃厚さを醸し出している。主演のクリスチャン・パティをはじめ、カロリーヌ・ラング、シルビー・バン・デン・エルセンといった顔ぶれは馴染みが無いが、皆ブレッソンの過酷とも思われる演技指導に十分に応えている。

 それにしても、ラスト近くの処理には身震いした。なお、トルストイの原作は二部構成で、第二部は主人公の更生が描かれているというが(私は未読)、この映画化はひたすら暗転する第一部のみだ。このあたりも実にブレッソンらしいと言えよう。
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「ライフ・ウィズ・ミュージック」

2022-03-28 06:23:20 | 映画の感想(ら行)
 (原題:MISIC )好き嫌いがハッキリと分かれる映画だが、私は気に入った。ミュージカル仕立てながら、昨今の「ウエスト・サイド・ストーリー」や「シラノ」などより楽曲の訴求力が高い。監督自身がミュージシャンであることも関係していると思うが、作者は音楽がドラマにリンクする手順を知り尽くしているような印象だ。また、ストーリーも味わい深い。

 ニューヨークに住む自閉症の娘ミュージックは祖母と2人暮らしだったが、ある日祖母が急逝してしまう。彼女の唯一の身寄りは、年の離れた姉のズーだけ。しかも姉は長らく妹と疎遠で、おまけにアル中でヤクの売人もやっている。突然に姉妹だけの暮らしを強いられた彼らが上手くいくわけがなく、2人の仲はギクシャクするばかり。そこに優しく手を差し伸べたのが、隣に住む黒人青年エボだった。実はエボも屈託を抱えているのだが、思いがけず知り合った姉妹と何とか生活を立て直そうとする。



 ドラマの中で楽曲が披露されるという通常のミュージカル映画のルーティンは採用されておらず、ドラマの合間にミュージック・ビデオ風の場面が挿入されるという形式だ。ミュージカルとしては邪道だと思えるが、これが結構功を奏している。物語の設定自体がヘヴィであるから、ストーリーの中に無理矢理ナンバーを押し込めると居心地が悪くなる。ミュージカルのシーンが登場人物の心象をあらわす媒体であると割り切っているようで、これはこれで正解だ。

 メンタル面でハンデを持つ妹と、社会のはぐれ者である姉との話はどう見ても暗くなりそうなのだが、エボをはじめ周囲の人々は思いのほか親切で、映画の印象は明るい。それが絵空事になっていないのは、作者のポジティヴなスタンス故だろう。

 監督はオーストラリアの異能シンガーソングライターのSiaで、楽曲は彼女の書き下ろし。メガホンを撮るのも脚本に参加するのも初めてだということだが、展開が破綻することは無く、仕事ぶりは驚くほど達者だ。そしてミュージカルシーンのカラフルな造形には見入ってしまう。ズーを演じるのはケイト・ハドソンだが、最初彼女だと分からなかったほどの異様な外見でびっくりした。気が付けば彼女も中年に達しており、思い切った役柄への挑戦も評価したい。

 エボ役のレスリー・オドム・Jrも良いのだが、驚愕すべきはミュージックに扮したマディ・ジーグラーである。本当にメンタルに問題を抱えているのではないかと、観ていて焦ったほどだ。この演技力とルックスの良さ、そして2002年生まれという若さは、今後の活躍を期待させる。本年度の新人賞の有力候補だ。セバスティアン・ウィンテロによる撮影、ライアン・ハフィントンの振り付け、いずれも言うことなしである。
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「ラストナイト・イン・ソーホー」

2022-01-17 06:26:27 | 映画の感想(ら行)

 (原題:LAST NIGHT IN SOHO)スタイリッシュな怪異譚で、とても楽しめた。終盤の処理などには不満がないでもないが、最後まで観客を惹き付ける演出の力と、魅惑的なエクステリアが大いに場を盛り上げる。さらには、絵になるような面子を集めたキャスティングも効果的だ。

