ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

2046、あと1回

2013年10月21日 | Weblog
ボストン・レッドソックスがア・リーグ優勝を決めました。
優勝を決めた瞬間マウンドにいたのはやはり、抑えの切り札上原浩治投手でした。
地区優勝を決めたとき、リーグ優勝決定シリーズ進出を決めたときと同じシーンで録画を見ているようでした。
3勝2敗で迎えた第6戦は地元で行われ、この日もフェンウェイ・パークでは「スウィート・キャロライン」の大合唱が起こりました。

最後のバッターを三振に打ち取った瞬間(左)、輪になって喜ぶレッドソックスナイン(右)
上原投手はリーグチャンピョンシップMVPに選出されました。
2009年のワールドシリーズMVPに輝いた松井秀喜氏以来、日本人2人目のポストシーズンMVP獲得です。
次はワールドシリーズで、もう1回同じシーンが見られるか?

2045、朔太郎音楽祭

2013年10月20日 | Weblog

昨日19日(土)「~マンドリンのまち前橋~朔太郎音楽祭」がありました。
前橋市が生んだ詩人・萩原朔太郎(1886-1942)がマンドリンを愛していたことにちなんで、生誕120年にあたる2006年から毎年行われています。
前橋市にはマンドリンの団体が多くあり、昨日は高校生や社会人など7団体が出演しました。
私が所属する合唱団も朔太郎の詩に曲を付けた歌を何曲か歌いました。
去年に続いての出演でした。

朔太郎の詩に「帰郷」があります。
「わが故郷に帰れる日
汽車は烈風の中を突き行けり。
ひとり車窓に目醒むれば
汽笛は闇に吠え叫び
火焔(ほのほ)は平野を明るくせり。
まだ上州の山は見えずや。」

上は「帰郷」の一部で、この部分に曲が付いています。
「まだ上州の山は見えずや。」というフレーズは群馬県人にとって実感があります。
歌もこの部分を2回繰り返します。
上野発の電車(朔太郎の頃は汽車)に乗って高崎線を走ると途中で上州の山並みが見えてきます。
車窓から「赤城山」、「榛名山」。「妙義山」の上毛三山が見えると「故郷に帰ってきたんだな」と実感します。
私も学生時代、年に何回か前橋に帰りましたが上州の山並みが見えるとホッとしたものです。
今は沿線に住宅が並んでいますが45年前は家もまばらで、田園風景が広がっていました。
各駅停車だと高崎まで約2時間半。(前橋は高崎で両毛線に乗り換えるので3時間くらいかかる)
今は新幹線もあり1時間足らずです。
朔太郎の時代は3時間以上かかったと思います。
「帰郷」は昭和四年の冬、妻と離別し二児を抱へて故郷に帰る汽車の中で詠んだものです。


萩原朔太郎生家跡、前橋市街地のほぼ中央にあります
県庁からの眺めも参照(朔太郎の生家跡は県庁まで500メートル)

2043、スウィート・キャロライン

2013年10月18日 | Weblog
米上院は16日の本会議で、次期駐日大使に故ジョン・F・ケネディ元大統領の長女キャロライン・ケネディ氏(55)を起用する人事案を全会一致で可決しました。
初の女性駐日米国大使として11月15日ごろ日本に着任する方向で調整が進められています。
11月15日と言えば父親の故ケネディ元大統領が暗殺された11月22日の1週間前で、事件のあった1963年からちょうど50年目の節目の年でもあります。
父の葬儀に参列した時のあどけない顔は今も覚えています。(現在55歳なので当時は5歳)

「スウィート・キャロライン」という歌があります。
エルヴィスのステージでは必ず歌われていました。
私もエルヴィスの歌で知り、好きなエルヴィスの曲ベスト5に入っています。
大リーグボストン・レッドソックステーマソングとして球場でよく歌われています。
その他、いろんなところで歌われ、アメリカではかなり有名です。
オリジナルはニール・ダイアモンドの曲で、1969年にシングルがリリースされました。
キャロラインちゃんはホワイトハウスの庭でよくポニーに乗っていたそうですが、その写真が LIFEの表紙を飾ったことがあります(1962年9月7日号)。
この乗馬服姿からインスピレーションを受けたニールは、メンフィスのホテルで「スウィート・キャロライン」を1時間で書き上げたたそうです。
これを公表したのは2007年のインタビューで、2007年にキャロライン氏本人にそのことを伝えたそうです。
それまでは「スウィート・キャロライン」のキャロラインが誰のことか、誰も知りませんでした。
エルヴィスも知らずに歌っていたと思います。?

