ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

猫を見る

2012-09-06 | 雑記
一週間ほど前になる。健康診断を受けてきた。

なにやらチェック項目を記す箇所があり、「生活を見直す気はありますか?」やら「直すとしたら指導を受けますか?」などとある。


病気は医者と製薬会社とその他もろもろ(多すぎて書くのが面倒である)が作っている。当然「変える気はない」と答えておいた。


ところで尿検査とやら。こいつはいただけない。朝一の尿を取って引っかからない可能性のほうが低い。何せ、早朝まで飲んでいたわけで、ここで寝て起きたら面倒なことになる。

そこで一計を案じ、茶を飲みまくって、二、三回目の(その頃には明るいので「朝一」ということだな)を放り込んだ。


しかし、体にたまった要らないものを放出しているのを見て、医者というのは「病気になっている」と曰まう。これが仕事だというのだから、大昔問題になったアホ臭い宗教もどきの「足裏診断」と変わらない。

何分、証拠を出してくるだけマシだとはいえるが、結果と原因が引っくり返っている。

野口晴哉師が言っていた話だと思うが、体には不要な栄養を外に出す機能があり、歳を食えば消化機能も衰えてくるため、昔同様にせっせと溜め込んでいたら体が壊れる故、糖尿などとして排出される。歳を食えば糖尿が出やすくなるともいえる。(人の老化というものの原因が何かは置いておくとして)

その体の正常な機能を見て、「体が壊れた」などと、せっせとまた栄養を取っては排出を繰り返し、挙句の果てに本当に壊れてしまうのだと。



そんな話は措くとして、そういう考えを知らなかった昔は、小便の臭いがおかしい時は「病気になったんじゃないか」とよく戦々恐々としていたが、今はなんとも思わない。

別の意味でなんとも思うに至っているが、ここに書くには長すぎるので書かない。(※フェルマーのもじりである)


というわけで、わざわざ休みの日に池袋まで繰り出すことになった。また千葉だったら喜んで行くところだが、その上少し寝たくらいで、徹夜に近い状態である。


血圧辺りが何か言われるかと思いつつ量ったが、ナニがいいのか悪いのか判らない。


とりあえず、学校なんかでもやる辺りの数値でも示しておくとしよう。


まず身長。162.9cmとでた。あんまり寝てなかったから、体が伸びてなかったようだ。約163ということになる。

次、体重。服を着ていたから、褌一丁状態よりは重くなる。47.7kgとなった。脱いだら恐らく46台であろう。

座高は、ない。ちなみに脚は短い。

視力。右が1.2で左が1.5だった。右はなんだかいつも自信がなくなって、最後が「判らない」というのである。恐らく、左より少し弱いのであろう。

血圧。116/68くらいだったと思う。

ちなみに、採血の時に医者から「血圧がいいね」といわれた。採血はあまりいい気分ではない。「以前、気分悪くなったことはあるか」と訊ねられても「やったことがないのでよくわからん」というしかない。

別に倒れることはなかったが、血を抜いていいのは蚊だけである、と確信したしだいである。起きているときは息を吹きかけて追い払うが、寝ているときはご自由に。

心電図やらレントゲンもやったが、その辺りは今度になるのだろう。尿も一計を案じたおかげで問題ない。しかし、おかしいと思わんのかねぇ?血液についても結果待ちだが、どうなるかは不明。


しかし、だ。

死んだモノ(別にわしが生きていないわけではなく)をああでもないこうでもないとやって、生きたモノが浮かび上がるだろうか?

体から抜けた血は、もはや単なる物質。体の中でどう動いていたか、またどう動いてきたか、そしてそれが生きた人間にどう影響を与えているのか。

血になにやら混ぜて、含まれている物質やらを調べたところで、生きた人間は浮かび上がることはないのである。


会場の近くにある公園を、行き帰りに通りかかった。猫がいたのである。

帰りは場所を移動していて、おっさんと、いや、おっさんがじゃれていた。


ああやって猫と遊んだり、または猫と遊ぼうと思えば遊べる状態がある。それこそ健康であり、診断とやらでどうこう言われる筋合いはないのだと、雑踏を足早に通り抜けながら思うのであった。では、また。