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汎痴性

2015-06-16 | 雑記
先日はなんだかよくワカラナイ内容になった。書いているこっちも何の話だったか思い出せないほどである。


その先日のゲームについては、また運営から次のアップデートやらを公開する放送を断片的に聞いたところ、大きな問題についてのてこ入れもしていくつもりがあり、一定の効果を認められるものを提示していたようである。

思っていた以上に、あちらはユーザーの立場を考えていたようではあるが、なかなか決定打を出せずにいたのだろう。

ただまあ、それでも妙な認識を(わしの仲間にいるやつは)していたようだった。

前の例え話でまたいうとしたら、こういう感じだろうか。

「キャッチボールで甲子園での優勝気分は味わえるようになっているが、どこまでいってもそれは優勝気分に近いものでしかないのだぞ?」と。

その上、「自分が想像している優勝気分」にならないから、という前提があるからだと思われるが、それ以上はどうでもいい。


さて、反知性、及び反知性主義というのがある。

先日、本屋を眺めていたら、新刊のコーナーにそんな本が目立った。

ほほーと思って読もうとしたら、待ち合わせの呼び出しがあったので、読もうと思ったところは読めなかったが、読んで字の如くである。


そして今日、部屋の整理をしていたら、買ったけど読んだかわからない本が出てきて、これもその「反知性」というものについて書かれていた本だった。


簡単に言うと、「物事は簡単に決められる何かがあるので、それに乗っ取ればいい!それ以外は断罪だ!」的なものの考え方、といえばいいか。


立ち読みした本の箇所は「陰謀論」における反知性というものを書いていた。

すぐ上に書いた内容と見せる品が違うだけで、同じ指摘である。


有名な漫画の決め台詞が有る。探偵物の有名なやつ、と言えばわかる人もいるだろう。


「真実はいつも一つ!」というやつである。


大雑把に言えば、これが反知性というやつである。


まあ、探偵は犯罪者を追い詰めるという点ではそれで構わないのだが、なんで犯罪を犯すことになったのか、だとかそういうことは基本抜けているのが、単純な漫画の常なので、仕方ないとはいえ、読んでると知性がなくなるかもしれない。

