ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

「見過ごす」と「見逃す」

2009年11月20日 11時21分29秒 | 2種分ねーさん
み‐すご・す【見過ごす】
1 見ていながら気づかないでしまう。見落とす。
2 見ていながら、特に問題にしないでそのままにしておく。見逃す。

み‐のが・す【見逃す/見×遁す】
1 見ていながら気づかないでそのままにする。見落とす。
2 見ていながら、とがめない。大目に見る。
3 見ていながら、また知りながら対処することなくすます。


「見過ごす」場合、「自分の責任範囲」を意識してないと困る。
「ここまでが自分の責任で、あそこからは相手の責任」と。

要するに、「特に問題にしないでそのままにする」という意識の元には、
「あの問題解決はあの人が適任だ。」というところまで日々の観察やら洞察が出来てないとマズイわけだ。
そのことに関わっていて、「私が抱えられる問題じゃないから。(切り落とし)」だけで見過ごしてしまうと「えらいこっちゃの大変な事態」になる可能性があるから、そのことに関わってしまったら、こういう「見過ごし」だけはしないように意識しないとマズイ。


「関わったら」というのは、集団や組織に所属していたらもうそれはすでに「関わっているんだ。」と意識した方がいい。
もっと引目線だったら、「地球に存在している」以上、「全てのもの(自然も人間も環境も宗教も)に関わってる」んだけど。

「見逃す」場合、「お得意識」があると非常に困る。
「それを見逃してやることで(自分がとか、誰かがとか)お得になるから。」って考えだ。
「見逃す」というのは「結果に対する判断」だから、「見過ごす」以上に責任をキッチリ背負っていただかないとマズイ。
そういう責任ある役割の人が「見逃す」を判断しないと、「公平さ」はどんどんどんどんむちゃくちゃになっていく。


「これが公平なの。」といいながら、「ものすごい単なるえこ贔屓」になってるのを、知らずに(認めたくないのでしょうね。)いるような人は多いよねぇ。

「見逃す判断」を自分で背負い込むのは、権限を手に入れたい虚栄心なのか、指示を仰ぐことを面倒臭がる面倒くさがりなのか、他人を認めたくない人なのか、「自分が絶対正しい」と思い込んでる思い上がりなのか。


オバチャマは「見逃す」判断をしない。「見過ごす」はずーーーっとしている。

「見逃す」と判断出来るほど責任を背負えるような人間になってない。
40年と少し経ちましたが、自分判断で「見逃すよ。」と言ってきたことがない。

学級委員なんかもやりました、小学校と高校で。(やらされました。)
でも、いくら学級の長でも、「見逃すよ。」なんていう判断をしてきたことがない。
学級委員が何かの問題を「見逃すよ。」とやれば、「あそこだけ贔屓だ」の「それじゃぁ公平じゃない」だの言われて混乱するのがオチ。

それは学級の最高責任者である「先生」が判断すること。
会社だったら「社長」だし、政治だったら「総理大臣」だし、国だったら「天皇」だ。

だけど、「部長や課長」くらいにそういう権限を与えちゃったというか、それを「見逃してきた社長」っていうのは、競争社会になってから沢山いないか?
だから「社長だけではなくその下にも責任判断をもっと意識してもらう為。」などといいながら、筋が何も通ってないバランバランな状態なところが多くないか?

あぁ、「見逃す」なんてそんな役回り、オバチャマはまだまだ到達できる域に達してない。
あぁ、おこがましいったらありゃしない。(笑)

だから「見過ごす」という為に常日頃観察はしてる。
子どもの頃からしてる。
「あぁあの問題はあそこに背負わすのが一番だし、必然的な流れとしてあそこが背負うことが一番だから見過ごしちゃおう。オバチャマじゃぁ責任背負えないし。」という観察と洞察。

親戚のオジサンとかオバサンとか、親しい知人なんかに言わせりゃ、
「昔からよくみてるなぁ。でもいいんだよ、そんな気にしなくても。」と言うんだが、仕方がないのだよ、どうしても「ねじれ」がキライだから。かゆくなってくるっていうか。(ドハハハハ・・・)

