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贅Live

2012-11-30 | 雑記
デーヴィッド・アイクが、自分の言っていること(世界の陰謀)を理解するのに役立つ映画として、『ゼイリブ』という映画を上げている。

今はYouTubeで見られるそうだが、日本語字幕がついたものがあるのかは未確認である。


内容はこうである。Wikipediaより。

主人公ナダ(ネイダ)は、しがない肉体労働者。世は貧富の差が激しく、失業者があふれている。

家がないナダはフランクに誘われ労働者仲間のボロ家(キャンプ地)に仲間たちと一緒に泊めてもらう。そこで何気なくテレビを見はじめた。画面には贅沢な消費生活にどっぷりつかった女性の映像が流れている。ところが受信映像がふいに乱れたと思ったら、正規の放送局の映像とは思えない乱れた電波が画面に映りはじめて、その映像に現れた男がこんなことを言い始めた。

「我々の暮らしている世界は人工的な仮眠状態にされています。あるグループが信号が発信されているのを発見したのです。彼らは抑圧的な社会を作り上げているのです。彼らの目的は皆の意識をなくすことです。彼らの目的は人々を欲に目をくらませ、物質主義者にしたてあげることです。彼らは自分たちが生きるために我々を眠りこけさせ、欲に狂わせている。我々は“奴隷”にされているのです」

映像が消えると、ナダの近く座っていた男がなぜかそわそわと立ち上がり出てゆく。ナダは不審に思い、気づかれないようにその男についてゆく。男は近所の教会堂の中に入ってゆく。"自由教会"という名の教会で、普段から賛美歌が聞こえてきていた。ナダは気づかれないようにこっそりとその教会堂に足を踏み入れる。賛美歌が聞こえていたのは人の声ではなく、録音テープで流している不思議な教会であった。

その教会堂の隣室では人々が何やら議論をしていた。ナダは壁に隠された収納スペースがあり、そこにダンボール箱がいくつも入っていることに気づく。ナダはとりあえず教会から退散した。

不思議な教会のことが気になったナダは、後日もその教会堂を外から観察しつづけた。するとナダのいるキャンプ地に突然に武装警官の集団が襲いかかった。

翌日ナダが教会堂に行ってみると、人が誰もいなくなっていた。ナダは隠し収納部屋があったことを思い出す。ナダはそこからダンボール箱をひとつ持ち去った。

街の横丁にたどりつきそのダンボール箱を開けた。中には黒いサングラスがぎっしりとつまっていた。そのうちのひとつを手にとると、残りはダンボール箱のままゴミ箱に捨てた。

何気なくそのサングラスをかけて街をブラブラと歩き始めた。すると街の景色が何やらいつもと違って見える。宣伝の平凡な写真の看板やカリブ海旅行の看板をメガネを通して見ると、「命令に従え」「結婚して、出産せよ」と書いてある。サングラスを通して見ると、雑誌にも新聞にもテレビ放送でも「消費しろ」「考えるな」「眠っていろ」「権力に従え」などの不気味な命令文に満ち満ちているのが見える。しかも街に溢れる人々の大半は、骸骨のような恐ろしい顔をしたエイリアンたちだった。エイリアンが人間になりすましていたのだ。 このサングラスは、エイリアンとエイリアンの洗脳信号を見抜くことができるサングラスだったのだ。

突然警官がナダに襲いかかってきた。サングラスを通して見ると、その警官もエイリアンである。実は既に地球にはエイリアンが溢れていて、政府の中枢も、テレビ局にもエイリアンが人間のふりをして入り込んでおり、人間は彼らに支配されていたのだ。人間達はニセの現実の中に生かされていたのだ。

ナダたちはエイリアンたちに対して戦う決意を固め行動を開始した。
『ゼイリブ』ストーリーより。


丁度この理屈が、爬虫類人が人類を支配している方法と同じである、というわけである。

ただ、映画ではテレビ局のアンテナから出ている電波が偽の現実を見せ付けているが、そこを月に置き換えろというわけである。

月から電波が出ている、というのは、原子力や放射線が知られていない世界にガイガーカウンターを持ち込んで「危ない」と喚くようなもので、にわかには論証や理解が出来ないといえる。