 60年代ファッションが大好きで、デザイナー志望のエロイーズはデザイン専門学校に入学するため田舎からロンドンに出てくる。だが、意地悪な同級生が多い寮生活になじめない彼女は、ソーホー地区にある古いアパートで一人暮らしを始める。新居で眠りに着くと、夢の中では彼女は60年代のソーホーにいて、歌手を夢見るサンディと身体も感覚もシンクロしてしまう。

 そういう夢を毎晩見るようになったエロイーズは所謂“見える子ちゃん”で、実家ではすでに世を去った母の亡霊と生活を共にしていた。そんな彼女にとってサンディの存在は実生活にもインスピレーションを与え、学校の実習でも好成績をあげ始める。ところがある日、夢の中でサンディが殺されるところを目撃してしまう。さらに現実でも、悪霊らしきものがエロイーズの周囲をうろつくようになり、次第に彼女は追い込まれてゆく。

 とにかく、エロイーズの夢の描写が出色だ。彼女は鏡の中やナイトクラブでのダンスシーンなどでサンディと入れ替わるのだが、そのタイミングとカメラワークには細心の配慮が成されており、文字通り夢幻的な世界に観る者を呼び込む。加えて時代を感じさせる美術や大道具・小道具がの配置が巧みで、必ずしも時代考証は正確ではないが、まさに“あり得たかもしれない別世界の60年代”を再現することに成功している。

 また、単にノスタルジック風味のホラー編に留まらず、女性が理不尽に虐げられていた60年代の残滓が今でも存在しているというジェンダー関連のネタが、無理なく織り込まれていることにも感心する。ラスト近くで明かされる“事件の真相”はけっこう無理筋で、こんなことが実際に起こっていて発覚しないわけがないのだが、そこは勢いで乗り切ってしまう。

 監督のエドガー・ライトは達者なストーリーテラーぶりを発揮。思わせぶりなネタを振りまきながら、実は別方向に物語を持って行くという、そのメリハリを付けた作劇はまさに職人技。そしてトーマシン・マッケンジーとアニャ・テイラー=ジョイのダブル・ヒロインが最高だ。「ジョジョ・ラビット」でも才能の片鱗を見せていたマッケンジーは、ここでは内面の動きにより外観が大胆に変化する卓越したパフォーマンスを見せる。元よりかなり可愛いし、ブレイク必至の逸材だ。

 テイラー=ジョイは初めて見る女優ながら、実にヤバそうなオーラをまとい、観る者を挑発する。テレンス・スタンプにダイアナ・リグ(この映画が遺作)、リタ・トゥシンハムといったベテランから、マイケル・アジャオにシノヴェ・カールセンらの若手まで、皆よく機能している。60年代サウンドを中心とした音楽も要チェックだ。
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「レインボウ」

2021-12-12 06:24:21 | 映画の感想(ら行)
 (原題:The Rainbow )89年作品。英国の異能監督として名高いケン・ラッセルの作品としては珍しく、真っ当な文芸作品としての体裁を取っている。ただし、それだけ他の諸作と比べてエキセントリックさが大きく出ていないということでもあり、このあたりの評価は微妙なところであろう。個人的には、ラッセル映画に大きく“期待”することをひとまず脇に置けば、取りあえず楽しめる作品であると思う。

 19世紀末のヴィクトリア朝時代のイギリス。片田舎で育った少女アーシュラは、保守的な考え方を持った両親の思惑とは裏腹に、自由な生き方に憧れていた。まず彼女が影響を受けたのは女教師ウィニフレッドだったが、その先進的な振る舞いとは大違いの、炭鉱成金と結婚して平凡な主婦になることを選んだウィニフレッドにアーシュラは失望してしまう。



 そんな彼女の前に現われたのは、ボーア戦争に参加していた軍人のアントンだった。彼のことが好きになったアーシュラは数年後に軍役を終えたアントンと結婚するが、何か物足りなさを感じてしまう。デイヴィッド・ハーバート・ローレンスによる同名小説の映画化だ。

