さてはてなんとか帳。相撲は八百長。
というわけで、なんだか最近は写真を載せる事がなかったので、以前からやろうと思っていた話を改めて。
えー、西八の若旦那といいましたら私しかおりませんで、まだ若いんで、文字通り若旦那でございます。
ようやく仙人だか若旦那だかよく判らない微妙な位置を思い出したので、昨年から着物で暮らすようになったしだいであります。
ですが、まだ思い出したばかりなので『あれか、これか』と、暗中模索の状態でありまして。
で、ようやく思い出したとはいえ、世のしがらみもございまして。
じゃあ、この辺りで妥協しようかと思い至ったしだいでございます。
今は特に梅雨の時期でございますが、あまり雨が降りません。こりゃ出番がないのかと思いましたが、ここで出番にしようかということで、こちらをご覧ください。
いつもより多く回ることはございませんが、このような傘を仕入れてまいりました。といいましても、先月かその前ぐらいの話でございます。
上から見るとこうなります。
たたんでしまうとこうなると。
こんな傘を洋装で使ったり使わなかったりとやっておりました。すれ違う人がなんだかたまに見てくるナァと思ったら、まだ肌寒いのに素足に雪駄、ビーチサンダルでございますが、の方を見ていたのかな、などと感じております。
さてさて、和装にはこれしかないと思い立ちまして、キセルを愛用しております。
実は順序が逆でして、キセルを使い始めてから「着物着るべし」に至ったのですが、やはりこれしかないと。
キセルは真ん中が竹の筒で出来ておりまして、ここが痛んでくると。ずっと昔はこれを取り替える専門の羅宇屋というのが町を流していたそうです。
無賃乗車を「キセル」と申しますは、「入り口と出口だけ金(かね)を使う」という洒落から来ております。
今ではお取替えが少々お高くつきまして、キセルを買い換えるほうが安くついたりします。
さて、今年の初めに純銀製の延煙管(徹頭徹尾銀で出来たもの)を買ったのはよいものの、去年から愛用している所謂キセルの方の羅宇が少々傷んでまいりました。
それならばと、一念発起いたしまして、羅宇の取替え代より高いのを買ってしまおうと。
それがこちら。
しかし、こうやって遠くから眺めてみると、なんだか蛭に見えてきます。蛭も煙管も吸うもの、といえましょうか。
金ぴかなのは金鍍金でございまして、お店のHPを検分いたしましたところ、純金鍍金であるようだと。すぐ見える写真の10-Gでございます。
これが少々意匠を凝らしておりまして、入り口と出口の近くがこうなっております。
こちらは出口かな?
そして入り口
純金に惹かれましたのは、なんとかの桜の影響でございます。実ににゃんとも。
まだまだ出口は見えないかもしれませんが、入り口があるなら出口はそのうち来るだろうと感じておるしだいでございます。では、お後がよろしいようで。
以前、着物でアパートの家賃を払いに(近所の不動産屋に)行ったら、「着物着てるんだから落語でもやったらいい」などと、妙な事を言われた。それなら江戸時代の人は皆噺家である。
というわけで、ちょっと落語風にやってみた。この調子でラヂヲやったら「あんた誰だ」と言われそうだが、書くのと喋るのでは中々違いがあるのである。
さて、前回の記事でまた書き漏らしがあった。
以前から言おうと思っていたのだが、もしかしたら書いたかもしれないが、正坐の話のラヂヲをブログでご紹介してくださった方に一言を。
そのブログにコメントしたら、こういう風に返ってきた。
「こちらも可能性が広がりました」と。
改めて申し上げたい。
こちらこそ、可能性が広がったと感じております。何の後押しもなく一人でラヂヲをやっていたら多分、ずっと続けようと思わなかったと考えております。
ちょっと六杯目は可能性を狭めてしまったようなところがありますが、それもまた可能性と思っっております。
落語ではないですが、落としどころを探れたと感じます。本当にありがとうございました。
少々照れくさいが、コメントを戴いた時から感じていたことである。先延ばしになって申し訳ない。では、また。
