ウヰスキーのある風景

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氏と名

2010-10-25 | 雑記
先日、さる家族に第一子が誕生した。母体が妊娠中毒症(現在はそう呼ばない)で、最悪死産の可能性も、という話だったが、無事に生まれた。

それも頭を悩ませる話だったようだが、それよりも悩んでいたことがあった。名前が決まらないのだとか。一応、当人が決めた名前は、夫婦両方の父母からは「別にいいんじゃないか、二人がよければ」とのことで、決まりかけていたが、それ以外の親戚が猛反発をしているという。

それはまあ、直近の話ではあるが、以前から「名前を、名前を」と、姓名判断と睨めっこをしていた。

「では、君に哲学的な名前を考えてもらいたい」と、生まれる子供性別がわかったころにそんな沙汰が降りた。

なにやらよくわからない本を読んでいることがたまにあるので、そんなことを言われてしまったが、名前に哲学的、などとは非常に難しい。
パスカルの「人間は考える葦である」から、「葦」。どうだい実に哲学的じゃないか、とはさっき思いついたネタ。

名前に意味をこめる、とはいうが、意味ではあるが親の子に対する願いであって、「哲学的」な、では妙な名前になりえる。あとは、苗字と名前を続けて読んだときにいい響きになる、というのはどうだろう、などと言ってみた。


さて、生まれたすぐ後にも顔を合わせたので、仮眠中に考えた名前を伝えてみた。

それが下の写真。「安生さんが子供の名前決まったら例の毛筆で書いてくれるんですって」と宣伝されたので、その練習でもある。実際にやるかはわからない。




そう、哲学的、というから安直に哲学の哲に子で「哲子」でどうですかと。
哲子といったら字は違うが、黒柳が浮かぶので却下された。
ここまで書いてて示すのを忘れていたが、生まれたのは女児。寅年の蠍座でなくてよかった、とは本人の弁。

もし、男だったら、というわけでもう一つ。




もしこんな名前だったら、マグロ泥棒も自分を改造した悪の組織がやったに違いないと騒ぎ出す、正義感あふれる青年になるに違いない。



さて、名前について別のことを一つ。

ここで自分がコメントを返しているときに使っている名前、「安生」について。ここのブログの始まりにも関わりがある。

昔、モンスターハンターがPS2で発売され、大ヒットした。オンラインで他人と協力プレイが出来るアクションゲームということで、続編のGから自分はオンラインをやっていた。その時は名前の表記はアルファベットのみ。Anseiと名乗っていた。「安生」の読みを変えたものだ。

さて、時代は下り、これまたオンラインゲームたるファンタシースターユニバースを始めることになった。こちらは名前に漢字を使用可能ということを、初オンライン時のキャラクタークリエイト(自分のキャラの容姿を決める)で判明。

元々、モンスターハンターの時といい、性別を自由に選べる場合は女性キャラを選んでいた。別にゲーム内で女性らしく振舞っていたわけではないが、まあ好みの問題で。

そうすると名前を考えにくい、どうしようと思ったが、そこで思いだしたのが、例の「安生」。昔、大学の授業で、教授が一人ひとりの顔と名前を一通り見ようとしたのだろうか、名前を書いたカードを、初授業の日に提出させていた。顔を見て名前を見て、「えー、何々(氏名)?」とやっていた。

で、自分のを提出したときにこう来た。「○○(苗字)、アキ?」


あー、この名前そう読めたりするんだなぁ、となんだか印象に残っていた。


そこで話が戻る。ファンタシースターユニバースでも女性を選ぶ。名前は漢字で「安生」。読みはアンセイかアキでご自由に、と触れ回っていた。

人によっては安さん、と何だか韓国から来たような名前になってしまったが、そう呼ばれたり、アキのほうもある程度定着していた。

マニアックな人は、アンジョウと読んで(これ自体は一般的だが)さらにそこから司令長官と呼び出す猛者が出た。何故長官かは簡単なこと。とあるプロレスラーのリングネームに「アン・ジョー司令長官」というのがあり、「アン・ジョー」は「安生」からきているのだとか。長らくその人からは長官と呼ばれることになった。


そして、そのファンタシースターユニバースからの付き合いで始まったのが当ブログ。始まりが始まりだから、名前もその時のものを使った。読みも準拠、というわけだ。

名乗ってもいない名前をここで呼びかけるのはデリカシーにかける行為だ。わかりましたか、タイセイ、taisei、いや泰生さん。