そっぽ
2012-09-28 | 雑記
吸っているタバコは、そこにしかないと思い込んでいたので、以前は隣県のお店まで買いに行っていた。
最近はご無沙汰である。ロングパイプモールがなくなった時や、キセルを新調する時、後はモールついでに他のシャグを試しに買っていた。中々気に入ったのもあるのだが、最近は針金で掃除するという荒業でモールの出番が減っている(よい子は真似するなよ!)。
このところは、仕事場の近くのデパートで葉巻を買ったり、住んでいる町の繁華街にあるお店に伺う。
シャグでさらにキセルだと、それほど減らないので(一日一箱なんぞ存在しない)、なくなりそうになったらストックを買うとか、ストックがあるなら、たまには葉巻をやろう、という具合である。
さて、家にまだ近いお店。シャグは何故だか、マニトウ・オーガニックとチェ・シャグが置いてある、という話は以前も書いた。
そろそろ買おうと通りかかったら、今日は犬がいた。比喩じゃなくて、四本足で歩く犬である。
前にも見かけた犬で、ずっと座り込んでいる。前に伺った時は暑かったが、その時は基本的に自宅の方に引っ込んでいるのだが、その日は珍しく出てきていたのだという。これも書いた気がするが忘れた。
ただ、今回は様子が違う。毛を逆立てて唸りを上げて・・・はいない。
撫でるとちょっと驚く。誰だか判らないのは仕方ないとして、少々神経質じゃないかと思ったら、顔もこちらから見て右を向いている。
店のおばさんが言うには、歳のせいもあって、以前罹った結膜炎の治りが遅いらしく、右目が悪いそうだ。
最近は食べる物も変えたそうで、ドッグフードは一切なし。キャベツ食べているとのことだ。他にも野菜ばかりを上げていた。
実家の死んだ犬もそうだったんですよ、等等、しばし話をしていた。
さて、話は前後したが、陳列ケースを見てみると、見たことがない、もしくはあっても気にしなかったのかは定かではないが、今まで触ったことのないシャグが置いてあった。
どうも、「無添加」と銘打たれているようなのは優先的に仕入れて並べているようだ。どんどんやって欲しい。
プエブロ・ナチュラルという、ドイツの銘柄だそうな。マニトウもドイツの銘柄であるが、同じところかは知らない。箱のポップには「老舗の」とかあったような気がするが、忘れた。
海の向こうで大人気だそうな。老舗云々は勘違いかもしれない。添加物は水だけ、だそうな。日本での発売は先月からのようだ。
リンクしたブログにもあったが、開けてみると刻みタバコかと思うほどだった。マニトウだとちょっと葉が大きいので、指先で摘むときに少々調節がいるが、これは「小粋」やら「宝船」を詰めるときと変わらない感覚である。
犬のいるタバコやは、中でも外でも吸える。さっそくベンチに腰を降ろし、開いてみたら、まず思ったのが「これは・・・刻みタバコ!」だったのである。
なかなかいい香りがする。マニトウ・オーガニックは青畳のような、と表現している人もいたりして、作りもオーガニックなんだろうな、と思わせるところである。他に表現が思いつかなかった。
このプエブロは、軽快な香りである。「仄かに甘い、草の香り」とは上記のブログ。アメリカン・スピリットと同じく、北米インディアンの手になるものらしい。
一服した感想は、「あっさりしている」というところか。鼻から抜けるのもくどくない。値段はマニトウとチェの間である。
マニトウ・オーガニックはともかく、チェは毎度吸うにはちと重いかも、と感じるところがある。
これも、タバコが嫌い(病気の原因の巣窟だと信じている人)な人は別として、なんとなく不快だと思う人には考えを改める切っ掛けになるやもしれない。無理に変えようとも思わないが。
こちらとしてはキセルに詰めやすいというのはなかなかいい。初心者にもいいかもしれない。
で、キセルで吸っていたら、おばさんが「キセルで吸っているのと見るとホッとする」等とおしゃべりして、その後犬を撫でていたというわけである。ついでに、足腰は元気で、階段も上り下りするそうだ。
帰り際、引き戸を閉めるくらいになったら、ようやくこっちを向いた。片目はほとんど瞑っている状態で、「やっぱり悪いんだな」と改めて思ったしだいである。
犬とタバコの話は措く。措くといいながらだが、犬の医者はこう言っていたそうだ。「ドッグフードは栄養がありすぎて内臓に負担がかかる」と。