 原作は読んでいないが、親子三代にわたる大河ドラマということなので、本作はその一部を映像化したものであろう。ただしこれは結局“自由に生きようとしたが、確固とした自我が培われないまま彷徨するヒロイン”の話としか思えない。映画の後半になっても、アーシュラには筋の通ったポリシーと、それを実現するための方法論が見えてこない。ウィニフレッドとの体験談から一歩も外に出ていないように見えるのだ。

 しかしながら、ラッセル監督には主人公の自立を促すような“女性映画”のルーティンは似合わない。文芸もののエクステリアを採用しながら、巧妙に自身の“趣味”を挿入していくことに興味があったと思われる。その最たるものがアントンの造形で、裸でワインのコルクを抜こうとするシーンとか、実に変態っぽいテイストが醸し出されている(笑)。

 主役のサミ・デイヴィスは好演で、ちょいとヤバい場面も難なくこなす。アマンダ・ドノホーやグレンダ・ジャクソン、ポール・マッギャンなど他のメンバーも監督の“無茶振り”に上手く対応。カール・デイヴィスの音楽とビリー・ウィリアムスによる撮影は格調が高く、雰囲気作りに貢献している。
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「レッド・ノーティス」

2021-12-05 06:29:55 | 映画の感想(ら行)
 (原題:RED NOTICE)2021年11月よりNetflixで配信。ドウェイン・ジョンソンにライアン・レイノルズ、そしてガル・ガドットというキャストによるアクション・コメディ。この顔ぶれから想像出来るような、非常に“ユルい”シャシンである。真面目に対峙するような映画ではないと、割り切った上で接するのが正しい(笑)。例えるならば、日曜日の午後に時間を持て余しているときに眺めるのにはもってこいだ。

 FBIの凄腕捜査官であるジョン・ハートリーは、エジプトの秘宝である三体の“クレオパトラの卵”を世界的な美術品泥棒のノーラン・ブースが狙っていることを察知し、厳重な警備体制を敷く。ところがノーランはその裏を掻い潜り、獲物を強奪。ジョンは彼を追跡するが、いつの間にかもう一人の大泥棒であるビショップの罠にはまり、共に逮捕されて収監されてしまう。何とか脱獄に成功した2人は、今後こそビショップの鼻を明かすために、立場の違いを超えて協力することになる。



 見た目はハデな立ち回りが連続するにも関わらず、誰も死なないし、大ケガもしない。主人公たちが放つ脱力系のギャグと、大して緊張感のない追っかけシーン、そしてすぐに底が割れるような騙し合いという、ライトなモチーフが果てしなく積み上げられる。ならば全然面白くないのかというと、そうでもない。前述の3人のリラックスしきったような佇まいを見ているだけで、何だか得したような気分になってくるのだ。

 脚本も担当したローソン・マーシャル・サーバーの演出はドラマが破綻しない程度の平常運転で、文句のつけようがない(笑)。リトゥ・アリヤやクリス・ディアマントポロス、ヴィンチェンツォ・アマート、パスカル・ペタルディといった脇の面子もイイ味を出している。

 そして何より、舞台がワールドワイドであり、観光気分も味わえる。この分ならばいくらでも続編は作れそうだ。あと、エド・シーランが本人役で出ていたのにはウケた。なお、題名の“レッド・ノーティス”とは、インターポールが加盟国の申請により発行する通知のことらしい。今回初めて知った次第だ。
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「レミニセンス」

2021-10-18 06:30:47 | 映画の感想(ら行)
 (原題:REMINISCENCE)記憶に潜入するエージェントを主人公にした映画ということで、クリストファー・ノーラン監督の「インセブション」(2010年)やダンカン・ジョーンズ監督の「ミッション:8ミニッツ」(2011年)のようなトリッキィでスリリングな作品かと思ったら、そうでもない。また、カネを掛けた超大作でもなく、ハリウッド基準から言えばB級だろう。ただし、映像は魅力的でキャストの仕事ぶりは申し分なく、それほど観て損した気はしない。



