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複雑怪綺

2021-07-17 | 雑記
先日、とある事が切っ掛けとなり、「己は何をしたいのか」を考えていた。

要するに仕事の話である。何を隠そう無職になって三カ月ほど経っている。

結論からまず書くと、このような事に思い至った。

「何かを綺麗にしたい」と。

そのように至った理由のような物を少し書いていく。


拙の前職はホテルのフロント勤務だった。規模の大きなホテルではないので、接客業としては難度の高いものではなかったと思う。
フロントでの応対や事務所での仕事以外に、ちょっとした肉体労働があった。
昼間に休憩で貸した部屋を掃除して夜に売れるようにする、というものがある。ベッドメイクである。
経営方針やら景気の具合でまちまちではあったが、拙が詰めている日はこれの多い日が多数を占めていた。

かつての上司から聞いたものだが、ホテル勤務に憧れて入社したものの、望んだ形と違うと言ってすぐ辞めていく、という人が結構いたという。他のホテルの話だが。
石ノ森章太郎の『ホテル』のような華やかな仕事を夢見たものの、実は雑用だらけで絶望したと。

かくいう拙はというと、まったく興味がなかった。接客なんぞやりたくなかったが、兄にそこのバイトを辞めるから代わりに入れと言われて入り、四苦八苦しながら働いていたのである。

時は流れ。四、五年ほど前だったか。事務所の改装が行われ、今まで手狭で混みあった具合から広々とした事務所になった。この話は直接関係はないが、一応。

それから一年ほど経ったぐらいで、週一に昼間のシフトに入っていたご老人が変な具合で辞めていった。
少し精神的に不安定だったようにも思えるが、今年か去年ぐらいに、恐らく亡くなったらしいと聞いた。
身体が悪くなってきていたのを感じていたのかもしれない。

話を戻す。

そのご老人は若い頃からの習慣だったのだろう。一時間以上も早く出勤して着替え、事務所内の電話やらフロントのカウンターを拭いていた。毎回見ていたわけではないが、掃除する箇所は決まっていたように思う。

当たり前の話というのもなんだが、そのご老人が辞めてからというもの、そういった掃除をする人間はいなかった。
清掃業者による床やフロントロビーの掃除はあるが、事務所の備品などは触れることは出来ないので、そういったところはずっと手付かずであった。

事務所内ならまだよしとしよう。しかし、カウンターの記帳に使うタブレットPCの台座(冷却用の台座である)の下にホコリが溜まっているのまで誰も気にしていなかった。

自分などは昔から嫌々していた仕事だったし、他の人も似たり寄ったりだったり、他の仕事に追われていたりもする。
しかし、これで接客するのか?と疑問が沸いた。ネット予約の宿泊プランの値段やオマケの具合を考えるのは必要だろうが、これが客を迎える態度かと感じた。

人に命令する立場でもないし、向こうもされる道理がない。清掃業者が手を回さない箇所の清掃は業務内容には存在しない。
ならば、いなくなったご老人がやっていたように自発的に掃除を始めようと考え、時間のある時(夜勤は夜中暇な時間も多い)にホコリをはたいて机の脚まで拭いたりしていたものである。

その時は業績が落ち込んでいたが、たまたま上り調子だったのだろうとはいえ、掃除を始めたころから毎月伸びていった覚えがある。掃除すると開運するだとかは何かで聞くし、そういうことも念頭にあるにはあった。

「Aさん(前述のご老人)の後継者だ」などと、先輩アルバイトの女性が微笑みながら言っていた。
「皆後継者になってもらいたいものだ」とは思ったがそれは口に出さず、やんわりと掃除の必要性は訴えたかもしれないが、そこはもう覚えていない。

そしてコロナ禍。望んだ形には臨めなかったが、周りのスタッフも掃除の真似事をし始め、「皆始めてくれて嬉しいなァ」などとおどけながら言ったものである。
言うまでもないのだろうが、自発的な部分は一切ないもので、ケチって使い始めた手指消毒アルコールを撒いて拭くというとんでもない事態になっていった。
おかげで記帳のタブレットPCには綺麗な弧が描かれていたものである。そしてそれを拙が拭き取るという。

もうそろそろ辞めるか。無意味にマスクさせられながら仕事を続けるのはバカバカしさの極みだと感じていたころ、ある夜勤の日、電話があり、次の日の明けに本社に来るように言われ、そしてクビを言い渡された。

すまないが受け入れてもらえるか?という風に尋ねられたが、上記のように感じていたので、「そろそろ辞めようかと思っていたので、なんだか不思議です」などと答え、晴れて退社となった。クビを晴れというのはおかしいが。


長々とクビになるまでの経緯を書いただけになったが、何を感じたのかというと、己は何かを綺麗にすることを望んでいたのだなと、業務としてのベッドメイクも、自発的に始めた掃除も、ここで大した内容でもないが何やら書いてきたのも含めて。
それが冒頭の「何かを綺麗にしたい」なのだと。

というわけで、清掃関係の仕事を探すことにした。十七年ほど続けたホテルのフロントという稼業には微塵も興味を持てなくなった。
そもそも、さっきも書いたが嫌々始めたものだった。役に立つ部分はあるが、仕事にするかどうかはまた別である。


このように感じ始めていたせいなのか、少し前からTwitterの方は滅茶苦茶な話を始めて、今まで見に来ていいね!をたまにしていく人も離れていったようである。

ワクチンは危険だから反対!というのは安全でむしろ身体をよくするなら打つと言っているようなものだ、などと言われていい顔をする人がいるわけがない。
全員がそう考えているのかは分からないが、西洋医療の利権構造や危険性を指摘しつつそう訴えるのなら矛盾も甚だしい。その立場から言うのなら効こうが効くまいが無用、である。

添加物などの毒をなるべく排除した食べ物で身体の調子が良くなったことを健康だなどと宣うのは、二日酔いが治ってスッキリしたのを最大級の健康を手に入れたと騒いでいるのと変わらない、などと言われて喜ぶ御仁が居たらお会いしたいものである。

絶滅収容所に放り込まれたフランクルのような極限状況に身を置けとは言わないが、人には生きようとする力が備わっている。
あれがあるからないからというのは、その力を自分から眠らせているのである。
例えが特殊な具合になるが、物理学者の湯川秀樹は『老子』や『荘子』を愛読書としていたから画期的な発見が出来た、という風に語られることがあるが、湯川だから出来たのであって物理学者が皆それらを読んだからといって画期的な発見が出来るわけではない。

十年ほど前にも出くわしたこの手の話。「正しいものを食べれば正しくなる」と表現してきたが、このように拙の前で言い出したのはとある御仁であることは昔から書いてきたものである。
「バラモンは生まれによってではなく、その行いによってバラモンとみなされる」という風に仏典にあるが、正しい行いをすれば正しくなるとは言っていないことに注意してもらいたい。

ところで、世界規模の大金持ち(例:ロスなんたら)は前述の様な毒の少ない「正しいもの」を食べているそうだが、陰謀論界隈では大悪党として散々非難されているのはどういうことだろうか?世界支配が本当として、彼らのその仕事は「正しい」ということにならないのか?


複雑な幾何学模様は美しく見えるだろう。これを分解して一本の線に作り直すのは綺麗と言えるだろうか?
その模様が歪んだ場合、それを整えるのを綺麗にすると呼ぶべきである。

一口に「綺麗」と言っても様々である。ただただ短絡な思考に絡めとることだけを綺麗だと言い張るのなら、汚くて結構である。

では、よき終末を。


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