ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

君臨すれども統治せず

2013-05-01 | 雑記
来月、兄が結婚式を挙げるそうな。招待状が届いていた。



まだ返事は出していない。一応出てやるか、という風な気分ではあったのだが、やっぱり辞めようかとも思う。

せめて出席するなら着物で行きたいところだなぁと、考えていたが、向いているものを持っていない。

列席者用の着替え部屋があるので、そこに洋装の礼服を持っていって着替える手ならどうだろう、などと妥協案を考えたりしていたわけだ。


兄が嫌いだとかいうのもあるが(通り越して興味ない)、それよりもなによりも、肉親やこれから親戚になる人間とやら(これまた興味を持てそうにない)が集まってなにやらやっているところに行って、ただ坐ってつまらない話を聞き、挨拶したりされたりするわけである。そうなると思ったらそうなるので、そうに違いない。

興味を持ちたくない人間の周りに集まってこようというのである。そんな中で宝探しをしようというのなら、その労力はまだ見ぬオーパーツを掘り出しに行くのに使うほうが建設的である。

さして興味もない話を、さして関係ない存在(わし)に向かって(あちらはそう思っていないかもしれないが)、やりあって、むなしさを広げるだけなのである。

かつて、ラヂヲで言ったが「結婚式は、奴隷の再生産儀式でしかない」のだ。



結婚式なんぞ単なるしかつめらしい儀式である。結婚しているという証は役所に出す紙切れ一枚だけである。「辞めます」と同意して破棄すれば結婚していたことがある、になる。


本当に二人が結婚とやらをしたというのなら、周囲に弁明する必要などないのである。すればするほど溝が深まるであろう。つまり、本質的に結婚(社会への弁明以外で)がなされていないのなら、ただただ、奴隷への道を突き進むだけである。



それはさておき。


嫌だ嫌だと駄々(駄々というのは一般的な話ではある)をこねても仕方がない。ここは正直に「行きたくないので出ません」とやるか。

嫌なものを無理矢理出たところで、お互い気分が悪くなる。もしくは・・・この先は冗談込みである。


結婚式に出るには出るが、兄のだとか肉親のだとかと思わないで、通りすがりでも入れる結婚式にでも入り込んだと思って、他人の振りをして遊んでみよう。

「いやぁめでたいですねぇ。どこの誰とも知らない人の結婚式ですが、実にめでたいですねぇ。」と。どう見てもケンカを売っている。


かつて、イギリスの王にドイツ人が選ばれ、そいつは玉座に座り込んだのはいいもののドイツ語しか判らないので、統治は当地のものに任せていた、などという。

これがイギリスの伝統になったようで、「君臨すれども統治せず」と言い習わされてきた。

これをもじって「出席すれども参加せず」とやろうか。「出席するとはいったが、式に参加するとは答えていない」と。やっぱりケンカを売っている。


出席はしたが、気分が悪くなったので帰ると。これはどうか。嘘ついても仕方がないか。




さて、冗談はまた後でやるとして、行きたくないことを表明しながらも何ゆえ行こうとしているのかという話を少々して、終わりとする。



これが例えば、弟の結婚式だったら嫌だったか?もちろん、結婚式自体嫌なので、行きたくない。そんな時間があるなら「染井」で飲んでいる。

友人とかそういう親しい相手のささやかな結婚式だったらどうか?親戚だとか関係ないのを排除して、ごく少数の集まりでやるならどうか?

これならまだマシであるが、結婚式は以下略。よし、せめて「染井」の大宴会場でやろうか。


おっと、また冗談染みて来た。



話を戻す。

親が煩いのである。特に母親。実際、メールで「行きたくない」と冗談気味に書いたら「相手の家の人の目もあるから」などとのたまう。


そもそも、目の前にいないものの目を気にしたところでなんともないはずなのだが、やはり人間、ないものに惑わされる。

実際、見られているからなんだ、ともいえる。結婚式とやらで出くわす予定だったのにいなかったら相手方もどうこう言うだろうが、仮に結婚式とやらの前までに、街中でその親戚になる予定の人間と知らず知らずすれ違っていたとき、気になっていただろうか。

なってやしない。


有るものを無いと思い、無いものを有ると思い込む。これを幻想というのである。



幻想だから、兄貴の結婚式なんぞ正式な手続きで持ってボイコット!というのもありと。だが、他の幻聴が出てくる可能性を考慮して、というわけだが、これも言い訳に近いか。


母親が煩いからというのも幻聴なのである。いや、実際に聞こえているんだが、それに無駄に振り回されるというのが、自分自身が幻想に囚われているという証左である。


五里霧中というが、そんな中あてども無く歩き回ったり、必死に霧を追い払おうとするのは苦しいだけである。

そういうわけで、同じ幻想なら、しんどいと思うように行動するのは辞めようと思ったのである。


ただ、今回の幻想はやはり予定立てて包囲してきたものであり(葬式とは違うから)、むやみやたらともがけばうっかり崖から転落の可能性もある。幻想の包囲網は、こちらが挑発に乗って動き回るのを見越しての策を取っている。


行きたくないから突っぱねる、だとか、なにやら嘘ついて撤退するというのも、やはり向こうの策の内のような気がする。(判ると思うが、別に個人がどうこうしてくるという意味ではない)
つまり、霧のど真ん中から外に出ようと走り回って、疲れ果ててしまい、こちらの負けになる。


霧だけを見ているから、どうしたらいいか混乱するのである。霧のど真ん中に坐ってぼんやり眺めていれば、怖い理由が霧にないことが判るだろう。その霧が吸血鬼の霧でもなければ、何もしてこない。霧状の吸血鬼も何か出来たかどうか。

「今日の朝靄は綺麗だなぁ」と、すっとぼけようと思ったのである。なにを言っているか意味不明だが、霧の中に入って霧だと思わないことにする。今回は霧(結婚式)に囲まれているなと自覚したわけだ。

霧が靄になり、その靄も晴れればしっかりとした足取りで家に帰れるであろう。では、また。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