 温暖化によって海面が大幅に上昇し、大半の都市が水浸しになった近未来。マイアミに住む元軍人のニックは、世界的な大戦の副産物として開発された“記憶を3D映像化する装置”を操る“記憶潜入(レミニセンス)エージェント”として生計を立てていた。あるとき検察局から、重傷のギャングの記憶に潜入して組織の正体を突き止めて欲しいという依頼を受ける。ニックはその記憶の映像を見て驚く。なぜなら、そこには以前彼の常連客だった女性歌手メイが“登場”していたからだ。行方が分からなくなった彼女を探すべく、ニックはギャングのアジトに乗り込む。

 記憶の映像化は別に凝ったところは無く、当事者の“回想場面”が流れるだけだ。しかし、そこには本人も気が付いていない情報が織り込まれているという設定は面白い。メイは初めは忘れものを探すためにニックの仕事場に来店するのだが、このマシンさえあれば本人が失念していた事物を“再現”することが出来るだろう(実に便利だ ^^;)。



 中盤にはアクションシーンやチェイス場面などがあるのだが、物語の主眼はニックとメイのラブストーリーだ。ニックの彼女に対する一途な想いは、まあ観ていて恥ずかしくなってくるほどだが(笑)、けっこうサマになっている。もっとも、その執着ぶりは仕事のパートナーであるエミリーも呆れるほどなのだが、そんな彼のスタンスは終盤になっても揺るがない。パッと見た感じは女々しいとも思えるが、これはこれで良いのではないかと合点してしまう。

 リサ・ジョイの演出は色恋沙汰の描写には非凡なものを見せ、最後までロマンティックな雰囲気が充満する。主演のヒュー・ジャックマンのキャラクターはこういうネタではワイルド過ぎると思わせるが、健闘していると思う。メイに扮するレベッカ・ファーガソンが意外に歌が上手いのには驚いたし、タンディ・ニュートンやクリフ・カーティス、ダニエル・ウーといった脇の面子も悪くない。そして何より、ポール・キャメロンのカメラによる水に沈みかけた町の造型は絶品で、これをチェックするだけでも観る価値はある。
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「ライトハウス」

2021-08-16 06:41:52 | 映画の感想(ら行)
 (原題:THE LIGHTHOUSE)観る者の神経を逆撫でする、かなり暗くマニアックなシャシンだが、個人的にはこういうテイストの映画は嫌いではない。作者が脇目もふらずに自らの世界に耽溺している点は、ある意味天晴れだ。キャストの演技や映像、美術に関しては高いレベルに到達しており、十分に観る価値はある。

 1890年代のメイン州の孤島。そこには灯台があり、4週間交代で2人ずつの灯台守が設備の管理を受け持っていた。今回ペアを組むことになったベテランのトーマス・ウェイクと未経験の青年イーフレイム・ウィンズローは、当初から良好な関係性を築くことが出来ず、何かといえば対立するばかりだった。任期が終わりに近付いたある日、大嵐が島を襲う。そのため帰りの連絡船が島にやってくることは叶わず、2人は島に閉じ込められてしまう。



 極限状態に置かれた者たちが、次第に正気を失ってゆくという筋書きはさほど珍しいものではないが、この映画は随所に巧妙なプロットや映像的ギミックを挿入することにより、作品世界に奥行きを持たせている。灯台の最上階、つまり光源のある場所にはウェイクはウィンズローを決して入らせない。そしてウェイクは時折一人そこに籠り、恍惚の表情を浮かべる。

