小石川後楽園
徳川家康の11男である頼房が興した御三家の一つ、水戸徳川家の上屋敷跡です、御三家の一つ水戸徳川家藩主頼房が作庭家の徳大寺左兵衛に命じて幕府から与えられた7万㎡の敷地内に「回遊式築山泉水庭園」を造らせて二代藩主の光圀の代に完成した庭園です。
儒学者である朱舜水の意見をとり入れ、中国のことわざ「天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後 れて楽しむ」から庭園は「後楽園」と名付けられたが、岡山藩池田家の後楽園と区別する為に小石川後楽園と称している。
東京ドームシティー脇の小石川後楽園正門(東門)は閉鎖中 白壁沿いに飯田橋にある西門に向かう
西門、JR中央線飯田橋駅から徒歩10分程の距離、水道橋からは20分掛かりました
背後に東京ドーム・ホテルと文京区役所が顔出している
ザクロの木 入口を入り池(大泉水)を迂回すると菖蒲田があり、丁度見頃になっていた
江戸時代に多摩川から取水して羽村から江戸市中に引き込まれた神田上水が、作庭の際に後楽園にも引き込まれた、現在もその跡が残されていた
愛宕坂から見た菖蒲田
菖蒲田の手前には稲田があった
大泉水にある蓬莱島の徳大寺石
幕末期に尊王志士に影響を与えて水戸学の大家、藤田東湖遺蹟があった 水戸藩邸の書院の庭の内庭