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コロナ共存の広告表現の近未来観

CGの追憶と日本のアニメ(2)

2016-11-27 21:28:51 | メディアの一向一揆







国内にあるあらゆる情報を収集して「もうこれ以上はない!」で多くの研究所や大学にも参りました。そこで得た物は大きな知識の財産です。




先日NHK スペシャル「終わらない人 宮崎駿」を観ましたが、CGを使った短編映画を作るのですが冒頭から難題にぶつかるのです。ディズニーのフルアニメーションはCGです。うーん?私は個人的に好きではありません。






コスト削減やアニメーター養成用にと開発してましたが研究すればするほど、当時「うーん違うな!、、?」大御所 宮崎大監督と同じなんです。CGもここまできちゃったんだ!」驚きと動きが自動計算で処理される?40年前ではKey (原画)からIn between (動画)これも今みたいな事は出来ませんが、次のKeyを決めれば動画は自動処理されます。宮崎監督がしっくりこない?コスト削減で生まれたテレビアニメだったら3コマ打ち(8/24)です。劇場用では変わりますが、この感覚が逆に動きが流れない、心理的効果を生むのです。「CGで喜怒哀楽を描くのは無理だ!」大監督と比較にはなりませんが、同じ感覚でした。宮崎監督、高畑監督の描くもののモーフィングは、ディズニーでもピクサーでも出来ません。戦後日本が経済分野で追い越せ追い抜けと同じ様に、ディズニーに学び、独自に進化したアニメーションと捉えて良いと思います。


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