写真紀行

日々の風景と将来に残したい風景を求めて

お茶の水界隈

2010-02-02 14:10:14 | 大江戸の風景

お茶の水界隈

この日は普段通り過ごしているお茶の水界隈を歩きました。

ニコライ堂(東京復活大聖堂)

JRお茶の水駅から歩くこと数分、ロシア正教会「ニコライ堂」はビルの谷間にひっそりと佇んでいました。
1884年から7年の歳月をかけて建設されたビザンチン様式の教会で1962年に国の重要文化財に指定されています。
教会内はおごそかな雰囲気で聖母マリアなど多くのイコンが掲げられていました。
ちなみに教会の案内では「正教会(Orthodox Church)はハリストス(キリストのギリシャ語発音読み)に始まる初代教会の信仰を今日に至るまで正しくそのまま継承してきた唯一の教会」とありました。

ニコライ堂全景                       正面
     



昌平坂学問所・湯島聖堂

五代将軍綱吉により建てられた儒学学祖孔子の廟、朱子学者林羅山の私塾内にあった孔子廟「先聖殿」をこの地に移築して「大成殿」に改称、付属する施設を含めて「聖堂」と称しました、また林家の私塾も移転されましたが1797年に「寛政異学の禁」により林家の手から離れて幕府直轄の「昌平坂学問所」となりました。
昌平は孔子の生まれた村昌平郷からとった名前です。

聖橋から聖堂をのぞむ                        聖堂の案内板                              聖堂正門
     

孔子を祀る大成殿                            魔除けの屋根飾り(鬼ぎん頭、鬼龍子)              台湾のライオンズクラブから送られた孔子像                
      

古色然とした聖堂を囲む塀                                                   聖堂脇に残されていました  
     

昌平坂の由来が書かれていました                聖堂の向かいにある東京医科歯科大学内にある昌平坂学問所跡の案内版
  

神田明神

創建は天平2年(730年)正式名は神田神社。江戸時代に江戸城増築により現在の地に移されました、江戸の総鎮守として賑わいを見せていた様です、2年に一度行われます神田祭りは江戸の三大祭りの一つとされています、神田祭の山車が江戸城に入り将軍の拝謁を受けたと言う事で別名「天下祭」とも言われています。
1923年の関東大震災で社殿が焼失していますが、1945年の東京大空襲では難を逃れました。
なお明神の境内には歴史を裏づける様に江戸神社など日本橋、神田の青果市場、築地の魚市場など108ケ町の総氏神様11社が本殿を囲むように鎮座しています。

鳥居                                随神門
     

随神門脇の御神燈                   隋神門の色鮮やかな装飾               境内から見た随神門
     

明神本殿                         神社由来の大祓神事の茅の輪が飾られていました
     

青物市場の守護神 江戸神社                                            国学発祥の碑
     

野村胡堂が書いた銭形平次は明神下に居を構えおり、その碑が境内に建っていました
  

江戸時代に造られた数少ない石造りの獅子像
  

コメント
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