ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

尊崇

2010-06-18 | 雑記
目が覚めたのは早朝だったと思う。用事もないのでまた寝ようと試みる。

そして暫しの時が経った。おそらく正午だろう、と時計を見ると予想通りだった。

かといって別に出かける用事がない。六月は客の入りが少ないのもあって、今週は暇になっていた。

そしてまたゴロゴロし始めた。

いい加減起きよう、そう思ってヨーグルトを飲んだりはした。が、また転がってマンガを読んでいた。

マンガの名前は「ギャラリーフェイク」直訳して偽者画廊。

面白い面白い、と人に言うのだが、こう喩える。「美術商版ブラックジャック」と。
数年前に、都内では土曜深夜にTVアニメになったりはしたのだが、マンガ自体はかなり前にあった。

ギャラリーフェイクが面白いとかいう話はもう前にしたので今更いう気はないが、
先日、チャットでこのマンガが面白い、また読もうと語った覚えがあるのだが、どうしてそうなったかが不明。

それにしても腹が減った。何か作るにしてもちと面倒くさい。そう思って着替え始めた矢先、電話が鳴る。

ケータイの着信はメールの到来を告げた。さて、この時間に定期的にくるメールがあったろうか。

時期も時期だ、もしかして・・・。そして予想は当たった。実の兄からだった。
内容は父の日のプレゼントについて。下の弟と自分はもう送った。まだなら早くせよ、とのこと。

先月の母の日に、一番下の弟がもう何か送った。我々はどうするか、などという相談があったので
今回もそう来るか、と思っていたのだが、なかったので忘れ去ろうとしていた。その上呑みに行こうとする。

手早く「わかった。酒以外がいいよな」と送って近所の本屋に向かった。


さて困った。何も考えてなかった。
まさか去年に、軽いとはいえ脳梗塞を患った人間に不健康の差し入れをするわけにはいかない。

酔っ払いの親父なのだから飲んでくたばれれば本望だろう、などとは健康な時には思うが
こんなときに言うほどひどくない。飲めなくなったのだから嫌がらせだろう。

お前は実に嫌がらせだとかひどいことを言うのが生きがいだ、と言われれば間違いではないが
何がしかの不自由な状態に置かれた人間に止めを刺すほど非常ではないつもりではある。
伝わりにくいが、G.O.W2のドムとその妻マリアの状態ほどのっぴきならんわけではないのだよ。

弟はうなぎを送ったといっていた。うなぎ?生きたまま送って観賞用か?んなわけない。
兄はペンを贈ったという。脳梗塞の軽度の後遺症があった(今はどれほどかわからないが)
父は退院後もリハビリをしていたので、そのペンを使って日記を綴り始めるかもしれないな。

そこで思いついたのが、ギャラリーフェイクを読んでいたせいというのが大きいが、画集を贈呈すること。

皮肉にも近いが、常々、文化がどうこうとかいう組織にいるのだから、絵画の写真は喜ぶだろうと。
喜ぶかどうかはしらんが、重厚な西洋美術史のすぐ手に入るような本を贈ったとしても
読むことすらしんどい状況には違いなかろう。以前にも言ったようにあまり教養のない父である。
日本の仏教美術などの本は見向きもしないのはわかっているので、わざとらしく西洋にした。
収録されている画家は「フェルメール」。昔、本屋で見かけてつい買った画集もそれ。

送った本の収録点数は三十六だったと記憶する。自宅の画集は三十七とある。まあ、気にしない。


フェルメールはリンクをご覧いただければすぐわかるが、十七世紀のオランダにいた画家。

写実的な、だがどこかぼんやりしたような不思議な絵を描く人だった。

その「ぼんやり」の理由は彼が使っていたといわれる技法にある。

「カメラオブスクラ」といい、スクラはスキュラだとか言い方は気にしないい方向で。
今のカメラの始祖的な構造で被写体を見、そこから直に絵を描き上げる手法を採ったといわれる。

現存する完成した絵はあるものの、下書き(デッサン)や習作と呼ばれるものがまったくないのである。

カメラで構図を切り出したような、と言われるのだが、絵画にするにはやはり多少のディフォルメもある。
全部を全部写実的に区切って書き写そうとすると無理が出たのではないかという話があった
かもしれないが、ちょっと思い出せない。
ぱっとみの印象は実に写実的であり、かといってくどくない画家だと感じる。

画集というからには、多少の解説はあるのだが、ほとんどが写真なのでパラパラと見ていただければと。


さて、首尾よくそのような本を手に入れ、宅配が出来るか確認したが、結構手間がかかった。
「時間は大丈夫ですか?」と問われたが、なに、これから呑みに行くだけですから、とは答えなかった。


それから「和」にいくことにした。
また、というには日があいた。たまには別のメニューを頼もうかと頭を悩ませていたら
いつもの兄さんが「何か新メニュー出しましょうか?」とくる。

今日は食事というより飲もうかと考えていたので、丁度よいと思い、頼むことにした。

常連さん向けに色々メニューを考えていて、といい、今は新ジャガがあるのでこれのバター炒めはどうかと。
早速頼むことにした。その直前に頼んで出てきた紅いもの天麩羅は忘れてよい。


すこし時間がかかって出してきながら言うには、味付けがちと濃いとのこと。
そういえば奥で味見を念入りにしてたなと思いつつ味見をしたが、言うとおりだった。

単体で食べるにはすこし濃いだろう、多少飲んだ人には問題ない、としこたま飲んだので正直に言う。
向こうも同じ意見だったようだ。

そして、いわゆる中華風のチャーハンも出来ますよとのことで、作ってくれた。

以前までの試作にさらにかまぼこをいれて、これなら足りない味を増やせるだろうと踏んだそうだが
お互い同時に食べて感じたのはやはり味が薄い、ということだった。

チャーハンは油と味が満遍なく米粒にいきわたるくらいが丁度よい。
油に味がついていればよい、といっていえなくもない。

元から付ける味が薄く、素材でまかなえないのであれば、これはもう少し濃くしてよいだろうが、
いつものソバを一緒に出す形であればこれはこれでよいかもしれない。と感想を伝えた。

ご飯はもう少しふわっとしたほうがいいかという。冷めてきていたので正確にはいえないが
もう少し柔らかいほうがよいだろうというと、兄さんも思い当たる節があるようで
「ちょっと念入りにいためすぎてしまうようだ」とのこと。

また後日、裏メニューに進展があるか、忘れてなければ聞いてみたいと思う。では、また。

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