野口晴哉師もおっしゃっていたが、「現代は栄養があると聞けばなんでも口にする」と。栄養がありすぎてそれを放り出している身体の働きを見ては「体を壊した」と言い、せっせと栄養を取り込み、挙句の果てには本当に壊すのだという。
江戸時代の話だそうだが、富士山から氷の塊を解けないうちに抱えて走って持ってきた、というそうな。
また、馬と競争するように口取りの人がついてきた、というのも、イザベラ・バードの著作だったと思うが、ある。
さぞかし、江戸時代は栄養が豊富な食べ物があったんだろうなぁ、と考える方はお待ちいただこうか。でなけりゃドッグフードの話はかかない。
あれは「現代と比べて遥かに栄養がなかった」からできたのである。
加熱食は負担になる。丁度、きみしぐれさんがグラハム博士の著作の話を出していたので、丸投げリンクを。「加熱食とは」
現代の加熱食というのは「過熱」食だというのも大きいだろう。後はキチガイ沙汰の加工食品。これも加熱であり過熱である。
では、果物は栄養がないからか?そうではない。
負担なく必要な分がきっちり摂れる、というわけである。
加熱と過熱に大差はなかろうが、ワケのワカランほど煮沸消毒したり焼却処分もかくやといわんばかりのことをしなかった江戸の庶民は、まだ果物を食べるのに近いところがあったのだろうと思われる。
加熱と過熱の違いはこういう話があるので、参考までに。青菜の茹で方の、下のほう。
別のページで、「野菜は常温になると酵素が中のビタミンやらを壊すため、八十度ぐらいの温度で茹でて酵素の働きを止める」とある。
本当はそれくらい繊細なことをやるのが料理である。レンジで下ごしらえ、などと聞けば葬儀屋の手配をしたくなる。
そんな面倒なことを毎日神経使いながらやれるのは料理人くらいなものであろう。(判っている板前も少ないそうだが)
前回の記事にコメントを戴いた際に、「火で焼くこと自体が重要で、焼いたものを食べるのはオマケだったのではないか」という風にコメントを返した。
そろそろオマケにそっぽを向いてもいい頃合である。タバコ屋の犬のように。かく言う自分は、まだ「普通」と大差ないが、そっぽを向いて食べているのである。「こんなものでは殺されぬ」と。
そんなもんで死ななければ苦労はしなかろうが、野口晴哉が嘆いた「栄養を摂り過ぎる現代人」というのは、そっぽの向き方すら忘れてしまったと言うわけである。では、また。
最近はご無沙汰である。ロングパイプモールがなくなった時や、キセルを新調する時、後はモールついでに他のシャグを試しに買っていた。中々気に入ったのもあるのだが、最近は針金で掃除するという荒業でモールの出番が減っている(よい子は真似するなよ!)。
このところは、仕事場の近くのデパートで葉巻を買ったり、住んでいる町の繁華街にあるお店に伺う。
シャグでさらにキセルだと、それほど減らないので(一日一箱なんぞ存在しない)、なくなりそうになったらストックを買うとか、ストックがあるなら、たまには葉巻をやろう、という具合である。
さて、家にまだ近いお店。シャグは何故だか、マニトウ・オーガニックとチェ・シャグが置いてある、という話は以前も書いた。
そろそろ買おうと通りかかったら、今日は犬がいた。比喩じゃなくて、四本足で歩く犬である。
前にも見かけた犬で、ずっと座り込んでいる。前に伺った時は暑かったが、その時は基本的に自宅の方に引っ込んでいるのだが、その日は珍しく出てきていたのだという。これも書いた気がするが忘れた。
ただ、今回は様子が違う。毛を逆立てて唸りを上げて・・・はいない。
撫でるとちょっと驚く。誰だか判らないのは仕方ないとして、少々神経質じゃないかと思ったら、顔もこちらから見て右を向いている。
店のおばさんが言うには、歳のせいもあって、以前罹った結膜炎の治りが遅いらしく、右目が悪いそうだ。
最近は食べる物も変えたそうで、ドッグフードは一切なし。キャベツ食べているとのことだ。他にも野菜ばかりを上げていた。
実家の死んだ犬もそうだったんですよ、等等、しばし話をしていた。
さて、話は前後したが、陳列ケースを見てみると、見たことがない、もしくはあっても気にしなかったのかは定かではないが、今まで触ったことのないシャグが置いてあった。
どうも、「無添加」と銘打たれているようなのは優先的に仕入れて並べているようだ。どんどんやって欲しい。
プエブロ・ナチュラルという、ドイツの銘柄だそうな。マニトウもドイツの銘柄であるが、同じところかは知らない。箱のポップには「老舗の」とかあったような気がするが、忘れた。
