AD際族

コロナ共存の広告表現の近未来観

温故知新のデジタル化

2013-01-07 00:21:08 | メディアの一向一揆



昨年暮れに報じられた「ザ ディリー」が配信をやめると発表した。
2006年にYouTubeで配信された「epic2014」ではニューヨークタイムズ紙とGoogleとの訴訟であったが、デジタル推進の米国でも「紙離れ」は成立しなかった。無料だったら購読するだろうが、、、。思うに紙面で読んだ方が「身につく。」感覚としては、インターネット検索と同じだと思う。誰かが知りたい情報を公開してくれている。書籍にしてもそうだろう。ADC ONE SHOW ACC TCC などの年鑑は、あんな重たいものこそデジタル化すべきであるが、小説などは絶対にデジタル化は反対である。絶対に「薄っぺらい」ものにしかならないと思います。キャッチにしてもボディーにしても、ワープロ打ちになってから、言葉が死んだと思ってしまう。良いものも、よくないものも見極められない。今後の各新聞社へ影響をもたらすニュースだと思う。時計をダメにしたのは「クオーツ」である。数年に1秒の誤差などたわいもないことだ。クオーツを生み出した人間自体がこんなに正確だったら狂ってしまう。時計にしても、オーディオにしてもアナログ回帰の流れだ。デジタル化する前に「人間はアナログ」であることを忘れてはいけないんだろう。
人間の聴覚は20000Hzまでしか聞こえない(通常は17000HZも聞こえない。)とカットしてしまった、CDや音楽配信がそうである。アナログのレコード盤の音を拾うカートリッジはそれよりも広いレンジの倍音をひろう。それが「音の豊かさ レンジの幅を生む。」人間もこの聞こえない音を聞いているんですね。
言葉も音楽もD/A変換をどう考えていくか?これこそが問われている。真のデジタル化は温故知新の隣で出番を待っている。



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