ウヰスキーのある風景

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筋肉痛による空腹

2017-04-08 | 雑記
前回のオーラだとか靄だとかの記事のせいか、妙な閲覧数と訪問者数を記録していた。

お酒のブログだと思って来られた方には申し訳ないが、ある意味酔っ払っているような人が書いているブログなので、そういうものだと思っていただきたい。

酔っ払いの名言にもあろう。「俺はよっちゃいねえ」と。そして足元は覚束ないという。

一滴も飲んでないのに、正気を失った、失礼、酔っ払ったとしか思えない言動をするのを、自他ともによく見てきたもので、こういう内容になっているのである。


さて、最近はまるで霞を食っているかのようになってきた、という話をしているが、このごろはまあ、そこそこ食べている。

さっきも帰ってきて(0時ごろである)うどんを茹でて食べていた。その前に食べたのは、日付が前の夜七時ごろにトースト二枚だったが、その前は早朝の握り飯と、間隔は短い。

早朝から夜まで食事なし、はかつての自分では思いもしない間隔の長さだとはいえるが、これでも短いと言い出す辺り、どうかしているのかもしれないが、特に問題なく過ごしている。

うどんは二束食べたが、特に眠いという感覚も起きてこなかった。多少気を抜けば眠ってしまうのかもしれないが、腹いっぱいなのにしんどくないというのも、かつてはなかったものと記憶している。

明日は夜勤に入ってから、買っておいたトーストを焼いて食べていることだろう。その間は?茶でも飲んでいる。


改めて、ブリサリアンという人達の感覚による定義を書いておく。

食べないからブリサリアンではなく、食べ物によって生きてはいないからブリサリアンである、とのことである。

それなので、食べているブリサリアンもいると、実際に言っているようだ。五感を超えようとしない人が英語で「五感を超えて」とかいうタイトルのHPを運営していた時に紹介されていたリンク先のページにあったものである。当時からあったが、同じタイトルの別のHPがあるので、間違えないように。

以前書いたので割愛だが、野口晴哉も同じようなことを言っていた。

『魔術入門』でバトラーも、「食べるのは大事だ」と書いていて、食物の栄養が必要とは言っておらず、「エネルギーを取るために」と書いていた覚えがある。

エネルギーとかいうものは、栄養学をひっくり返しても出てこない。カロリーは出てくるだろうが、カロリー=エネルギーとは言えそうもない。


なら結局食べ物に頼っているのではないか?この世が牢獄だから脱獄するんじゃないのか?といわれるかもしれない。


お間違えなきよう申し述べておく。

五感に溺れた誰かさんは、果物と野菜と、チーズとかは除外だろうが醗酵食品を食べるとかいっておったようだが、それを食うために生きているだけである。

バトラーの理屈から言えば、食うのは手段であって、尊いと勝手に崇めている食べ物を食べるという目的ではないのである。

この世の労働というのは何のためにあるのか?

つまるところ、食うために、つまり、食うことが目的だから、そのために行われているのではないかな?

その誰かさんは、「フルータリアンになるために色々やってきたんだな」などと言っておった覚えがあるような気がするが、つまるところ、この世の大抵の人が好きか嫌いかを問わずに続けている労働社会の延長にいるだけなのである。

それは、ビルで働いているか、森で働いているかの違いでしかないのである。

森で働いているのをさも素晴らしいことかのように讃えているのは、大体の人がうなずく「自然はスバラシイ」という既成概念がある故であり、これを吹き込んだのは誰かは考えていない。さも、生まれつき持っていると思い込んでいるだけである。
その自然というのは、目に映った物質世界であり、つまり、それは偶像崇拝に過ぎない、というのも以前書いた。

現代なら、マスコミが環境破壊がどうこうと垂れ流しているわけで、怪しむべきではないのだろうか?

そしてなおかつ、精神と肉体という、基本的に離れることが出来ない、自身にとって一番身近な物質に対するフェチズムを日々強化するのが現代社会、というよりずっと昔からだが、それらは幻だから気づきましょう、と言っているアイクを翻訳しておきながら、自らその罠に嵌っていく。

彼の者は、牢獄の中で模範囚になりたいだけで、脱獄を試みる気などない。脱獄しましょう、と言っている人の話を最初から馬鹿にしていただけである。

ただの模範囚の癖に、森に入っただけで「脱獄した」だのと言っている詐欺師でしかないので、似たようなことを言う人は詐欺師と断罪して結構。


とまあ、こういう事をずっと書いてきた。「アイクを翻訳したことがある」とか「五感を超えての英訳名のHP」というキーワードで特定個人を指してはいるが、こういう思考回路はそいつだけが頭おかしいんじゃなくて、現代社会はこういうバカを量産するようなところがあるのだよ、ということをちょくちょく書いている。