海の向こうで大人気だそうな。老舗云々は勘違いかもしれない。添加物は水だけ、だそうな。日本での発売は先月からのようだ。
リンクしたブログにもあったが、開けてみると刻みタバコかと思うほどだった。マニトウだとちょっと葉が大きいので、指先で摘むときに少々調節がいるが、これは「小粋」やら「宝船」を詰めるときと変わらない感覚である。
犬のいるタバコやは、中でも外でも吸える。さっそくベンチに腰を降ろし、開いてみたら、まず思ったのが「これは・・・刻みタバコ!」だったのである。
なかなかいい香りがする。マニトウ・オーガニックは青畳のような、と表現している人もいたりして、作りもオーガニックなんだろうな、と思わせるところである。他に表現が思いつかなかった。
このプエブロは、軽快な香りである。「仄かに甘い、草の香り」とは上記のブログ。アメリカン・スピリットと同じく、北米インディアンの手になるものらしい。
一服した感想は、「あっさりしている」というところか。鼻から抜けるのもくどくない。値段はマニトウとチェの間である。
マニトウ・オーガニックはともかく、チェは毎度吸うにはちと重いかも、と感じるところがある。
これも、タバコが嫌い(病気の原因の巣窟だと信じている人)な人は別として、なんとなく不快だと思う人には考えを改める切っ掛けになるやもしれない。無理に変えようとも思わないが。
こちらとしてはキセルに詰めやすいというのはなかなかいい。初心者にもいいかもしれない。
で、キセルで吸っていたら、おばさんが「キセルで吸っているのと見るとホッとする」等とおしゃべりして、その後犬を撫でていたというわけである。ついでに、足腰は元気で、階段も上り下りするそうだ。
帰り際、引き戸を閉めるくらいになったら、ようやくこっちを向いた。片目はほとんど瞑っている状態で、「やっぱり悪いんだな」と改めて思ったしだいである。
犬とタバコの話は措く。措くといいながらだが、犬の医者はこう言っていたそうだ。「ドッグフードは栄養がありすぎて内臓に負担がかかる」と。
野口晴哉師もおっしゃっていたが、「現代は栄養があると聞けばなんでも口にする」と。栄養がありすぎてそれを放り出している身体の働きを見ては「体を壊した」と言い、せっせと栄養を取り込み、挙句の果てには本当に壊すのだという。
江戸時代の話だそうだが、富士山から氷の塊を解けないうちに抱えて走って持ってきた、というそうな。
また、馬と競争するように口取りの人がついてきた、というのも、イザベラ・バードの著作だったと思うが、ある。
さぞかし、江戸時代は栄養が豊富な食べ物があったんだろうなぁ、と考える方はお待ちいただこうか。でなけりゃドッグフードの話はかかない。
あれは「現代と比べて遥かに栄養がなかった」からできたのである。
加熱食は負担になる。丁度、きみしぐれさんがグラハム博士の著作の話を出していたので、丸投げリンクを。「加熱食とは」
現代の加熱食というのは「過熱」食だというのも大きいだろう。後はキチガイ沙汰の加工食品。これも加熱であり過熱である。
では、果物は栄養がないからか?そうではない。
負担なく必要な分がきっちり摂れる、というわけである。
加熱と過熱に大差はなかろうが、ワケのワカランほど煮沸消毒したり焼却処分もかくやといわんばかりのことをしなかった江戸の庶民は、まだ果物を食べるのに近いところがあったのだろうと思われる。
加熱と過熱の違いはこういう話があるので、参考までに。青菜の茹で方の、下のほう。
別のページで、「野菜は常温になると酵素が中のビタミンやらを壊すため、八十度ぐらいの温度で茹でて酵素の働きを止める」とある。
本当はそれくらい繊細なことをやるのが料理である。レンジで下ごしらえ、などと聞けば葬儀屋の手配をしたくなる。
そんな面倒なことを毎日神経使いながらやれるのは料理人くらいなものであろう。(判っている板前も少ないそうだが)
前回の記事にコメントを戴いた際に、「火で焼くこと自体が重要で、焼いたものを食べるのはオマケだったのではないか」という風にコメントを返した。
そろそろオマケにそっぽを向いてもいい頃合である。タバコ屋の犬のように。かく言う自分は、まだ「普通」と大差ないが、そっぽを向いて食べているのである。「こんなものでは殺されぬ」と。
そんなもんで死ななければ苦労はしなかろうが、野口晴哉が嘆いた「栄養を摂り過ぎる現代人」というのは、そっぽの向き方すら忘れてしまったと言うわけである。では、また。