これを書き始めた日の午前中、以前に何度か告知した、「風呂敷鞄の講習会」を行ってきた。
紆余曲折、というほどではないが、参加者は三名。内一名は市内に住む、大学の後輩であった。
しかし、終了時に講習費を頂戴したところ、何故か四名分貰うことになったのだが、それは今回の企画発案者の女性スタッフの方も実際に着席して講習を受けたからというわけで、締めて四名に風呂敷鞄の作り方を教えたわけである。
しかし、まさか本当に行うことになるとは思わなかった。告知してからすぐに参加表明した方一人だけになるかと危ぶんでいたのだが、かき集めてきた自前のと借りてきたのと、上記の女性スタッフの自前の分(インドの織物)で、参加者全員とついでに店主(大きすぎる布の端っこだけ結んだだけのを持ってもらって)とで記念撮影をして終了と相成った。
ただ、残念なことに、純粋な参加者は一人として風呂敷を持ってこなかった。出来れば自分で作った鞄を持って、使う使わないはいいとしても、こういう事が出来るのだなと自身の肥やしにしてもらえたらよかったなぁとは考える。
とはいえ、肝心要は結び方なので、この先何かで役立ててもらえれば結構である。結び方の練習はハンカチでも紐でも出来る。
それに、一週間くらい前に、馴染みのバーで「例のお店でこの講習会をやる」と喋って、結び方はこうこうと、持ち歩いていた手ぬぐいでやってみせたところ、「それ、知ってる」と返された。
というのも、その結び方で包帯を結ぶそうで、バーの女性店員は「看護師結び」と言っていた。
知っている人は知っているレベルといえるが、見たことがない人には、まるで手品のように見える。
風呂敷を借りたお店に返却しにいってその場で鞄に作り直して渡した後、帰宅途中で気が変わって、いくつか言いふらしていたお店に立ち寄って実演するとかいうことをやってきたが、最初に立ち寄ったお店で見せたところ、店の人はたいそう面白がって、カウンターから出てきて横から作り方を見入っていたりしていたものである。
話を戻して、講習をしてみて思ったところは、発案者の女性スタッフに以前こちらが「そんなに時間もつかねぇ」と言ったら、「意外とすぐに覚えられないと思うから」とか「後は安生さんのトークが長すぎないようにしてくれたら」などと言っていたりしたが、トークはまあ、そんなに出来なかった。講習自体の終了後のランチタイムで飲みながらしゃべって、やろうと思ったネタを話す、などというのはやったが。
それはともかく。一時間半の講習の中で一番時間がかかったのは、結び方の反復練習だった。
同じ視点に立って実演しながら結び方を教えてみたところ、結び方自体は出来たが、何故かセットで見せた解き方を失敗したりだとか、後で戻ってきてやってもらったら、こんがらがって余計な結び方をして失敗したりだとかしているものであった。
もしこれが十人ほどの参加者だったら、一人ずつ実演しながら今のはこう、それは反対、という風にやるところだったので、人数としては丁度良かったと思われる。
十人いたら、結び方を覚えてもらうだけで終ったかもしれなかった。それはそれで、次回に持ち越し、というやり方もありではある。
とはいえ、一時間半の講習でも覚えているのかというと、ちょっと怪しい。
ランチ中に、こちら自前の手ぬぐいを使って抜き打ちでやってもらったところ、もう忘れてたり忘れかけていたりした。
数日前に呼びかけたら参加してくれた件の後輩が覚えているか賭けになったが(勝ったら参加費用減額)、あっさり失敗していた。
「十回連続でやりますから!」と豪語していたのだが、最初の一回で失敗して「これはウォーミングアップ」と負け惜しみを言って・・・という、よくある笑い話の流れになったものである。
今度、お店に自前の風呂敷でも置いてもらって、「和の結び方講習できます(その人がいたら)」みたいな感じで、ちまちまと教えまわるのもいいかもしれないが、そうなると頻繁に店にいなくてはならないので、飲みすぎで倒れかねない。鞄ををディスプレイとして置いて貰って、年中告知できる体勢にするぐらいがよかろうか。
とはいえ、もう既に述べたが、肝心なのは結び方である。別名看護師結びの真結びは、引っ張りに強く、物理的に限界な力がかからなければ、解け難くなる。
なのに、簡単な手順でスルっと解ける。秘密でも手品でもなんでもないので、興味がある方は、ネット上で検索してみるとよい。