ただ、最近になって思うのは、世の中という幻は自分が見たいように、ある程度捻じ曲げられてはいるのかもしれないが、自分が見たいように見ているというわけで、自他のバカバカしさというのは、そのことに気づくための足がかりなのかもしれないな、とは思っている。

だから、ブッダも「己自身にしがみつけ」とかいうことをいってたり、五感に囚われるなとか言ったのだろうと思う。

囚われるな、であって、五感を断てというのは、後代の拡大解釈だと思われる。

それに類するであろう逸話があって、ブッダが断食やってて飽きたくらいに(こういう書き方はノリなので、真に受けないように)、スジャータという女性が乳粥を持ってきたが、ブッダはそれを受け取って食べた、という説話があるのだが、これは隠喩だそうな。

乳粥が、実は精液の隠喩であり、女性と乳粥というのは、セックスのことだった、という話を・・・多分、「五感を超えて」の裏フォーラムで聞いた覚えがある。

どこぞでソープ通いで有名になっていたことがあったという麻原もどきは、スジャータの乳粥の虜、つまり、五感に溺れているくせに、嘘偽りのタイトルをつけておったのだろうな、などと思うのである。もしくは超えたかった・・・のだろうが、超えなかったと思われる。現時点では知らないが、アイクにつまらん難癖をしただけで超えたと言い出した辺りは、とち狂っているという以外に言葉はない。

その麻原もどきが最後に翻訳した、アイクのメールマガジンの一節をうろ覚えで書いておこう。

内容は、かつてハワイだかのニューエイジャー達に、世界に渦巻く陰謀を伝えに行ったら、門前払いされた、という話である。

彼らは古き良き健康的な生活をしているが、それらもこのままではいずれ奪い取られるだけだということを伝えようとしたら、耳を塞がれたと。

そして、アイクはこう締めていた。「健康に越したことはないが、だからといって判るものではない」と。

健康病、という皮肉があるが、まさにそれは、現代社会の流行り病なのである。

本当に五感を超えるなら、物質に惑わされることはないのである。

なぜなら、バトラーが言っていたが、三次元としての人間ではない人間が、この世を作ったのだから。



さて、余談は終る。

余談?と思うが、こういう話は何度もやってきた。何故か延々書いてしまったが。


先日、夜中上がりの帰る直前に、客から「冷蔵庫がおかしい」と連絡を受けてしまい、地下から運び出して交換する、なんぞという目にあった。

なんやかんやで三十分ほど掛かったので、チーフに冗談で「残業代でももらいたいところだ」なんぞといったら、本当にくれた。

なんでも、以前の役職時代の機密費だとか。ありがたく受け取っておいたものである。


そこは別に関係ない。立方体型の冷蔵庫を一人で持ち運びしたせいで、腕が筋肉痛になってしまったという話である。

二日目になる昨夜になって、ようやく痛みが激しくなってきた辺り、わしも歳を食ったのだろう。違和感だけなら運んだ次の日にもないこともなかったが。

揉んだりすると余計ひどくなる。身体とはそういうものだ。

なら、どうするか?というわけで、思い出した。

野口整体には、「愉気」というのがある。手当てだとか手かざしである。

悪いところに手を当てて、治れとか思わないで無心になってゆっくり呼吸しているようにする、というものがある。

これだけを取り出して宗教やってたりする人もいるが、別に悪いものではないんで、難癖はつけないように。

それはさておき。


とりあえず、右手を左の痛くなっているところに当てた。

しかし、無心になるってどうだろうか?と思ったので、前回書いた、オーラを見るだけでぼんやりしてみた。

その時、不思議なことが起こった。メタルライダーになったわけではない。

ほのかに、あてた手の方から患部に、何か伝わるものがある。

そして、かなり温かい。息を吸うと引く感じで、息を吐くと、あてたところに熱と何かが伝わるような具合になるのである。

ああ、これが野口晴哉の言っていた「愉気」なんだなぁと、感じ入ったしだいである。

さすがに筋肉痛は取れてないが、肘の関節辺りに試したら、すっかりよくなったようだ。

そういうことをフロントのカウンターで座って試していたせいか、うどんを二束食べるはめになったのである。

何を食べるかではない。どう食べるかである、とは、野口晴哉の直弟子の方のHPで書いていた。

この場合のどう食べるか、というのは、食べることに瞑想的に集中して食べるべし、という意味であったのだが、わしは気を使うために食べているとなったのかもしれない。

人に気を遣うような文章は書いてないぞ、という突っ込みは無しの方向でお願いする。


では、よき終末を。


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