ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

2045、朔太郎音楽祭

2013年10月20日 | Weblog

昨日19日(土)「~マンドリンのまち前橋~朔太郎音楽祭」がありました。
前橋市が生んだ詩人・萩原朔太郎(1886-1942)がマンドリンを愛していたことにちなんで、生誕120年にあたる2006年から毎年行われています。
前橋市にはマンドリンの団体が多くあり、昨日は高校生や社会人など7団体が出演しました。
私が所属する合唱団も朔太郎の詩に曲を付けた歌を何曲か歌いました。
去年に続いての出演でした。

朔太郎の詩に「帰郷」があります。
「わが故郷に帰れる日
汽車は烈風の中を突き行けり。
ひとり車窓に目醒むれば
汽笛は闇に吠え叫び
火焔(ほのほ)は平野を明るくせり。
まだ上州の山は見えずや。」

上は「帰郷」の一部で、この部分に曲が付いています。
「まだ上州の山は見えずや。」というフレーズは群馬県人にとって実感があります。
歌もこの部分を2回繰り返します。
上野発の電車(朔太郎の頃は汽車)に乗って高崎線を走ると途中で上州の山並みが見えてきます。
車窓から「赤城山」、「榛名山」。「妙義山」の上毛三山が見えると「故郷に帰ってきたんだな」と実感します。
私も学生時代、年に何回か前橋に帰りましたが上州の山並みが見えるとホッとしたものです。
今は沿線に住宅が並んでいますが45年前は家もまばらで、田園風景が広がっていました。
各駅停車だと高崎まで約2時間半。(前橋は高崎で両毛線に乗り換えるので3時間くらいかかる)
今は新幹線もあり1時間足らずです。
朔太郎の時代は3時間以上かかったと思います。
「帰郷」は昭和四年の冬、妻と離別し二児を抱へて故郷に帰る汽車の中で詠んだものです。


萩原朔太郎生家跡、前橋市街地のほぼ中央にあります
県庁からの眺めも参照(朔太郎の生家跡は県庁まで500メートル)