ウヰスキーのある風景

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決行

2010-08-01 | 雑記
ある日のチャットログの抜粋。
安「よし、日曜の帰りにナイフ買って帰ろう」
K「通報しました」

そう言われる直前に、「秋葉原に行って」などと不謹慎にも程があることを言いかけてたが
阿吽の呼吸で笑えてしまった。その後、例の事件の話に逸れて行った。


例の事件もそうだし、いつぞやもアパートの隣人を殺したか何かの無差別殺人の奴もそうだが
人に注目されたかっただのなんだのとほざく。

そういう動機を犯人が漏らすのを聞いてふと感じたのが「お前は他人を注目したことがあるのか」だった。

別に大した意味はない。そういう帰結に至る奴らの生活は往々にして孤独である。
そして、孤独であることに耐えられない。その上、万能感に浸りやすい現代とやらでは
理想と現実とのギャップが激しくなる、なんていう言い方はよく評論家の膾炙するところ。

奴らの「他人に注目されたい」はTVだとかメディアのスターみたいな、というところか。
秋葉原のあれは最近「夢はワイドショーを独占」だとかなんとかいっていたようだ。

芸能人が「注目」されるのは、されないことには姿を維持できない幻みたいなもんだからだ。
むしろ「注目」している大衆のせいで幻として生きている、と言えるかもしれない。

孤独で人付き合いが悪く、付き合い自体も下手でその上自己顕示欲が強い。そして一人も嫌。
そもそも、自分の周りの人間や環境とうまくお付き合いできない人間が「注目」されるわけがない。

注目される前提が崩れていた、というわけだ。しかも「注目」の中身はひたすら妄想染みている。
他人を知り、他人に知られ、そこで始めて注目の下地ができようもので、彼らの言い分は
買ってもない宝くじを当てるような話だといえる。

「夜道を歩くとき、どこを見ればよいか」即ち「看脚下」

見えもしない夜道を全力疾走すればそりゃ躓く。その上躓いたら「世の中が悪い」
そう言うのは当人だけではないのでもっとタチが悪い。

足元を眺めさせないで上を見せ、挙句、見せるのは大層煌びやかな張りぼて。
その張りぼてをこの世の全てと錯覚しまたはさせて、彼らは夜道を突っ走る。

行き着く先は幻の陳列棚である。彼らは大層満足であろうか。蒐集家の面々は恐悦至極であろう。


さて、わけがわからなくなった。飛ばない加藤だか自分のことだか、どっちを言ってるのかさっぱりである。


では、ナイフの話に戻ろうか。勿論、秋葉原に行ったわけではない。

冒頭の話をさらに遡ると、こういう話になる。

安「冷蔵庫の霜がひどい、解かして剥がすか」
L「いい方法がある」
安「ほう」
L「ステーキナイフを霜のスキマに刺し込んで塊ごと剥がす」
安「なるほど」


で、冒頭のセリフ二つにつながる。百円ショップでついでに、ボーンチャイナのティーカップや
よしずなんかも買ってきたが、よしずは短いので、明日以降に追加もしくは変更になりそうだった。

せっかくナイフとフォーク(フォークは前からあった)をそろえたのだから、ステーキでも焼くか
と思ったが、なんだか胃が重たいので夜まで保留することにする。ではナイフを研いで・・・。

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