ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

様式美

2010-10-08 | 雑記
週末の仕事の状況を勘違いしていた。明日の土曜は夜勤ではなく、昼出の夜上がりだった。

というわけで(まったく関係はない)本日の夜勤明けもまた、一駅前から歩いて帰ることにした。

予定としては、「和」までいって一杯やって帰る、という、歩く意味はあるのかという内容。


ちょっとゲーム屋も覗いてきた。先日、海外で大反響のあったゲームの日本語版が出たからだ。

が、中古を扱うその店は、我らがXbox360のスペースはかなり小さくなっている上に
置いてあったのはPS3版のみだった。こんな不当な扱いはありえない。

まあ、360が売れてない、売れる見込みも大きくはない日本では仕方がない。

もし買うとしたら、PC版が出たらやってみるかな、くらいであって、どちらにしても問題なかった。


もういい、充分だ、そう考えて店を後にした。


これから凡そ一時間ほど歩き詰めになる。いい天気のようだが雲も多かった。時折お日様が隠れたりする。


だが、途中で歩き詰めはなくなった。どちらにしても「和」にたどり着くまでは歩き詰めだったが。


市内には何年か前、馬鹿でかいマンション複合施設ができ、一環として美術館もある。
先月の末から、企画展示を始めていた。タイトルは「エミール・ガレの陶芸~日本への憧れ~」

始まったころから、この企画展示のことは覚えていたのだが、毎回素通りしていたのだった。

しかし、今日はお日様が強かったので、入ることにした。ではここで素人がガレについて概説をする。


十九世紀末から二十世紀初頭にかけての、アルー・ヌーヴォーを代表する、フランスの芸術家。

陶芸からガラス器、果ては家具まで作り上げた。工場で土台を作って、大量生産を行う、大雑把にいえば陶器屋をやっていたわけだ。

有名な作品は「ひとよだけ」という、キノコの形をしたランプ。我が愛読漫画の「ギャラリー・フェイク」にも登場した。

というわけで、こんな適当な話を読むくらいなら、なんとかぺディアを読んだほうがいいに違いない。


その「ひとよだけ」は流石に置いてはいなかった。まあ、陶芸といいつつガラスランプが展示の中心では詐欺ではある。

お土産にちょっとしたものを買ってきた。



ガレ風、吟醸杯という。日本酒をいれるべきだと思ったが、家にはないのでウヰスキーで満たされている。


そして一路「和」へ。

先週だか先月末にも一度訊ねたが、いつもの兄さんはその時はいなかった。今日はいた。


オリオン生と島ラッキョウを頼み、食べつつ片づけをしていた兄さんに一つ尋ねてみた。

「何か新しいメニューは決まりましたかね」「いやぁ、特には。まあ、お酒に合うのなら出来ますよ」

と答える。裏メニューがどうこうと聞いてからしばらくこなかったので、早速一つやってくれと頼んだ。


さて、出来上がったメニューはというと、塩豚(リブロースを塩で煮たやつかと思う)ともやしのサラダ風。

ドレッシングは醤油と豆板醤やシークワーサー(沖縄のゆずやらかぼすみたいなもの)胡椒と鰹節などを混ぜたもの。

曰く、「バクバクいけますよ」とのこと。たしかに、箸がとまらなかった。

塩豚は単体でもメニューにあるのだが、もやしと合わさり、うまさが引き立つ。
醤油と鰹節、さらに柑橘類の果汁が混じれば、食欲も増す。ほんの少し混ぜてある豆板醤も食べるほどに後を引く。

惜しむらくはまるで夏のメニューである点と、兄さんもいうには酒呑みに向けるには何か足りないとのこと。
他に具を足すなら何がいいか、冬なら大根はどうか、白に白すぎる、などと言い合っていた。

出された状態では、サラダとしても通用するという点を踏まえて、酒呑みに向けた濃い目の味にするなら
醤油をもう少し足してみてはどうか、と食べながら感想を述べてみた。

ああでもないこうでもないと二、三やりとりしていたら、酒の締めにゴーヤのスープも考えてるんですといって
サービスでいただけた。こちらはゴーヤの苦味がなくなり、締めとして申し分なく感じた。実にうまいと申し述べた。


ちなみに上記の塩豚のサラダ風、兄さんが最近ダイエットをしているそうで、よくそういうのを食べているかから、だとか。

たしかに、以前より丸くなっているような。マスターもかなり丸かった。マスターはやはり今も丸いのだろうか。

醤油多めが吉と出るか凶と出るか、今はまだわからない。また次回、覚えていたら頼んでみたいと思う。では、また。


追記
我がgooブログの編集システムが少々変わりつつある。過渡期というやつだ。移行しつつある新ヴァージョンで書いたため、いつもと改行の調子が違う。その辺りは気を使うのも疲れていたので、おそらくこの調子でやると思う。