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シュリーマン旅行記清国日本3 江戸
そんな不潔な清国をほうほうの体で脱出して辿り着いた日本をシュリーマンは絶賛している。彼によると日本人は世界で最も清潔な国民であり、それは街の様子や日本人の服装だけではないという。たとえば、賄賂の授受は当時の未開発国では当然の現象であったが日本では違った。シュリーマンが横浜港に到着したとき、彼の荷物を埠頭に運んでくれた船頭は、わずか4天保銭(13スー)しか受け取らなかった。もしも天津のクーリーだったらその4倍は平気で吹っ掛けただろうとシュリーマンは記している。(https://www.toyo-sec.co.jp/china/column/yawn/pdf/r_098.pdfひと息コラム『巨龍のあくび』から一部引用させていただきました。)
大政奉還明治維新から凡そ151年前当時の日本人の気質を訪れた外国人の書簡から洞察した渡辺京二先生の「逝きし世の面影」でもその清潔さは世界でどの国よりも進んでいた。それは教育に限らず、当時の江戸は上水道は、井之頭から水道を引いていたのである。1590年徳川家康の名を受け、大久保藤五郎が引いたものだ。玉川上水とともに二大上水道と呼ばれている。関ヶ原の合戦前に既に引いていたとは驚くばかりである。江戸には下水道はなく、糞尿は船で千葉に送られ肥やしとなり、作物となって船で江戸に戻ってきたのである。欧州の傘を持ち歩く習慣は雨ではなく、フランスなどは2階から糞尿を撒いたのを避けるためのものだったとも聞く。そのくらい鎖国していたこの東アジアのちっぽけな島国はすすんでいたのである。
話は、うんこだった、、、。
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