「混乱」はことの変化の中で必然的にそうなるものだけど、「ねじれ」だけは「観察怠慢」で「人間の欲」の暴走だからやめて欲しい。


しかし、自分の責任と意識している部分が、「全体の楽」とか「自分も相手も含めた得」の意識がまるでなくて、「自分の楽」とか「自分の得」だけだと、必ず「社会不適応」になるから気をつけないとねー。

但し今ってこの「社会不適応」が完全にねじれてるけどねー。
全体意識が出来てる人のほうが「社会不適応」に追い込まれてる。
気がついてますぅ?みなさん。

相当ヘンだよねぇ。


今日突かれたお言葉・その85

2009年11月20日 10時47分55秒 | 突言葉ねーさん
今週、何者にも、何物にも脅かされないでください。
今のあなたはマラソンを走り終えた走者のようなもの。
肉体的に消耗していますが、精神的にはまだ走る準備があります。
競争が終わり、プレッシャーがなくなったことを、あなたはまだ理解していません。
最近あなたは何度となく問題に襲われました。
あなたは勇敢に問題に立ち向かい、勝利をおさめました。
ところが、あなたはまだそのことに気づいていません。
もうじき起こるできごとが、いかに状況が進歩したかを教えてくれるはず。
2、3日もしたら、今よりもずっといい気分になるでしょう。
ただし、そのためには、「もう肩の力を抜いてリラックスしてもいい」ということを覚えておかねばなりません。あなたがリラックスしない限り、宇宙は助けてくれないでしょう。



いやぁ、自分の実感の裏付け的占い、今週の山羊座の占い。
もちろんジョナサンケイナー。
この人の占いは精神的にスゴイよ。イギリス人はあなどれないね。
研ぎ澄まし度が甘ったるすぎないっていうか。


「弱点」と「欠点」

2009年11月20日 09時26分31秒 | 2種分ねーさん
この境目を整理したくなりました。(ハハハハハ…)


じゃく‐てん【弱点】
1 十分でない点。欠点。
2 後ろ暗いところ。弱み。

よわ‐み【弱み】
1 弱いこと。また、その程度。
2 弱いところ、劣っている点。弱点。また、他人に対して後ろめたいと思っているところ。

けってん 【欠点】
不十分で、補ったり改めたりしなければならないところ。非難されるべきところ。短所。

たんしょ 【短所】
劣っているところ。不足しているところ。欠点。


「欠点」を「弱み」でカモフラージュするケース。
あれは、突きどころだよなぁ。

「弱点」を責めるのはフェアじゃないよねぇ。
弱いところを責めちゃう訳さ。単なるイジメだよ、こりゃ。

弱い?なんだろう。
行動的に見れば「言葉にして表さないこと」かと思う。「行動」にでてなくて「症状」に出てるといいましょうか。
「常に我慢してること」「常に辛抱してること」そういうのを抱えていて「言葉にして表さないことや表せられないことがあってそれが何か症状に表れてる」のは弱い部分だと思う。



「欠点」を「攻める」のは「挑発」に変換されて、その本人が「欠点を自覚」する可能性を秘めてる。本気の場合は喧嘩覚悟だ。(ハハハハハ…笑)

「欠点」は本人の行動に如実に表れている部分だ。「行動」だから「症状」ではない。
例えば「責められるとすぐに言い訳で逃げる」「遅刻常習」「片付けられない」「攻められるとすぐ攻撃する」などなど。
「いつも吹き出物が出来ている」「すぐ風邪を引く」などは「症状」だから「欠点」ではない。



「欠点」を攻められるのは非常にイヤなこと。
でも「図星」だったらひそかにでも認めて、ひそかにでも改善して、時間をかけてでも変化してったほうがいいし、そこを攻めてくるぐらいの人は「それだけ常日頃より客観的に観察してる人」ってことだから、「冷たくてイヤな奴だぜ。」じゃなくて「侮れない有り難い存在」と思ったほうが賢いかと。


弱い部分にズケズケ立ち入ったり、弱い部分を噂しあうのはやめたほうがいい。
そんなことするくらいだったらスルー(無視ではないのよ?見過ごしてやるだよ。)してやったほうがよっぽど「思いやり深い」かと。