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嗤うものは

2020-08-04 | 雑記
七月のある日、とある若い芸能人が自宅で首を括って亡くなったというニュースを、仕事場に着いたときに聞かされた。

とはいえ、拙はテレビを見ないし映画も見に行かないという、現代社会のメインから外れた暮らしなもので、名前も顔も知らないほどだった。

ゲームはしているので、決して外れ切っているわけでもないが、それは措くとする。


その事件の後、しばらく忘れていたのだが、先ほどとあるサイトで紹介されていたので思い出すところとなった。

というよりも、人が死んだのにその死をお祝いする旨の常軌を逸した動画の紹介していたというのに引っかかった。


過日、志村けんが新型コロナウイルスで亡くなったという話は、まだ記憶に新しいところである。

その時も、同じことが行われていたというのを聞いたものである。


人が人の死を喜ぶ。これが人というのなら、人を辞めたくなるところである。


さて、そのことで思い出した第二次世界大戦中の話を一つ。


大東亜戦争、GHQが押し付けた呼称は太平洋戦争だが、その最中、当時のアメリカ大統領のルーズベルトが死去した。

敵対国であるドイツやソ連は、その死を喜んでいたという。そういう声明を発していたりする。

翻って、実際に干戈を交えていた日本はというと、お悔やみを申し上げたという。

国家の存亡を賭けた戦いにおいても、相手方に憎しみをぶちまけるというような見苦しい真似はしなかったのである。

ちなみに、鬼畜米英だなどと煽っていたのは軍部ではなく、マスコミであったことを付け加えておく。
開戦前は開戦やむなし!と散々煽っていたのである。軍部は最大限、戦争をしない方向で調節を続けていたともいう。一枚岩ではなかったが、ギリギリまでそうしていたという。


どちらが人間らしいかというのは言うまでもないだろう。

人間が人間らしさを忘れると、動物ですらないと拙は思う所である。


この人でなし!は日本人にとっては最大の侮辱だったと聞く。最近はそういう感覚が無くなって、いや、亡くなってしまったのかもしれない。

戦前はその人でなし国家に囲まれて奮戦したのも今は昔、などと語るのは悲しいことである。


これも昔書いたが、上記と同様の流れなので付記する。


もう二、三年前か。ロックフェラーの総帥が死去した。

ロックフェラー、という名前が出ると、いわゆる陰謀論者が色めきだつ。

その時もそうだった。死んだことを喜ぶ声が界隈では飛び交っていた。


陰謀論に片足を突っ込んでいた拙はどうだったかというと、悲しいという気持ちはなかった。知り合いでもないのだから。

だからといって、人の死を喜ぶ気にはならない。彼が陰謀論界隈で言われているような存在(文字通りの意味での「人でなし」)だったとしても、一時代をどういうやり口かはどうとも言えないが作り上げ、世界を動かしてきた人物であることには違いない。

良い悪いはともかくとして、一つの時代の終焉を感じ、「色々あったかとは思いますが、お疲れ様」と思っていた気がする。


彼がオカルト系陰謀論に見られるような「人でなし」の存在、つまりは悪霊だとか宇宙人に憑りつかれていたとしても、物事には人の一面的な見方では判らないことがあるものである。


彼は生前、『回顧録』というのを著わしていた。

その一節にこういった物がある。有名なのでご存知の方も多かろう。とはいえ、記憶で書くのでこんな感じ、というのをご承知願う。

「私のしてきたことを多くの人は非道だと思うだろうが、人類の将来のためになるのだと自負している」といった具合の言葉であった。


陰謀論だと非難ごうごうである。人類がどこを指しているのかによるからだ。

仮に、特定の人類の将来のために行ってきたとしても、それがその通りになるかは判らないともいえる。

そうなっていったが故に、結果的に全人類に福音をもたらすことになる可能性もあり得る。


どうなるかは判らない。それはこれから起こること。


最後に、手塚治虫が語った言葉を述べておく。

「過去はすでに起きた未来。未来はこれから起きる過去」


では、よき終末を。


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