 またウィンズローか見る幻覚の中には人魚をはじめとするクリーチャーが登場するが、それにはすべて神話的なバックボーンが付与されている。さらに、イーフレイムは偽名であり、実はファーストネームはウェイクと同じトーマスであることが発覚するに及び、物語自体の構造が根底から揺らぐことになる。そのため終盤の展開にはいくつもの解釈が可能になり、一筋縄ではいかない様相を呈してくる。

 ドイツ表現主義を思わせる灯台の造形や、怪物のうめき声のように大音量で響く霧笛、この世の果てのような島の風景もさることながら、重要なモチーフとなる海鳥の群れの不気味さは特筆ものだ。よくもまあ、ここまで生き物を手懐けて撮ったものだと感心する。ロバート・エガースの演出は粘り付くようなタッチで、登場人物の内面をジリジリと焙り出してゆく。その容赦のなさは観ていてある種の爽快感を覚えるほどだ(笑)。

 キャストのロバート・パティンソンとウィレム・デフォーのパフォーマンスは、彼らの大きなキャリアになることは必至で、とにかく圧倒される。ジェアリン・ブラシュケのカメラによる映像は、35ミリのモノクロ・フィルムによるもので、画面もほぼ正方形。そのためシネスコやビスタのサイズに見慣れた観客にとって、圧迫感はかなりのものだ。また、それが作品のカラーと合致していることは言うまでもない。マーク・コーベンの音楽も実に効果的だ。
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「楽園の夜」

2021-08-01 06:15:56 | 映画の感想(ら行)

 (英題:NIGHT IN PARADISE )2021年4月よりNetflixより配信。なかなか良く出来た韓国製ノワール映画だ。後半の作劇にもうひとつ工夫が必要だったとは思うが、それでも観る者に最後まで緊張感を持たせるパワーは大したものである。非コンペティション扱いながら第77回ヴェネツィア国際映画祭に出品され、好評を博したというのも納得だ。

 パク・テグはソウルの暗黒街で名の知れた凄腕だった。ところがある時、組織抗争の巻き添えになり彼の姉と幼い姪が命を落としてしまう。怒ったテグは、手を下したと思われる敵対組織の幹部を襲撃する。彼のボスであるヤン社長は、騒ぎが大きくなることを恐れてテグにしばらく済州島に身を隠すように要請する。

 そこには心に傷を抱え、しかも薬物中毒で余命幾ばくも無い若い女ジェヨンが彼を待っていた。反発しながらも距離を縮めていく2人だったが、一方でヤン社長と対立組織のマ理事との間で“手打ち”が成立。テグを抹殺することで一件落着にすることを決めた両組織の構成員たちが、済州島に大挙して押しかけてくる。

 まず、キャラクターの造型が素晴らしい。義理と人情に縛られながらも自身の筋を通そうとして、かえって窮地に追いやられるテグの佇まいは、人生全て投げてしまったような潔さと美学に溢れていて圧巻だ。演じるオム・テグの表情と仕草はいちいちサマになり、セリフも決まっている。残り少ない命を完全燃焼させることに何の躊躇も無いジェヨンの、強固な意志と鋭い眼差しにもシビれる。扮するチョン・ヨビンは化粧っ気のない顔と蓮っ葉な言動に徹しているが、これが実に硬質な魅力を発散され画面から目が離せない。

 パク・フンジョンの演出は切れ味が鋭く、特に活劇シーンのヴォルテージの高さには感服するしかない。また、キム・ヨンホのカメラによる済州島の風景は清涼で、これをチェックするだけで得した気分になる。

 なお、北野武作品との共通性はすでに指摘されており、特に「ソナチネ」(93年)と比較されるのも頷ける。しかし、あくまでも冷たく乾いた世界を創出する北野映画に対し、この「楽園の夜」は画面はクールながら登場人物たちの情念は実に熱い。韓国映画の特質を見るような気がした。主演2人以外のキャスト、チャ・スンウォンやイ・ギヨン、パク・ホサン、イ・ムンシクといった面々も、それぞれ持ち味を十分に出している。
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