半熟オヤジの基地

完熟できないオヤジの「狭く浅い&自己満足」の部屋

『KANO 海の向こうの甲子園』を観ました。

2016-03-15 06:00:00 | 日々をたらたら(日記)
 1931年、日本統治時代の台湾から甲子園に出場し、決勝まで勝ち進んだ伝説のチームがある。嘉義農林学校野球部。KANO。それまで1勝もしたことのなかった弱小チームが甲子園を目指し、大人たちや他校の嘲笑をよそに予選で快進撃を始める。その陰には、かつて名門・松山商業を監督として率いた近藤兵太郎(永瀬正敏)の特訓があった。守備に長けた日本人、打撃力がある台湾人(漢人)、俊足の台湾原住民。それぞれの強みを生かし、分け隔てない指導で育てられた彼らは、ついに甲子園への切符を手にする。
公式サイトより)

 この事実は知りませんでした。台湾代表が甲子園に出場したという事実は
確かに日本が統治していた時代があるとはいえ、統治した現地の若者を起用して甲子園へ・・・当時は、「全国中等学校野球大会」という名称だったそうですが、その辺はルールとかは特になかったんですかね
この1931年の台湾でこの物語は進むワケですが・・・
「野球の弱小チームが軌跡を・・・」というのは、今まで数多く、漫画やTVドラマ、アニメでも見てきた記憶がありますが、やはり最初は、野球とは決して呼べないガタガタの状態ってのがあって、この物語もまさにそんな始まりでしたね。
ただ、ちょっと違和感があったのは、当然、「言葉の壁」ってのが一つのポイントじゃないかと思ってましたが、話の中では、ほとんどが日本語で語られていて、あまり無かったですね。逆に、主要人物が、カタコトの日本語だったのが、真実なのか、もしくは映画だからなのか・・・その辺が分かりませんでしたね。
(もうちょっと言うと、カタコトの日本語で物語を進めると、どーも移入しづらいって気がしました
そんなガタガタの状態を、近藤さんがやたら厳しく叩き直しています。。。良く選手たちも付いていってるなあ・・・と。
(この辺は、当時の日本の立場を現しているのかは、ちょっと分かりません
最初の試合とかは、だたの宴会かと思いました
その後、奇跡を起こすワケですが、途中の「成長度合い」があまり描かれてなかったのは、ちょっと残念でしたね。
選手たちより、近藤さんの過去のハナシとか、その周囲の家族の話とか・・・そちらのがメインなんでしょうか
この作品を観る前に分かってたんですが、上映時間が3時間超という、かなりの長編であったこと
それ故に、その「成長」が分かるような流れって組めたと思うんですよねぇ
後半1.5時間くらいは、甲子園での「奇跡」の試合をダイジェストとは呼べないくらいに長時間、実況付でやってましたもんね・・・
試合の臨場感は強かったものの、個人的には、そこでの活躍を裏付ける「努力」が観たかったなぁ
とはいえ、一つの事実を認識できた事は、自分としては収穫だったと思います
ちゅうことで、知っている俳優さん5人くらいしかいなかったかも・・・で55点
※あくまで個人的主観ですので、気分害されましたら申し訳ありません
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