というわけで、なんだか最近は写真を載せる事がなかったので、以前からやろうと思っていた話を改めて。
えー、西八の若旦那といいましたら私しかおりませんで、まだ若いんで、文字通り若旦那でございます。
ようやく仙人だか若旦那だかよく判らない微妙な位置を思い出したので、昨年から着物で暮らすようになったしだいであります。
ですが、まだ思い出したばかりなので『あれか、これか』と、暗中模索の状態でありまして。
で、ようやく思い出したとはいえ、世のしがらみもございまして。
じゃあ、この辺りで妥協しようかと思い至ったしだいでございます。
今は特に梅雨の時期でございますが、あまり雨が降りません。こりゃ出番がないのかと思いましたが、ここで出番にしようかということで、こちらをご覧ください。
いつもより多く回ることはございませんが、このような傘を仕入れてまいりました。といいましても、先月かその前ぐらいの話でございます。
上から見るとこうなります。
たたんでしまうとこうなると。
こんな傘を洋装で使ったり使わなかったりとやっておりました。すれ違う人がなんだかたまに見てくるナァと思ったら、まだ肌寒いのに素足に雪駄、ビーチサンダルでございますが、の方を見ていたのかな、などと感じております。
さてさて、和装にはこれしかないと思い立ちまして、キセルを愛用しております。
実は順序が逆でして、キセルを使い始めてから「着物着るべし」に至ったのですが、やはりこれしかないと。
キセルは真ん中が竹の筒で出来ておりまして、ここが痛んでくると。ずっと昔はこれを取り替える専門の羅宇屋というのが町を流していたそうです。
無賃乗車を「キセル」と申しますは、「入り口と出口だけ金(かね)を使う」という洒落から来ております。
今ではお取替えが少々お高くつきまして、キセルを買い換えるほうが安くついたりします。
さて、今年の初めに純銀製の延煙管(徹頭徹尾銀で出来たもの)を買ったのはよいものの、去年から愛用している所謂キセルの方の羅宇が少々傷んでまいりました。
それならばと、一念発起いたしまして、羅宇の取替え代より高いのを買ってしまおうと。
それがこちら。
しかし、こうやって遠くから眺めてみると、なんだか蛭に見えてきます。蛭も煙管も吸うもの、といえましょうか。
金ぴかなのは金鍍金でございまして、お店のHPを検分いたしましたところ、純金鍍金であるようだと。すぐ見える写真の10-Gでございます。
これが少々意匠を凝らしておりまして、入り口と出口の近くがこうなっております。
こちらは出口かな?
そして入り口
純金に惹かれましたのは、なんとかの桜の影響でございます。実ににゃんとも。
まだまだ出口は見えないかもしれませんが、入り口があるなら出口はそのうち来るだろうと感じておるしだいでございます。では、お後がよろしいようで。
以前、着物でアパートの家賃を払いに(近所の不動産屋に)行ったら、「着物着てるんだから落語でもやったらいい」などと、妙な事を言われた。それなら江戸時代の人は皆噺家である。
というわけで、ちょっと落語風にやってみた。この調子でラヂヲやったら「あんた誰だ」と言われそうだが、書くのと喋るのでは中々違いがあるのである。
さて、前回の記事でまた書き漏らしがあった。
以前から言おうと思っていたのだが、もしかしたら書いたかもしれないが、正坐の話のラヂヲをブログでご紹介してくださった方に一言を。
そのブログにコメントしたら、こういう風に返ってきた。
「こちらも可能性が広がりました」と。
改めて申し上げたい。
こちらこそ、可能性が広がったと感じております。何の後押しもなく一人でラヂヲをやっていたら多分、ずっと続けようと思わなかったと考えております。
ちょっと六杯目は可能性を狭めてしまったようなところがありますが、それもまた可能性と思っっております。
落語ではないですが、落としどころを探れたと感じます。本当にありがとうございました。
少々照れくさいが、コメントを戴いた時から感じていたことである。先延ばしになって申し訳ない。では、また。
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