そういう意味では、漫画ばっかり読んでるとアホになる、というのはありえる。


話が逸れた。



物事には、単純に善悪決め付けて簡単に済む話はないし、そもそも絶対の真理たる答えはない。

あるが、それに到達が必ず出来る、という代物ではない。

「これが答えでこの通りになるし、なるからこれ以外は嘘だ!」という風な、紋切り型の考えは、考えとはいえないのである。

知性というものの否定。つまり、反知性的行動である。


別にこう書いているわしが、つねにそうならないというわけでもない。なんだか書いていると勘違いする人がたまにいるのでワザと言っておく。


では、卑近な例に戻す。


反知性的といえる状態といえば、昨今の人々の行動によく現れている。

例えば、すぐに「どうすればいいか」をネットで調べたりして、その通りにする、だとか。

テレビの放送で、何かの犯罪の責任者やら容疑者が映ると、テレビもそうやって悪者に仕立てて映すからといって、すぐ「悪者は懲らしめろ」となったり。


口が悪いので、またわしの身近にあった例を取り出しておく。


件のコメントである。


「社会運動をしたほうがいいですか?」

これである。



こういうのはなんだと。いや、反知性、っていったでしょ?いやいや、そこではない。


自分で考えることを放棄している、ということだそうな。

常識を疑わない、と。

上の、テレビの例だと、この場合の「常識」は、テレビに映った犯罪者は断罪すべきもの、というテレビが流す常識を一切疑わないということである。


常識というのは、これは覆しようの無い真理でもなく、ある一定のあつまりでかもし出される空気である。

テレビが作り出す空気を真理だ!と、当人達は言い出さないが、つい考えずにそう思ってしまうわけである。

ネットで騒がれているから、これは真実だ、も然り。まあ、そういうとわしも心当たりが無いわけでもないので、苦しいな!へっへっへ。


無論、所謂常識に乗っ取った方が適切である、というのはあるので、常識を否定すればいいという話ではない。これもまた反知性である。

常識を否定するのではなく、疑う。

自分が見聞きしたことを否定するのではなく、疑う。


これをするためには、自分で考えることをしなくてはならないのである。



AとBという選択肢がある。


さて、出すとすぐに「Aだ」「いやBだ」と人は簡単に決めたがる。決めたらいいものは決めたらいいが、決めづらいものにまで簡単に決められる何かがあると思いがちである。


何か答えがあって、そこから紋切り型に物事を裁定していく最低の行動が反知性だとずっと上に書いたが(そこまでは言ってない)、何がしか理由をつけて「Aは正しい」だとか「Bこそ正しい」とやるのが目に浮かぶだろう。

その理由が、真理だと思っている、例えばかもし出されただけの空気が正体な常識という信仰箇条だったりするわけである。


このことについて、面白い例えがある。こういう質問だそうな。

「あるクラスに、男子は十二人、女子は十三人います。担任の先生は何歳ですか?」というもの。


で、大体「25歳」だとかいう答えが飛んでくる。それか、それ以外の年齢を言う。


答えはというと、いくつでもない。そもそも、年齢を推定できるものは一切書かれていないからである。


どうして年齢を推定できるものが無いのに「25歳」と言い出すのかというと、物事には答えが必ずあるという信仰から、というわけである。


そもそも答えはない。テストなら模範解答というのはあるが、全ては答え合わせ出来るもので出来上がってはいない。


この手の行動は、どこぞの上人がそのまんまであることは、言うまでも無いだろう。

「私は馬鹿ではない。一般人は馬鹿ばかりだ」とのたまっていたのに、その一般人と同じ思考回路で生きているので、笑い話にもならないのである。

もう少し面白い話を作れないのか?と思ったが、面白くない奴に面白い話を作り上げてもらおうというのが無茶である。



さて、話はここで終らない。


過日、見覚えのある電話の着信があった。

そして数日前、何ゆえか、スカイプからメールが着ており、「あなたを登録したがっている人がいます」とあった。




ああ、この電話にスカイプ。スカイプについては、ある個人と使っていた。

スカイプは公開したことがなく、そいつとしか使ったことが無いので、なら決まっている。


電話してみたら、やはりそいつであった。


どいつか?オーストリアではない。


関連があるので、昔、ここに書いた件を簡単に述べる。


これもまた、あるオンラインゲームで、ある日仲間内で揉め事があった。


わしとその電話の主はスカイプで話しながらだったのだが、他は文字チャットのみである。

そいつとかこいつじゃ面倒なので、スカイプの略でS、他は揉め事の首魁をA、被害者の残りをBとCと書く。


Aがどーにも頓珍漢で(二回前に話の脇に書いた人物でもある)、BとCがかなり不快な目にあっていた。

Aも別にいじめようという意志でやっていたわけではないが、子供というのは無邪気である。成人してはいるが。


それで、オンラインの文字チャットを、上記のメンバー共通のものとは別のチャンネルを作り、Aを隔離して、とりあえず気持ちが静まるまでBとCの話し相手をして、落ち着かせようとした。

ゲーム内の話だとわかりづらいが、敢えて書くと、キャラクターも人があまり来ない場所に移し、友人登録してあれば見えるはずのオンライン状態も伏せる機能があるので(その日は二人ともそれでログインしていた)、Aに話しかけない限りはワカラナイ状態だった。

