赤江瀑みたいな小説ばかり読んでいると現実に生きている実感がなくなって危険だから少し休憩を入れるために読んだのが、ずっと前にネットでの書評を見ていつか読みたいと思っていた島村利正の小説。
実は名前も知らなかった。
文庫本で短編をいくつか。
全体の印象は端正な文章で私小説的な小説が多いということ。
作者は志賀直哉と奈良で知り合い師弟関係にあったようだ。
志賀直哉の影響も受けているのだろうか。
昔の小説はこういう風な文章のうまさ美しさで読ませる小説が多かったのかな。
『残菊抄』『『神田連雀町』など
この人の小説の主人公は市井の人でそれぞれの哀しみを抱きながら流されるように生きている。
感情に流されない静かな文章。
今の小説のように奇をてらった所のない端正な小説は忘れていた日本の美しい風景を見たような印象だった。
しかし私は小説の世界でなければ存在しないイメージの世界が好きな方で、そこに創作はあったとしても本当にあったような話の小説はやや苦手かもしれない。
だからいくら小説として優れていても『妙高の秋』や『奈良登大路町』のように作者自身の出来事をつづった小説は好みではないようだ。
小説だけどエッセイに近いから・・しかし現実に起きた出来事を小説やエッセイとして書く方が人物やあらすじを構築する小説よりもある意味難しいのではと思った。
端正な文章を読んでいると美しい文章を生み出すという純粋な世界に触れるようで心が洗われた。
それでも私はまた私の好みである赤江瀑のようなどろどろした世界に戻っていく。