ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

不調

2010-05-28 | 雑記
なんだか風邪を引きそうな、もしくは引いたような感じがあったので、ウヰスキーを買ってきた。
夜の帰り道である。買える銘柄はごく限られる。というわけでグレンフィディック12年にした。

どこかで「モルトウイスキーの香りは年々弱くなっている」と聞いた覚えがある。

マッカラン12年のことを軽く調べていたら、専門店の紹介にそういう言葉があったのだ。

グレンフィディックもやはり、柑橘類を思わせる香りが初めて飲んだときより弱い気がする。

それはあんた、飲みすぎで頭ヒットしてるんじゃないか、と奇妙な突込みを期待するが通じる人間が限られる。


さて今日も、誰か期待してるんじゃないかとわくわくしながら書く毒舌でもと考えたが、
ただ怒りに任せてぶちまけてるので毒舌ではなかった。残念。
さあ、怒りに任せてぶちまけてみようかと思う。わざとらしく改行して注意を促すので
嫌な人は早く戻っていただこう。今日は動画もない。






ごく身近な人間にはよく語るのだが、肉親が嫌いなのだ。嫌う肉親すらいない、という人も世にはいるが
その辺りはご容赦願いたい。

筆頭は長兄。その次が父親。エディプスコンプレックスというものか。さもありなん。

長兄との確執は語ると込み入るため、ここでは語るのがひじょーにめんどくさいので辞める。
その嫌悪のほどは、自宅に漫画を借りに行く、という電話が来るだけで吐き気がするほど。
といっても、飲んだ寝起きだったのもその時は大きな原因だったが。


さて、父親というものは。父親としては尊敬する。中卒で働きに出て、苦しい実家の家計を支え
挙句の果てにこんな酔っ払いを育ててしまったのだ。尊敬せざるを得ない。(皮肉っぽいが皮肉じゃない)

親父はすごいのだありえないのだそんけいしろ、と長兄がことあるごとに(その「こと」が実にイベント)
曰うのだが、これが実に嫌で嫌でたまらなかった。

中卒で働きに出て、はまあ戦後のベビーブームの中ではよくある話だろう。それ以外もあるが語らない。
寧ろ語りたくないのだが、これから書くことに多少関連もあり得るとも感じるのだが、語り得ない。


さて、今年の正月だったか。例年なら年末に帰省をしていたが、たまには仕事で正月を迎えるのもよかろう
そんな風に理由をつけて三箇日を過ぎてから実家に向かった。

居間で食後にテレビを何とはなしに眺めていた。茶も飲んだのでそろそろ自室だったところに引き取ろう
そう考えていた矢先に、テレビで流れていた内容に注意が向かった。

内容は、江戸時代の話で、江戸幕府は風水によって都市計画をしていた、というもの。
ここにこういう施設を配置したのはこれこれで、というわけだ。

風水は古代に支那から伝わった思想で、四方にそれぞれ守護神を配置する考えも確かそうだったなだとか
平安京もそういう都市計画で、風水だかを日本で発展させたのが陰陽道だったかなどと考えて見ていたら
後ろから声がする。去年に脳梗塞を患って、少し舌足らずな喋り方だ。

「昔の人はものを知らんから、程度がひくかったんよ」

文字数は大差ないが、一言一句再現したわけではない。だが大意はこうである。

こちらも大人気ない。以前からこういう物言いをする父親に怒りを通り越して嫌悪すらあったので
「昔の人は昔の人なりに生活していたんだ。今とは違うだろう」という感じで怒鳴り返してしまった。

「そ、そうか」と親父はシュンとしてしまったのを今になって思い出すと怒りすぎたなとは思う。

別に数が膨大というわけじゃないが、必ずといっていいほど父親は上記の物言いをする。
100年後、現代の人類が営む生活が否定されていない、などと誰がいえるのか。

当時の流行などを弟と話していて、父親が知らないのをバカにして父親に諭されたりしたことがあった。
知らないということで人をバカにしてはいけないのだ、と。

残念きわまるが、そっくりそのままお返しせざるを得ないのだ。

そもそも、自身が前後に正当なし、と傲慢にも考える無根拠な自信がそこにはある。

父にとってはひじょーに重大な根拠を持って語っているのだろう。
時代背景、ともいえる。第二次世界大戦後の日本の思想史は世界的にも奇妙な状況だともいえるが
そんな話を急にされても始めても困る。特に自分が。ある特殊な状況がある、とだけ述べるにとどめる。

それはさておき。父にとってはあの語りが何らかの知性だと信じている。

父親には知識はない。これはいえる。何せ中卒なのだから。
知識がないなら想像力を働かせる。これが知性ではないのかと。

「イデオロギーでもって人間を判断してはならない」などという薫陶を受ける組織にいるのに
上記のようなイデオロギーの塊になるのだ。イデオロギーとはなんのかWikipediaを見てみたがわけが判らない。
だが敢えて言う。上記の括弧内の考え自体がイデオロギーとなっている蹉跌を指摘する。

今日、知識は誰にでも持てる。今の時代にはぐーぐるがあるのだから。

しかし、知性はぐーぐるでも受けるだけの薫陶でも得られないのだろう、と
アルコールで知識も知性をも破壊し続ける人格破綻者が曰う。では、また。

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