さて、しばらくすると、Sがメンバー共通のチャットで「ここに怖い二人がいるー」などと、言い出した。

Aに聞こえるものへわざと書いたわけである。するとどうなったか。わしとSがいるところは、BとCもいる場所であったのだが、そこに移動し始めていた。

わしはとっさに「Sのアホがばらしおった!逃げろ!」とまくしたて、二人は逃げていった。

騒動が治まってからだったが、BとCのうち片方が「怖い二人ってなんだよ」と、これまた不快感を顕にしていたのはまた別の話。


直に何があってこうしている、という説明は、スカイプごしにもしてはいなかったとはいえ、何か妙な状態になっていることは判るはず、と思っていた。しかし、知ってかしらずか、Sはばらすようなことをした。


頭に来たので怒鳴りつけた。するとこう返ってきた。

「何があったか興味もないし、関係ないから」と。このようなことをのたまった。その声色は、子供がすねながら言うのと同じだった。

「興味ないのにするんか!?」とさらに怒鳴りつけ、「もういい。ゲーム辞めろ」「二人に挨拶して出て行け」とやり、Sは挨拶して出て行った。

そして、二人をなだめつつ、スカイプを切った。


怒り心頭だったので、スカイプをアンインストールし、電話番号も削除。フリーメールのアドレスも削除した。


もう二度と話をする価値の無いやつだ、そう判断したのである。



そして、今更電話してきたのである。相も変わらずの、ふざけた声色としゃべりだった。


こう返して切った。「もう二度と連絡してくるな」


とはいうものの、これでは止めを刺せないから、後でこちらからまた電話してみたが、出なかった。

なんと言って止めを刺そうと思ったのかというと、以下に。

「貴様は状況を考えもせず、怒られた理由も考えないし問わない上に、自分の機嫌を損ねたからとふざけた態度をとる、クソガキだ」と。


電話の当初のやりとりを思い出して書く。


「今更なんの用だ?」

とご挨拶をすれば、

「いや、すまん。連絡しなくて」と来る。


Sは勘違いをしている、というのをこの一言で判断した。


わしは、Sが連絡をしなかったことを怒っているのではなく、そしてそもそもSに対して怒ることが主眼にはない。


頭が空っぽの馬鹿と付き合ってるとこちらも馬鹿になるから、もう付き合わない。そう思っただけだ。


日蓮が言っていたそうだが、「悪知識を遠ざけ、善知識に近づけ」という風なことを。

某宗教団体の解説だか例え話だと、「知識」とは友人のことで、簡単に言えばいい友人を持て、ということになる。


Sにとってはちっぽけでつまらんことにこだわるわしは「悪知識」である。

そして、Sはわしにとって上記の事件から推し量るに、「悪知識」である。


お互い、日蓮とやらの教えに乗っ取って、「悪知識」を遠ざけるべきであろう?

という皮肉は昔考えた。



状況を考えず、自分の感情を正当化して物を言う。まあ、まったくわしにそういうのがないとは言わんが、上記の件だけでなく、Sには目立つ。


記憶違いで有る可能性が高いが、「俺は空気読まないんだ」というようなことをなんだか自慢げにほざいていた。


空気を読まないのではない。何も考えずにただ感情に任せて場当たり的なことをしでかすだけのクソガキなだけである。


少しは頭を使うことを覚えるべきであろう。

空気を読まないとう反知性はつまり、別にカッコイイわけでもなんでもない、ボケて条件反射だけで動くヒトガタ動物に成り下がっているだけである。


反知性が過ぎれば、「汎痴性」に至る。この「汎痴性」というのはわしが語呂合わせで作ったもの(つまりダジャレ)なので、調べないように。

それはともく。

「汎痴性」が自慢だとは嘆かわしい男である。嘆く必要はないが、こんな男の嫁はアワレだし、後は授かったかどうかはしらんが、その子供というのはまた嘆かわしい、「汎痴性」の申し子となること請け合いである。


「汎痴性」万歳!「汎痴性」よ、長しえなれ!


嫁と子供(いるかしらんが)をけなしたくはないが、知性のないものが知性を授けることなどできぬ相談。

せいぜい、「汎痴性」を称揚し続けるがいい。


お前なんぞ「興味も無いし、関係ないから」な?


では、よき終末を。


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