とはいえ、一人で動画や写真を見てても中々理解しづらいという人もいる。また機会があれば、こちらも鞄以外の物を包むやり方だとかを勉強しておこうかと考えている。
さて、ここからはまた、いつもの変てこな話である。別に怖い話でもヒナンチューショーな話でもない。
以前から、人に見せるためではない小説のようなものを書いている、というのは忘れたころにここで記している。
それの登場キャラの容姿に纏わることで、あれやこれやと考えていたら、昔テレビで見た女性モデルのことを思い出した。
その女性が好みだとかなんだとかいうのではなく(ある程度綺麗だと思ったら誰でも好みである)、髪型が特徴的だったからである。
奇抜だから、ではなく、もう少し時代を遡った、ゲーム機がスーパーファミコン全盛だったころの話を思い起こす髪型だったからである。
現代で通じる(上の話もまだ現代だが)言葉だと、今調べたらウィキナンタラにも載っていた、「ぱっつん」という髪型である。
上でも触れかけたが、某高校を舞台にした恋愛シミュレーションゲームでそういう髪型の女性が出てくる。
のだが、ファ○通の当時の記事だとかで「ヘルメット」なんぞと言われていた印象が拭えず、普段はモデルの名前を覚えることがなかったのだが、覚えてしまったものである。
あのモデルさん、普段テレビ見ないのもあるが、元気かねぇ?などと思い、じゃあ、それで行こうと考えた次の日か数日後。
馴染みのバーに夕方立ち寄って、テレビを見ていた。何かないかねと、店の人にチャンネルをいじってもらっていたところ、懐かしい名前を見た。
NHKでやっていた、ノストラダムスについての特集番組の再放送があり、マスターも気になったのかそれにする。
番組が始まってすぐ、ナビゲーターが画面に現れ、内容を話すのだが、つい先日名前も顔も思い出した、その女性モデルが映っていた。
驚いたが、上の話をするわけにもいかないし、したくないので、黙って番組を見ていた。しかし、変わっていなかった。髪形が。
ちなみに、五年前の番組の再放送とのこと。
世の中、不思議で一杯である。
日常の些細でつまらない話ではある。
しかし、上記のように思えるかどうかで、日常は不思議なのだと思えるかどうかで、物事は一変してしまう。
風呂敷講習の話で例えるなら、向こうからのお誘いだったとはいえ、こちらが強情を張れば行われることもなかった。
が、こういうものでも習い事になるのだなぁと不思議に思って承諾し、開催する運びとなった。
ここからまた、特定であり不特定多数への批難染みた話になるので、お覚悟を。
かつて、サラリーマンをやっていたある男性は、世の中を牛耳っているという存在のことを知る。
後ついでに、家のこととか毎日の通勤電車とかで嫌になっていたのもあったろう。多分。
それで脱サラして何やらその手の本を翻訳したり、文明生活がいけないのだと農地を開いたりして、今は幸せだーとかやっている。
世の中を牛耳っている存在云々はなくても構わないが、見せ掛けの規模が違うだけで、同じ事を思っている。
「世の中は嫌な物でしかないし、自身の生活は嫌な物だ」と、何ごとにつけてもそう思っていたのである。
現在、彼とその伴侶の目的は、「世の中をマネーのいらない生活に導くこと」だとのこと。
実に不思議である。何が?その生活を見せびらかすのが楽しくて仕方ないらしいが、それはマネーがある故に成り立っているという点である。
いずれその目的が達成されるために現在はそうしているというのであろうが、そんなことはどうでもいい。
「世の中(今のその生活環境)は良い物でしかないし、自身の生活は良い物だ」と、現在は何事につけてもそう思っているだけなのだから。
何かが原因で自分はこうなったと決め付けているだけで、要するに、環境や対象に振り回されている点がまったく変わらないのである。
だから、何事かを槍玉に挙げて排撃対象となし、それが達成できれば幸せになれるとのたまう。
彼らは、そして我々も常々思い起こさないと忘れるし、また聞いただけでは実感しないのも常だが、考えてもらいたいものである。
朝起きたとき、まだ自分が生きているということは、実に不思議なことなのだと。
生きていることを不思議だと考えることに、マネーも文明生活も関係ない。だから、マネーのない生活に導かれれば幸せだとか曰まうというのは、世迷いごとである。
そんなことは人間をやっている時点で既に達成されていたのだから。
とはいえ、こういう言い草の方が世迷いごとにされるのが不思議な世の常だと、拙は不思議に思いながら、風呂敷を広げたり畳んだりするのである。