ケネディ駐日大使が《スイート・キャロライン》になるか、《ビター・キャロライン》になるか?
状況によっては後者になる可能性も?
親日家のケネディ氏によって日米の友好関係が深まることを願います。

*ニール・ダイアモンドがLIFE誌の表紙から受けたインスピレーションは、「甘い」というより「かわいらしい」という感じだったと思います。

2042、実感

2013年10月17日 | Weblog
昨日「朝6時の前橋は大雨だが風は予想したほどではない」、と書きました。
10年に1度の大型台風に実感が湧きませんでしたが、被害の実態が明らかになるにつれ、大型台風だったんだなと実感しました。
台風が関東南岸を通過したので千葉、東京、神奈川などの南関東で大きな被害が出ました。
特に伊豆大島では観測史上最大の雨が降り、山崩れによる土砂災害などによって17人が死亡し41人の安否が不明です。(17日午前6時現在)
伊豆大島は周囲を海に囲まれた島なので降った雨は海に流れ、雨には強いと言われてきましたが、今回の雨は想像を絶する雨だったようです。

山崩れ(左)、土砂災害による家屋の倒壊(右)


前橋は朝9時頃には雨が止んで晴れてきましたが雨が止んだ後、風が強くなってきました。

パソコン教室の窓から16日午後1時ごろ撮った赤城山です。
まだ雲が残っていますが、その後快晴になりました。

2041、10年に1度

2013年10月16日 | Weblog
台風26号が関東地方に接近中です。
10年に1度の大型台風で交通機関が運休したり、各地で被害が出ています。
前橋の現在(6:00am)は雨が激しく降っていますが、風は予想したほど強くありません。
昨日朝、トマトの雨除けなどを片付けましたが昼前から雨が降ってきました。
去年6月には倒壊しました。


昨日17時の雨雲を見ると日本列島をすっぽり覆っています。(weathernewsより)
あのカトリーナにも匹敵する大きさだそうです。

2040、国がだめなら

2013年10月15日 | Weblog
米政府機能の一部停で今月1日から全米の国立公園などの閉鎖が続いていますが自由の女神、グランドキャニオンなどが再開されました。
ワシントンの国会では混乱が続き、打開のめどは立っていません。
国がだめなら州、自治体、個人で何とかしようとする動きが広まっています。
自由の女神は州が人件費などの運営費を負担し、13日に再開されました。
アリゾナ州もグランドキャニオン国立公園の入場を再開しました。
地元自治体も費用の一部を負担し、個人の寄付なども集まっているようです。
その他の州も、国立公園を部分的に再開しました。
しかし、負担が大きく限定的な再開となります。
全面再開には政府のごたごたが解決されなければなりません。
2030、決断


自由の女神の再開を喜ぶ観光客

2039、ビッグバンド

2013年10月14日 | Weblog
東京でプロのトランぺッターだった友人が地元高崎でビッグバンドを作りました。
6月に結成し、昨日お披露目のダンスパーティを開きました。
ワルツ、タンゴ、ブルース、ルンバ、ジルバなど20曲ほど演奏し、200人を超える人たちが華麗(?)なステップを披露しました。
ダンスをしている知り合い数人と行きました。
私はダンスをしないので演奏を聞いていました。
ほとんどの曲は演奏が始まると題名が浮かんで学生時代に演奏したことがありました。

10日ほど前に上毛新聞に載った写真で、昨日は30人位の文字通りビッグなバンドでした。(指揮をしているのが友人
学生時代も一緒にビッグバンドを作ってダンスパーティなどをやっていましたが私はダンスは苦手でした。

2038、2日連続

2013年10月13日 | Weblog
11日に観測史上最も遅い真夏日を記録した東京都心は12日も真夏日(最高気温31.3度)を記録し、2日連続の記録更新です。
このブログを書いている13日朝5:30は寒いくらいで、コタツが恋しくなってきました。

12日(土)、13日(日)に前橋祭りが行われています。(昼は暑かった)
12日に別の用事で近くに行ったので見てきました。

8月に福知山市の花火大会で起きた火事のせいか(?)、去年より屋台の出店が少なかったみたいです。(規制が厳しくなった?)
警察官が見回りに来て消火器などを点検していました。


市内の小学生のパレード。(2日間で50校以上が出場)
太鼓やスーザフォンが重そう。
我家の子供たちも小学生の頃参加しました。


ホールでは市内の中学生の演奏もありました。
あまちゃん」のテーマ曲を演奏する学校が多くありました。

*スーザフォン:100曲以上の行進曲を作曲したことから、マーチ王と呼ばれるジョン・フィリップ・スーザが自ら考案したチューバの一種で、パレードでは映えます。
スーザ作曲の《星条旗よ永遠なれThe Stars and Stripes Forever》、《ワシントン・ポスト》、《美中の美》などは運動会などで聞いたことがあると思います。
私はこれ等の曲は日本、アメリカでも何度も演奏しました。

2037、98年ぶり

2013年10月12日 | Weblog

昨日10月11日午後1時過ぎ、東京都心は30度を超え(最高気温30.2度)、観測を開始した1875(明治8)年以降、最も遅い真夏日となりました。
これまで最も遅かった東京都心の真夏日は、1915(大正4)年10月9日で、98年ぶりに記録を塗り替えました。
統計を取り始めた1875(明治8)年以来、138年間で最も遅い真夏日でした。
明治8年と言えば、先週の大河ドラマよりも古い時代です。

昨日、8月のオリンピック開催は暑さ対策が必要だ、と書きましたが10月も暑さ対策が必要です。
今日の東京都心の最高気温予報は30度で、2日連続で記録更新なるか?

昨日畑に行きました。
7時頃は小雨、その後霧雨、曇り、昼から晴れて暑くなりました。
今日もこれから畑に行きます。(6:00am)