ウヰスキーのある風景

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弁天池のコイ

2013-02-13 | 雑記
家の近所に、飲んだ帰りなんかに立ち寄っては、こっそり一服していく、「弁天池公園」という名前だったか、そんな公園がある。


広くはないが、数年前には沼のようだった池を工事し、ちょっとした遊具のようなものや、ベンチが設えてある。


池は周りの住宅や車道より低い位置にある。車道側からは池が木や土手でよくは見えないが、住宅地側からは欄干があり、池が一望できるようになっている。


以前は、池のほとりにある、真四角の御影石に腰掛けていた。そこで一服し、灰とマッチを排水溝に流していざ帰らん、とやっていたわけだ。今もやっているが、寒い。



前々からその時だけ気にしていたことだが、一服していると、池でコイが跳ねる時がある。コイを放っているんだなと。コイに興味がなかったので、家につく頃には忘れていた。


さて、先日。インタビューを行ってきたフレンズ歯科さんで、かなり前になるが、ある記事が出ていた。松果体に関する記事である。


細かい内容はそちらを見ていただくことにして、他人の証言と自身の体験を絡めて、また冒頭のコイの話に持っていこうという、訳の判らない構成でいくつもりである。


松果体から出る、メラトニンという物質が癌を抑制するのだが、それを阻害するものについての話である。しかも、重要な事柄であろうはずなのに、研究は棚上げされている。

ケーザイには逆らえないからで、爆弾のようにすぐに人死にが出るわけではない。癌患者が増えれば儲かるだろう。いつぞやの元官房長官のセリフどおりだから、放っておくつもりなのだといわれても仕方がない。

ひねくれすぎと思う前に、それだけ危うい、もしくは危険性が疑われるものを、無造作に受けれいれるのは間抜けという以外に言葉が見つからない。


誰にともいえない悪口は放っておく。


そのメラトニンとやらは、睡眠に関係するホルモンだともいう。寝ている間によく出るわけだが、時間が夜の十時から午前二時の間が最もよくでるそうな。

と、フレンズ歯科さんの記事に引用されていたような覚えがあったのだが、別の箇所かもしれない。それはさておき。


仕事場で、娘のことを考えてワクチン接種してきた・・・じゃなくて、夜は十時から二時くらいに寝るようにしている、と言っている人がいる。十時になったら寝る、というほどきっちりではないそうだが、なるべくその時間くらいには寝るようにしていたそうな。
彼の口ぶりでは、「成長ホルモンがよく出る時間帯だと聞いた」とのこと。

しばらく続けていると、本人でも自覚できる症状が現れたそうな。

なんと、加齢臭がなくなったという。枕が臭わないのだとか。


後は忘れたが、メラトニンのことだったのだろう。見失った記述通りならば。


というわけで、こちらもずっとではないが、十時ぐらいに飲んで帰って来ては気絶するように寝るという、褒められた話じゃないが、そうやって寝てみたりした。

飲んで帰ってきたら十時ごろで、眠くなったのもあり、「じゃあ、寝てみよう」というノリだったのかもしれない。


それから何日か、飲む飲まない関係なく、その時間に寝てみたりしていたが、おかげさまでやたら早く目が覚めたりする。

のだが、食べたものがよかったのか(嘘を言え!)飲んですぐ寝た割には不快な気分がない。メラトニン恐るべし、と思ったものである。

ただ、やはり現代の生活の状態が続けば、限界もあろうというもの。かつての人類はもっとメラトニンの分泌量が多かったことだろう。

理由は、目に見えている光だけが問題ではなく、電磁波にさらされる状態が光に当たるのと変わらないので、やはり阻害されているということである。
(メラトニンの分泌は暗い状態が良いが、あまり意味がない、もしくは暗いほうが比較的マシ、という程度の差だということ)


というわけで、いつもなら夜勤の直前まで寝ているのに、昼前から起きて、余裕を持って出かけている日が何度かあった。


そして先日。

天気もいいので、弁天池公園を横切った。いつもなら車道側を歩き、中は通らなかったのだが、気まぐれに通っていた。砂利道や池のほとりを通って、向かいの住宅地側へ抜ける。近道といえなくもないが、さして変わらない。


それを二回目くらいに行ったころだったか。手すりから池を覗き込んでいたら、コイが寄って来た。餌をくれる人と勘違いしたのか、見ていると集まってくる。

コイは餌をくれる人の顔を覚えているという。ホントかどうかは知らんが、仕方ないので明日やろうと思い、仕事場へ向かった。


なにを食うのか調べてみたら、なんでも食うそうな。水槽にめだかと一緒に入れておいたら、めだかが食われた、などという。


そりゃ切羽詰れば食うだろう。


明治時代に、日本で縄文時代の貝塚を調査したモースという学者は、わかりにくい状態で混入されている人骨を貝塚の中から発見したそうな。
日本の主流の学説からは排除された話だが、厳然と残っている記録である。

切羽詰れば食うのはどこでも一緒である。切羽詰らなくても食うのは、忘れられないからである。何を?何がかな?そこはあなたの想像にお任せしたい。



じゃあ、駅前でパンでも買って、こちらも齧りながら撒いてやろう、と思ったのだが、フランスパンみたいなのは大きい。

仕方ないのでメロンパンを買い、池まで持っていって、先日と同じ場所に立った。ごそごそし始めると、やはり寄って来る。こいつらめ、餌くれる人間だと最初から考えていたな!

と、計略に嵌ってしまい、ほとんど齧った覚えがないまま、メロンパンは粉になった。紅茶の葉入りのやつだが、彼奴らの胃は、否、胃がなかったが、腹は頑丈なので大丈夫であろう。


文句やら注意が来るかと思ったが、そういうのもなかった。これからもたまに撒いてみようかと思う。



しかし、コイを手すりから見た日の夕方に・・・いや。なんでもない。




さてさて。登竜門という言葉がある。コイが滝だかを昇って龍になるという、支那の故事から来た言葉である。

池のコイがメロンパン食って龍になったら面白いなと思うが、龍じゃなくて流になったりするかもしれない。

龍になるかわからないが、次は元気に餌を飲み込むコイの姿を写真に収めようと思う。では、また。


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