ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

244、ニューヨーク総領事館

2008年11月20日 | Weblog
アストリアホテルのすぐ南、パークアベニューの48~49丁目にあるビルの18、19階にConsulate General of Japan (在ニューヨーク日本国総領事館)があります。
大使館と領事館はどう違うのだろう?と思っていましたが、
大使館は「外交」を担当し、相手国の首都に置かれています。
アメリカはワシントンDCにあり、政府間の交渉の役割を担っています。
総領事館の最大の仕事は、自国民の保護と生活に必要な手続きの代行を行います。
アトランタ、サンフランシスコ、シアトル、シカゴ、デトロイト、デンバー、ニューオーリンズ、ニューヨーク、ハガッニャ(グアム)、ヒューストン、ポートランド、ボストン、ホノルル、マイアミ、ロサンゼルスに在ります。
①管轄地域に滞在している日本人の安全確保。
②その地域に滞在している日本人の戸籍、国籍、旅券、各種証明、国政選挙等に必要な手続き。
③この地域から日本を訪問しようとしている外国人に対する査証発給手続き。
④、その他、情報収集、国際交流、広報などの幅広い仕事をしているようです。
私もパスポートの更新や、子供の出生届けを出したときなどに行きました。
以前は子供は親との併記が認められていたので、私の家も母親と一緒のパスポートを使っていましたが、最近は併記制度が廃止され、新生児も単独のパスポートを取得する必要があるようです。
また、アメリカに滞在する日本人は毎年在留届を提出しなければなりません。
その地域に滞在している日本人を把握しておかなければ自国民の保護という最大の仕事を遂行するのに支障があります。
しかし毎年在留届を出す人は少なく、私も何回か出しましたが毎年は出しませんでした。
総領事館に行くと、日本に旅行しようとするアメリカ人などが来ていました。

243、アストリアホテルのロビー

2008年11月19日 | Weblog
建物の随所に当時流行のアール・デコ様式が取り入れられていて、アメリカの歴史的建築物に指定されています。
写真はホテルのロビーで、その奥には大きなボール・ルームがありパーティーや公演などが行われます。
私もこのボール・ルームで行われたパーティー(晩餐会)に出席したことがありますが、円形のテーブルが100個くらい並べられ、それぞれに10人くらいが座り、フルコースのサービスを受けます。

242、ウォルドルフ・アストリアホテル

2008年11月18日 | Weblog
パーク・アベニュー~レキシントン・アベニュー、49~50丁目の1ブロック全てを占める超高級ホテルです。
ニューヨークを訪れる歴代アメリカ大統領や日本の首相など各国の政財界の要人が宿泊するので有名なホテルで、昭和天皇も宿泊されました。
1949年に大手ホテルチェーンのヒルトンホテルズに買収されましたが、名前はそのままです。
写真はパーク・アベニューの49~50丁目にある正面玄関です。

240、グランドセントラル駅の南

2008年11月16日 | Weblog
写真はパーク・アベニューを北から走ってきた車がビルの中に入り、脇を通ってグランドセントラル駅の南に来たところです。
40丁目辺りまで、パーク・アベニューが高架になっています。
38丁目辺りから地上に戻ります。
 *南から北に向かう逆のコースもあります。
  239、はグランドセントラル駅の北からの写真。
  240、はグランドセントラル駅の南からの写真。

238、道の上にビル

2008年11月14日 | Weblog
「237、メットライフ・ビル」でパーク・アベニューを歩いていると正面にメットライフ・ビルが見える、と書きましたが、このビルは道の上に建っています。
ニューヨークの通りは碁盤の目になっていて、建物は通りに沿って建てられています。
しかし、グランドセントラル・ターミナル、メットライフ・ビル、ヘルムズリー・ビルはパーク・アベニューを跨ぐ形に建てられています。
メットライフ・ビルは他の2つの建物より高いので、頂上付近にあるMetLifeのロゴ(以前はPAN AM)がはっきり見えます。

マンハッタンのアベニューは一方通行になっていますがパーク・アベニューは両面通行です。
その名の通り真ん中に植え込みがあり、木や花が植えられていて四季折々の姿を見せてくれます。
図はグランド・セントラル駅周辺で、北から(右が北)車で走ってくるとヘルムズリー・ビルの下に入り、坂を上ってビルの横に回りこみ(ここは10m位高くなっている)、坂を下ってパーク・アベニューに戻ります。
したがって、42丁目にあるグランド・セントラル駅の入口はパーク・アベニューの下になります。
 *記憶を基に描いた図なので細部における食い違いがあるかもしれませんが、イメージ的にはこんな感じです。


237、メットライフ・ビル

2008年11月13日 | Weblog
パークアベニューを歩いていると正面にメットライフ・ビル (MetLife Building)が見えます。
パンアメリカン航空(パンナム)の本社ビルとして1963年3月7日にオープンし、パンナム・ビル (Pan Am Building) としてニューヨーカーに親しまれていました。
ビルの北側と南側に「PAN AM」の文字が鮮やかでした。
ニューヨークは町の景観を保つため、一部の地域を除いて看板やロゴなどは制限されているので「PAN AM」のロゴは目立ちます。
世界の航空業界をリードしていたパンナムの繁栄の象徴でした。
しかし、1970年代後半になるとパンナムの経営は悪化し、ビルを売却せざるを得なくなります。
1981年、メトロポリタン・ライフ生命保険 (Metropolitan Life Insurance Company、メットライフ)がビルを買収し、1991年にパンナムが事業を停止したのに伴い「PAN AM」ロゴを「Met Life」に変えました。

写真の左がメットライフ・ビル、右がパンナム・ビルです。
と言っても同じビルでロゴが違うだけです。
摩天楼の中でもひと際目立っています。

236、グランド・セントラル駅入口

2008年11月12日 | Weblog
42丁目、Park Aveの正面入り口を飾る彫刻です。
これを見ただけでもグランド・セントラル駅が歴史的建造物であることが分かります。
後ろに見えるのはメットライフビル (MetLife Building) で、かつてパンナムビル (Pan Am Building) と呼ばれ、ニューヨークの名物ビルでした。
日本でも相撲の優勝者にトロフィーが送られるなど馴染みのある会社でしたが、1981年にメトロポリタン・ライフ生命保険 (Metropolitan Life Insurance Company、メットライフ)がパンナムからビルを買収しました。
パンアメリカン航空は1991年12月に破産しました。

235、グランド・セントラル駅を救ったジャクリーン

2008年11月11日 | Weblog
234、グランド・セントラル」で書きましたが、荘厳で美しい歴史的建造物であるグランド・セントラル駅が危機に陥ったことがあります。
この建物を取り壊し、近代的な駅ビルを建設しようとする計画が持ち上がりました。
このとき建物の歴史的価値を訴え、取り壊しに反対した一人にジャクリーン・ケネディー・オナシスがいます。
彼女たちの尽力によって歴史的建造物は救われ、今もその美しい姿を見ることが出来ます。

彼女はマンハッタンの5番街、82と83丁目の間にあるマンションに住んでいました。
ここはメトロポリタン美術館の真正面に位置していて、セントラル・パークが目の前に見えます。
近くの池の周りをよくジョギングしていたのでJacqueline Kennedy Onassis Reservoirと名付けられました。
「13、セントラル・パークの主な施設」を参照

写真はメトロポリタン美術館の正面で撮ったもので右に写っている青い屋根のマンションにジャクリーン(1994年没)は住んでいました。
周りのビルに比べ小じんまりしていますが、風格があります。
タクシーが走っているのは5番街です。
  *敬称略