では、よき終末を。
紆余曲折、というほどではないが、参加者は三名。内一名は市内に住む、大学の後輩であった。
しかし、終了時に講習費を頂戴したところ、何故か四名分貰うことになったのだが、それは今回の企画発案者の女性スタッフの方も実際に着席して講習を受けたからというわけで、締めて四名に風呂敷鞄の作り方を教えたわけである。
しかし、まさか本当に行うことになるとは思わなかった。告知してからすぐに参加表明した方一人だけになるかと危ぶんでいたのだが、かき集めてきた自前のと借りてきたのと、上記の女性スタッフの自前の分(インドの織物)で、参加者全員とついでに店主(大きすぎる布の端っこだけ結んだだけのを持ってもらって)とで記念撮影をして終了と相成った。
ただ、残念なことに、純粋な参加者は一人として風呂敷を持ってこなかった。出来れば自分で作った鞄を持って、使う使わないはいいとしても、こういう事が出来るのだなと自身の肥やしにしてもらえたらよかったなぁとは考える。
とはいえ、肝心要は結び方なので、この先何かで役立ててもらえれば結構である。結び方の練習はハンカチでも紐でも出来る。
それに、一週間くらい前に、馴染みのバーで「例のお店でこの講習会をやる」と喋って、結び方はこうこうと、持ち歩いていた手ぬぐいでやってみせたところ、「それ、知ってる」と返された。
というのも、その結び方で包帯を結ぶそうで、バーの女性店員は「看護師結び」と言っていた。
知っている人は知っているレベルといえるが、見たことがない人には、まるで手品のように見える。
風呂敷を借りたお店に返却しにいってその場で鞄に作り直して渡した後、帰宅途中で気が変わって、いくつか言いふらしていたお店に立ち寄って実演するとかいうことをやってきたが、最初に立ち寄ったお店で見せたところ、店の人はたいそう面白がって、カウンターから出てきて横から作り方を見入っていたりしていたものである。
話を戻して、講習をしてみて思ったところは、発案者の女性スタッフに以前こちらが「そんなに時間もつかねぇ」と言ったら、「意外とすぐに覚えられないと思うから」とか「後は安生さんのトークが長すぎないようにしてくれたら」などと言っていたりしたが、トークはまあ、そんなに出来なかった。講習自体の終了後のランチタイムで飲みながらしゃべって、やろうと思ったネタを話す、などというのはやったが。
それはともかく。一時間半の講習の中で一番時間がかかったのは、結び方の反復練習だった。
同じ視点に立って実演しながら結び方を教えてみたところ、結び方自体は出来たが、何故かセットで見せた解き方を失敗したりだとか、後で戻ってきてやってもらったら、こんがらがって余計な結び方をして失敗したりだとかしているものであった。
もしこれが十人ほどの参加者だったら、一人ずつ実演しながら今のはこう、それは反対、という風にやるところだったので、人数としては丁度良かったと思われる。
十人いたら、結び方を覚えてもらうだけで終ったかもしれなかった。それはそれで、次回に持ち越し、というやり方もありではある。
とはいえ、一時間半の講習でも覚えているのかというと、ちょっと怪しい。
ランチ中に、こちら自前の手ぬぐいを使って抜き打ちでやってもらったところ、もう忘れてたり忘れかけていたりした。
数日前に呼びかけたら参加してくれた件の後輩が覚えているか賭けになったが(勝ったら参加費用減額)、あっさり失敗していた。
「十回連続でやりますから!」と豪語していたのだが、最初の一回で失敗して「これはウォーミングアップ」と負け惜しみを言って・・・という、よくある笑い話の流れになったものである。
今度、お店に自前の風呂敷でも置いてもらって、「和の結び方講習できます(その人がいたら)」みたいな感じで、ちまちまと教えまわるのもいいかもしれないが、そうなると頻繁に店にいなくてはならないので、飲みすぎで倒れかねない。鞄ををディスプレイとして置いて貰って、年中告知できる体勢にするぐらいがよかろうか。
とはいえ、もう既に述べたが、肝心なのは結び方である。別名看護師結びの真結びは、引っ張りに強く、物理的に限界な力がかからなければ、解け難くなる。
なのに、簡単な手順でスルっと解ける。秘密でも手品でもなんでもないので、興味がある方は、ネット上で検索してみるとよい。
とはいえ、一人で動画や写真を見てても中々理解しづらいという人もいる。また機会があれば、こちらも鞄以外の物を包むやり方だとかを勉強しておこうかと考えている。
