耳の聴こえない親から生まれた、耳の聴こえる子どもたち、コーダ(CODA:Children Of Deaf Adults)。家では手話で、外では声で話す彼らは、学校に行けば“障害者の子”扱い、ろうからは「耳が聞こえるから」と距離を置かれる。コーダという言葉が生まれたアメリカでコーダ・コミュニティを取材した初めての長編ドキュメンタリーとなる本作は、15歳というアイデンティティ形成期の多感な時期を過ごすコーダの子どもたちの3年間を追う。聞こえる世界にもろうの世界にも居場所のない彼らは、一年に一度の“CODAサマーキャンプ”の時だけ、ありのままの自分を解放し無邪気な子供に戻れる。
(公式サイトより)
昨年、劇場で観た「コーダ あいのうた」も記憶に新しいですが、こちらはドキュメンタリーです
「あいのうた」以前にも聴覚障害者の作品をいくつか見た記憶がありますし、「あいのうた」でも、少し知見を広げたかな・・・と思ってました。
・・・が、このドキュメンタリー作品は、(月並みな言い方で申し訳ないですが)更に深く、そして色々と考えさせられるものでした。
「私たちはコーダという種族」という言葉がありました。
普段の生活、周囲の人々の中にいる「自分」というのは、どうしても不自由な点があったり、意思疎通が出来なかったり・・・
(3.11の話に聞き入ってしまいましたね。津波や火事を音で感知できない・・・)
そんな数々の経験、思いから、どうしても周囲と「距離」をとりがちってのは、当然な事だと思います
ただ、この作品の中心である「コミュニティ」という存在が大きいです
まず、「一人じゃない」と感じることが出来ることで、心の持ち方がかなり変わってきますよね
更に、お互いの経験を伝え合うことで、生活の「幅」も格段に違ってくるのではないでしょうか
「心を深く通わせる場所」・・・これは、コーダに限ったことではなく、人間として必要な場所ではありますよね
ちゅうことで、健常者である子供に手話を教えているシーンが印象的でした・・・で、75点
※あくまで個人的主観ですので、気分害されましたら申し訳ありません
(公式サイトより)
昨年、劇場で観た「コーダ あいのうた」も記憶に新しいですが、こちらはドキュメンタリーです
「あいのうた」以前にも聴覚障害者の作品をいくつか見た記憶がありますし、「あいのうた」でも、少し知見を広げたかな・・・と思ってました。
・・・が、このドキュメンタリー作品は、(月並みな言い方で申し訳ないですが)更に深く、そして色々と考えさせられるものでした。
「私たちはコーダという種族」という言葉がありました。
普段の生活、周囲の人々の中にいる「自分」というのは、どうしても不自由な点があったり、意思疎通が出来なかったり・・・
(3.11の話に聞き入ってしまいましたね。津波や火事を音で感知できない・・・)
そんな数々の経験、思いから、どうしても周囲と「距離」をとりがちってのは、当然な事だと思います
ただ、この作品の中心である「コミュニティ」という存在が大きいです
まず、「一人じゃない」と感じることが出来ることで、心の持ち方がかなり変わってきますよね
更に、お互いの経験を伝え合うことで、生活の「幅」も格段に違ってくるのではないでしょうか
「心を深く通わせる場所」・・・これは、コーダに限ったことではなく、人間として必要な場所ではありますよね
ちゅうことで、健常者である子供に手話を教えているシーンが印象的でした・・・で、75点
※あくまで個人的主観ですので、気分害されましたら申し訳ありません
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