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コロナ共存の広告表現の近未来観

糞国家の大腸菌度⑴

2019-09-06 19:38:37 | 今そこにあるメディアのリスク

 

大腸菌が基準値超え・・・トライアスロンでスイム中止(19/08/17)

 

来年のオリンピックに向けて、トライアスロンでは大腸菌が異常に多く、また屎尿の匂いの中選手を泳がせるとは、「おもてなしではなく、ヒトデナシ国家」といえよう。


糞尿で思い出したのが、清国にいた頃の小村寿太郎の書簡であった。それはまさしく、糞尿弾と言えよう。トロイの遺跡を発見したシュリーマンも中国と日本を訪れている。

「シュリーマンは貿易事業から撤退し、遺跡発掘の準備をしていた1865年、突如世界漫遊の旅に出かける。

 

シユリーマン旅行記清国日本1 北京~万里の長城~上海

 

そして、その途上に立ち寄った清国と日本(明治維新の3年前)の記録が本書である。この旅行記で感心するのはシュリーマンの貪欲な好奇心と極めて細かい観察力である。北京の家は全て二階建ての石造り、道路側に窓がある。もしその家が商店であれば、奇怪な怪物や龍を巧みに描いた彫刻で飾られている。その北京には三つのエリアがある。皇帝の街、韃靼人の街、そして漢人の街。欧米のオペラは舞台と平行に客席が設けられ、そこで観客は静かに劇を楽しむが清国は違う。この国では舞台と直角の向きに客席が配置される。そのテーブルには酒やお茶、饅頭や向日葵の種などが並べられ、観客は飲み、食い、齧り、騒ぎながら劇を楽しんでいる。シュリーマンの緻密な観察は風景・風俗・遺跡等に広く及んでおり興味深いものがある。彼は香港から天津経由で北京に入り、万里の長城を見るためであった。シュリーマンも中国の街の不潔さには辟易したようで、「ぞっとするほど不潔な天津の街角で、犬と豚と人が糞尿を争う」場面は、「坂の上の雲」における小村寿太郎(当時清国代理公使)の指摘とぴったり一致している。小村が北京に駐箚したのが日清戦争の1894年であり、不潔な街並みは爾後30年も改善しなかったらしい。(https://www.toyo-sec.co.jp/china/column/yawn/pdf/r_098.pdfひと息コラム『巨龍のあくび』から一部引用させていただきました。)



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