半熟オヤジの基地

完熟できないオヤジの「狭く浅い&自己満足」の部屋

『アイルトン・セナ 音速の彼方へ』を観ました。

2010-10-08 18:07:18 | えいがかんしょうの部屋
 34歳の若さでこの世を去った天才ドライバー。
彼は自らの命を捧げ、音速の先に、何を追い続けていたのか?
公式サイトより)
セナの生誕50周年ということで、ドキュメンタリー映画です
オープニング、「叶うなら、78年の頃に戻りたい。純粋にレースが出来る、金も政治も無関係なあの頃に・・・」というセリフから始まります
前半は、そんな純粋な頃から、頭角を現し、F1の世界で光り輝く彼が見れます。
そして、プロストとの確執から、徐々に「危険なドライバー」というレッテルを貼られ、更に当時のFIA会長・バレストルを始めとした一連の出来事で、一気に下降線になる彼が中盤、そして復活し、更に栄光を求め続ける彼の戦いから・・・最期までの後半、って流れです
意外だったのは、「ドキュメントしていた」ということ。
当たり前かと思うかも知れませんが、わざわざ、故人の栄光を映画化するワケだから、ナレーションがあったり、若干物語風に仕立てたりするものかと思ってました。
実際、セナのF1人生は、物語に出来るほどのネタは沢山ありましたし。。。
ですが、この作品は、ナレーションなし、個人の想像とか脚色もなし、ひたすら「事実」とその場の「言葉」だけで進行しています。
映画としてみると、正直、盛り上がりに欠けるものではありますが、セナのドキュメントを制作したかったというスタッフの熱意・意志は感じます
次に、個人的に残念だったのは、「セナの走り」があまり見れなかったこと。
アイルトン・セナ財団の全面協力ということで、プライベートの貴重な映像が沢山楽しめたし、レースの裏側である話なんかも沢山見れたのは良かったです。
(ドライバーズ・ミーティングの生々しさは、他の映像作品で観たことがあったものの、やはり・・・・
しかし、彼の魅力は、やはり「走りの素晴らしさ」にあったと思うだけに、大画面で沢山観たかったなあ・・・という気持ちです。
(92年モナコ、93年ドニントン・鈴鹿、その他にもたーくさん
予告編であったような、当時の、そして今現役のドライバーなんかのコメントもなかったし。プロストは凄く出てたけど、彼との最後の関係まで描いてくれないと、彼も悪者になっちゃいますよね
ま、それは昔からF-1を見ている俺らみたいな人のリクエストであって、この作品で初めてセナを知る人、名前だけ知ってた人なんかには、ディープなF-1にならなくて、良いのかもしれません
その大画面でのオンボードカメラの映像は、さすがに迫力がありました
94年サンマリノでの「セナの最期の1周」を、音楽もなく、生音だけで観ることができました。
当たり前ながら、事故現場となったタンブレロ・コーナーが少しずつ近づいてくると、物凄く胸が苦しくなりました
そして、オープニングでのセリフと同じセリフが出る・・・この結びは素晴らしいかも
ナレーションをガンガン入れて、物語仕立てにした、フジテレビでやった特番(俺の一番のお気に入り)程は泣きませんでした
彼の生の姿を、もうちょっと深く知ることが出来たかな?って感じです。
今の平和なF-1を見ている人たちにも、是非知ってほしいセナ、そして当時のF-1ですね。
ちゅうことで、あと3時間くらいしたら、セナが駆け抜けた鈴鹿に向かいますで70点
※あくまで個人的主観ですので、気分害されましたら申し訳ありません
コメント
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