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「変」な話

2012-06-22 | 雑記
それは・・・二十年前の話であった・・・。


「サムライスピリッツ」という格闘(というより死合)ゲームがあった。


俄かに人気が出て、続編が出た。タイトルは「真・サムライスピリッツ」。そして副題がついている。

「覇王丸地獄変」


子供心に、「変じゃ変じゃないか」と変なことを考えたものである。


そして成人して、あることを聞いた。


支那は敦煌のほうだったろうか。自分が生まれる前の調査の話だったと思うが、砂に埋もれた遺跡群の中から古文書が見つかったという。


絵と文章が書かれていて、向こうの言葉で「変文」と呼ばれている。パッと見「恋文」に見えないこともないが、変である。


「変」とは絵のことだそうな。絵と文で「変文」というわけである。では、変な恋文とやれば、絵が描かれたラブレターということになろう。いや、なってない。


そう振り返ると、上記のゲームの副題は現代にも通じる言葉で言い換えれば「覇王丸地獄絵図」というわけだ。



その話を大学で聞いて、ようやく子供のころの話に落ちがついたのである。



絵とは目に見える形である。絵というのはつまり、見える枠組みであると。

変化、といったら、見える枠組み(慣用的に必ずしもそうではないが)が化けると。


絵と類義といえば、「画」というのがある。画期的、といって絵を想像することはなかろう。

画一、などともいう。一つの形になる、もしくはするというわけだ。


さて、なんでこんな変な話をしているのかというと、対して面白く無く(そしてバカにされている感じとはいえ、なんとも思わなかったが)腹の立つ、とも言える話があった。



先月、新しくバイトの子が入った。


最近、ようやく同じに日に入ることがあったので、あれやこれやと話したり、今度大卒だというくらい若いのに、わしがキセルで吸っているのを見て「キセルだ」などと言っている。


そして、その日の夕方である。酒飲みの先輩と一緒でもあったので、夜勤明けに冷蔵庫に入っている客の忘れ物のを酒を飲んでいた。

ちと飲みすぎたので仮眠室でごろごろしたりしていたら、夜勤がやってくる時間になっていた。


さて、その日の夜勤のメンバーの一人が、こちらに向かって言う。


「N君(上記の新人バイト君)にアンジョーさんはどんな人か聞かれたんで、カバンは風呂敷のタバコはキセルで吸うの着物で過ごしてるだの、まあ、要するに変な人ですといっておきました」と。


「なにを言うかわしのどこが・・・ウーン変かな!はっはっは」とやって別れた。



さてその日から数日後。別の人にこの話をした。


「着物やらキセルは個性かしらんが、変には違いない」とくる。


ほーさよか。それならパチンコも立派な個性ですナァ、と皮肉は言わなかった。言ったところで通じない。通じたら通じたで面白いが、面倒である。


と、いうわけで、変とはなんなのかを、ここまで考えなくてもなんだかひらめいたのか、最初に「変な人」と紹介した奴の話を聞いた時点で思い至ったのか、あっさり「変だ」認めてしまったのである。



持って回った言い方をしたが、こういうわけだ。


つまり、「変」であるとは「はっきりとした形が現れている」と考えられはしないだろうか。キセルだとか着物だとかパチンコ(皮肉である)に由らぬ、存在そのものから涌き出る個性であると。


パチンコやったり機械的な、余りに機械的なボディビルをやったり甘いものが無いと耐えられないと言い出して甘いものを食べたと思ったらなんかしらんが急にテンションが上がって冷蔵庫に軽くパンチを食らわしたりタバコもどきを吸ったり(タバコもどき以前と以後は別人の話である)するのは実に画一的な「変」だなぁ、としみじみ思うのである。

だが、上記の状態というのは「変」とは思わぬ。

なにやら不定形生物を見ている気分だ、などと毒を吐いてみたくなるのである。



というわけで、「変な奴だ」と言われたら、満面の笑みで「そうですね!」と皮肉たっぷりに返して、不定形生物のあるんだかないんだか判らない神経を逆撫でしてやりましょう。





普段は、ラヂヲこぼれ話、と相成っていたのだが、なんせまだ続く。こぼれない程度に覚えておいて、後でまとめてやろうかと考えてはいるが、どうなるやら。



さて、その話でちょっとだけ。また長くなりそうな気がしないでもないが。


今回のラヂヲは、話しながら「じゃあCMへ」とやって区切りながら録音している。


元から続いているナンバリングは、一回の収録であることを示しておき、さらにCMを入れて区切りとしたの別のナンバリングをした。

今回はこうである。「六杯目一口」と。



これがある人に気に入られたようである。内容自体がよかったと言われるのは勿論喜ばしいのだが、ちょっとした計らいに反応してもらえたというのは、特に今まで(ラヂヲ以外を)やってきて、初めてのことだった。



こういう細かいネタは昔からよくやってきた。特に上手くできたなぁと思ったのが、「ゲーム辞める」とエンディングで話したこのゲームの時である。





ゲーム(の動画)が始ってすぐ、主人公のすぐ近くに倒れている死体の前で回想シーンが始る。

本当は瀕死の重傷だった主人公がどうして生きているのかをフラッシュバックするシーンである。


理由は「その死体が生前着ていた超人スーツを着せられたから助かった」である。


というわけで、「おっさんのお古を着せられる」としたのだが、悲しいかな、誰も突っ込まなかった。



ゲームを辞めたといいつつ、なんだかゲームに絡んだ話ばかりであった。(ラヂヲも振り返りの性格上、ゲームに絡んだ話になっていた)

だが、所詮思い出である。思い出に浸るほどわしは暇ではない(暇ではあるが、意味が違う)。さあ!あなたも思い出に耽ってないで今を見つめ直しませんか!?と、なんだか無理矢理こじつけたように終わることにする。では、また。



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