出ているとして、上記と同じ状況であろうことは想像に難くないと思うが、お好きにしていただく。出ているか出ていないかはここで取り上げる問題ではない。


しかし、その月とやらは、一般に知らされている惑星だとかというイメージとはかけ離れた物理現象を起こしており、ある天文学者に至っては「月は観測エラーだ。存在しない」とすら述べている。

天文学者の観測やNASAの実験結果など、アイクが書いてある話を一通り読んでみただけでも、「月はおかしい」と感じられるかと思うが、お好きにしていただく。



さて、映画『ゼイリブ』のあらすじには、テレビに映る人も待ち行く人の大半も「骸骨のような恐ろしい顔をしたエイリアンたち」だったとある。


主人公は歴とした人間である。冒頭で乱れた電波放送の主とそれを聞いて浮き足立って去っていった男もまたそうである。



そこで当たり前の話になるが、その舞台上にはエイリアンでない人間もいるわけで(人間しかいないと思い込んでたわけだが)、そのエイリアンの洗脳信号とやらでのうのうと、もしくは汲々として暮らして、いや、飼育されているというところだろう。



つまり、「エイリアンの洗脳信号」どおり動いている人間もまた大多数を占めているといえる。


実は、主人公達もエイリアンたちも、同じなのかもしれない。映画の描写にあるかは知らないが、実は主人公自身もそのサングラスを通して見ると・・・。さてどうなるか。

それだと余りにも話が拗れるので、人間対エイリアンという設定には違いなかろうと思われる。そこもここでの論点ではないが。



というわけで、映画の設定であるということを忘れて、現実とやらに当てはめてみよう。


まったく、冒頭の通りの世界になっている。テレビなどのマスコミニュケーションの攻勢で、何やら買いたいと飢餓感を募らせているのは、誰しもあるところであろう。

そして、方や貧困のかなたに落ちぶれ、明日をも知れぬという状況に身をやつしている人々もいる。アメリカの話ではなく日本でも同じ状態である。


いわゆる現実に「エイリアンの洗脳信号」があるかどうかはともかく、行われていることは同じである。


映画のキーアイテムのサングラスとやらを通して今の街中を見渡したとしたら、皆骸骨のような顔なのだろう。ただ、微妙に色が違ったりしているかもしれない。


常識という名の主流の見解とやらにしがみついて離れようとしない存在がそこかしこにいる。彼らのマントラは「ミンナガイウカラ」である。発音は同じだが、ユーカラではない。

離れたところで実際に死ぬわけではない。酷い目に遭ったりするかもしれないが、起こってみたら大したことでなかったりするのは世の中多いものである。

離れるのも、また離れられるのも怖いから、というわけである。


『ゼイリブ』のエイリアンも、元は人間と同じだったのかもしれない。もしかしたら、白かった骸骨様のご尊顔も、恐怖で醜く変色してしまったのかもしれない。


変なもの(映画で言えば「エイリアンの洗脳信号」)にさらされ続け、元は問題なかった贅肉が変質し、本体(骸骨のところ)に悪影響を与えて現在に至ったのかもしれないと、空想を逞しくしている。



テレビが作り上げる独特の雰囲気を、為清さんは「テレビ場(バ)」と名づけている。


アイクはいう。爬虫類人は人間をごく狭い可視領域に閉じ込めていたいのだと。


目には見えねども存在し、影響を与え続けるこの「テレビ場」。例えば常識というものを、公式見解というものを作り上げ、それに人は無意識に従い、また従えようとする。これが洗脳信号と言わずして何と言おうか。

テレビ場がその贅肉を腐らせ、本体に悪影響を与えている。しかし、我々はごく狭い可視領域しか見ないので、贅肉が腐っているせいで骨まで腐っているということは理解できなかった。


かくして、骨まで腐った者共で地上は溢れかえる。骨の色が違うのは、骨の腐り具合の違いというわけである。


腐った骨はもう自律して動かないので、腐った贅肉が動かしている。我々はそれを見て「They Live」と言い習わしてきた。


そろそろ腐った骨も折れる頃かもしれない。そうなったら、例のサングラスで見る世界はスライムだらけになっていることだろう。では、また。

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