さて、ここからはまた、いつもの変てこな話である。別に怖い話でもヒナンチューショーな話でもない。
以前から、人に見せるためではない小説のようなものを書いている、というのは忘れたころにここで記している。
それの登場キャラの容姿に纏わることで、あれやこれやと考えていたら、昔テレビで見た女性モデルのことを思い出した。
その女性が好みだとかなんだとかいうのではなく(ある程度綺麗だと思ったら誰でも好みである)、髪型が特徴的だったからである。
奇抜だから、ではなく、もう少し時代を遡った、ゲーム機がスーパーファミコン全盛だったころの話を思い起こす髪型だったからである。
現代で通じる(上の話もまだ現代だが)言葉だと、今調べたらウィキナンタラにも載っていた、「ぱっつん」という髪型である。
上でも触れかけたが、某高校を舞台にした恋愛シミュレーションゲームでそういう髪型の女性が出てくる。
のだが、ファ○通の当時の記事だとかで「ヘルメット」なんぞと言われていた印象が拭えず、普段はモデルの名前を覚えることがなかったのだが、覚えてしまったものである。
あのモデルさん、普段テレビ見ないのもあるが、元気かねぇ?などと思い、じゃあ、それで行こうと考えた次の日か数日後。
馴染みのバーに夕方立ち寄って、テレビを見ていた。何かないかねと、店の人にチャンネルをいじってもらっていたところ、懐かしい名前を見た。
NHKでやっていた、ノストラダムスについての特集番組の再放送があり、マスターも気になったのかそれにする。
番組が始まってすぐ、ナビゲーターが画面に現れ、内容を話すのだが、つい先日名前も顔も思い出した、その女性モデルが映っていた。
驚いたが、上の話をするわけにもいかないし、したくないので、黙って番組を見ていた。しかし、変わっていなかった。髪形が。
ちなみに、五年前の番組の再放送とのこと。
世の中、不思議で一杯である。
日常の些細でつまらない話ではある。
しかし、上記のように思えるかどうかで、日常は不思議なのだと思えるかどうかで、物事は一変してしまう。
風呂敷講習の話で例えるなら、向こうからのお誘いだったとはいえ、こちらが強情を張れば行われることもなかった。
が、こういうものでも習い事になるのだなぁと不思議に思って承諾し、開催する運びとなった。
ここからまた、特定であり不特定多数への批難染みた話になるので、お覚悟を。
かつて、サラリーマンをやっていたある男性は、世の中を牛耳っているという存在のことを知る。
後ついでに、家のこととか毎日の通勤電車とかで嫌になっていたのもあったろう。多分。
それで脱サラして何やらその手の本を翻訳したり、文明生活がいけないのだと農地を開いたりして、今は幸せだーとかやっている。
世の中を牛耳っている存在云々はなくても構わないが、見せ掛けの規模が違うだけで、同じ事を思っている。
「世の中は嫌な物でしかないし、自身の生活は嫌な物だ」と、何ごとにつけてもそう思っていたのである。
現在、彼とその伴侶の目的は、「世の中をマネーのいらない生活に導くこと」だとのこと。
実に不思議である。何が?その生活を見せびらかすのが楽しくて仕方ないらしいが、それはマネーがある故に成り立っているという点である。
いずれその目的が達成されるために現在はそうしているというのであろうが、そんなことはどうでもいい。
「世の中(今のその生活環境)は良い物でしかないし、自身の生活は良い物だ」と、現在は何事につけてもそう思っているだけなのだから。
何かが原因で自分はこうなったと決め付けているだけで、要するに、環境や対象に振り回されている点がまったく変わらないのである。
だから、何事かを槍玉に挙げて排撃対象となし、それが達成できれば幸せになれるとのたまう。
彼らは、そして我々も常々思い起こさないと忘れるし、また聞いただけでは実感しないのも常だが、考えてもらいたいものである。
朝起きたとき、まだ自分が生きているということは、実に不思議なことなのだと。
生きていることを不思議だと考えることに、マネーも文明生活も関係ない。だから、マネーのない生活に導かれれば幸せだとか曰まうというのは、世迷いごとである。
そんなことは人間をやっている時点で既に達成されていたのだから。
とはいえ、こういう言い草の方が世迷いごとにされるのが不思議な世の常だと、拙は不思議に思いながら、風呂敷を広げたり畳んだりするのである。
では、よき終末を。