春まなか寄り添ふようで寄り添へぬ貝殻ふたつ波に揺れをり
これが最後の日帰り一人旅のつもり・・・と行ってもまだ3月末までは間があるので、また出かけてしまうかもしれない
水口は草津に近い、東海道の宿場町であると同時に城下町、宿場と城下町は少し離れている。
貴生川駅から近江鉄道で一駅の水口城南駅から宿場跡の地域までは結構遠かった。
東海道が真中に左右に別の道があり1本の道は3つに分かれ、また合流すると言う珍しい道になっている。
水口城は今はないが、将軍が上洛の途中の宿の城として小堀遠州が建物庭を設計した。
二の丸御殿を模して作られたのに、使ったのは家光が上洛のとき1回きり。
その後別の藩の城になったが、藩主は遠慮して本丸御殿を使わなかったそうだ。
明治維新のとき城は競売にかけられ、敷地は水口高校に、石垣の石は近江鉄道建設に使われ!、建物の木材瓦は神社寺の建設に使われたとか!
濠も放置され汚くなっていたが、近年になって復元の機運が高まり、今は矢倉が復元されて資料館になっている。
それから別の方向に歩いて30分遠州が作った皐月の大刈り込みの庭のあるお寺がありここも行くつもりだったが、ここは山の方にあるようだった。
しかし、宿場跡まで行くのにかなり時間を取られて、さらにこのお寺まで行くにはとても遠そうで、一人で行くのにどんな道なのか解らないと言うのもあった。
それでここは皐月の季節にまたいつか誰かと行こうと思った。
今回の収穫はヴォーリズ設計の建物が二つあったこと!
水口にもヴォーリズの建物があった!
写真はその一つの旧図書館、水口小学校の敷地にある。
ヴォーリズはメンソレータムで有名だった近江兄弟社を創立した人物で、事業家・教育家・建築家として活躍した。
心斎橋の大丸・関西学院校舎も彼の設計したもの。
近江地方には彼の設計した建物が多く残っている。
水口は草津に近い、東海道の宿場町であると同時に城下町、宿場と城下町は少し離れている。
貴生川駅から近江鉄道で一駅の水口城南駅から宿場跡の地域までは結構遠かった。
東海道が真中に左右に別の道があり1本の道は3つに分かれ、また合流すると言う珍しい道になっている。
水口城は今はないが、将軍が上洛の途中の宿の城として小堀遠州が建物庭を設計した。
二の丸御殿を模して作られたのに、使ったのは家光が上洛のとき1回きり。
その後別の藩の城になったが、藩主は遠慮して本丸御殿を使わなかったそうだ。
明治維新のとき城は競売にかけられ、敷地は水口高校に、石垣の石は近江鉄道建設に使われ!、建物の木材瓦は神社寺の建設に使われたとか!
濠も放置され汚くなっていたが、近年になって復元の機運が高まり、今は矢倉が復元されて資料館になっている。
それから別の方向に歩いて30分遠州が作った皐月の大刈り込みの庭のあるお寺がありここも行くつもりだったが、ここは山の方にあるようだった。
しかし、宿場跡まで行くのにかなり時間を取られて、さらにこのお寺まで行くにはとても遠そうで、一人で行くのにどんな道なのか解らないと言うのもあった。
それでここは皐月の季節にまたいつか誰かと行こうと思った。
今回の収穫はヴォーリズ設計の建物が二つあったこと!
水口にもヴォーリズの建物があった!
写真はその一つの旧図書館、水口小学校の敷地にある。
ヴォーリズはメンソレータムで有名だった近江兄弟社を創立した人物で、事業家・教育家・建築家として活躍した。
心斎橋の大丸・関西学院校舎も彼の設計したもの。
近江地方には彼の設計した建物が多く残っている。
またまた遁走の旅へ
滋賀県日野・・・近江八幡を内陸部に入ったところ、ここも近江商人発祥の地。
資料館や各家に伝わるお雛様を観光客に見てもらうように飾っている。
8日まで、3月中はやっていると思っていたから早く行ってよかった。
日野には5月に立派な曳山がたくさん出るお祭りがあるそうだ。
そのお祭りのとき、家にいながら曳山の様子を見るための作りが桟敷窓(さじきまど)。
塀に細かい格子窓があって祭りのときだけはずし、庭に桟敷を作り窓から赤い毛氈をたらし祭りのお料理を食べながら祭りを見る。
大番頭の山口家には江戸時代の素晴らしいお雛様があった。
そこを見るには数軒先のお宅に声をかけて見せていただかなければいけないと書いていたので、面倒だパスしようと思ったら。。
座敷をオープンしてお雛様を見せているお家がそれだった。
他に客がいて入りやすかったので見せていただいて雑談しているとご主人が帰ってきて、山口家を案内してくださった。
江戸時代の大きな壇飾りのお雛様はとても珍しいものだった。
五人囃子の裃が黒のビロードで出来ている。
全国のお雛様を見て歩いている人が見てこんなのは見たことがないといったそうだ。
またお雛様たちの衣装もとても珍しく、その人が言うには日本の布ではなく中国のものではないかと。
また日野はピンク色が美しい日野漬けの発祥の地。
イベントのとき以外は余り売っていないが(すぐ売切れてしまう)教えていただいて買って帰った。
滋賀県日野・・・近江八幡を内陸部に入ったところ、ここも近江商人発祥の地。
資料館や各家に伝わるお雛様を観光客に見てもらうように飾っている。
8日まで、3月中はやっていると思っていたから早く行ってよかった。
日野には5月に立派な曳山がたくさん出るお祭りがあるそうだ。
そのお祭りのとき、家にいながら曳山の様子を見るための作りが桟敷窓(さじきまど)。
塀に細かい格子窓があって祭りのときだけはずし、庭に桟敷を作り窓から赤い毛氈をたらし祭りのお料理を食べながら祭りを見る。
大番頭の山口家には江戸時代の素晴らしいお雛様があった。
そこを見るには数軒先のお宅に声をかけて見せていただかなければいけないと書いていたので、面倒だパスしようと思ったら。。
座敷をオープンしてお雛様を見せているお家がそれだった。
他に客がいて入りやすかったので見せていただいて雑談しているとご主人が帰ってきて、山口家を案内してくださった。
江戸時代の大きな壇飾りのお雛様はとても珍しいものだった。
五人囃子の裃が黒のビロードで出来ている。
全国のお雛様を見て歩いている人が見てこんなのは見たことがないといったそうだ。
またお雛様たちの衣装もとても珍しく、その人が言うには日本の布ではなく中国のものではないかと。
また日野はピンク色が美しい日野漬けの発祥の地。
イベントのとき以外は余り売っていないが(すぐ売切れてしまう)教えていただいて買って帰った。
少しだけ窓が開いてるバルコニー ロミオみたいに君を探した
薔薇の棘上手に避けて君のいる寝室までの廊下を歩く
真っ白なシーツの上に祭壇の供物のように横たわる君
たっぷりの酒にひたして薔薇の棘やわらかくしてから君を抱く
紅の薔薇のひとひら真っ白なシーツに零れ更けてゆく夜
中庭の四角の空に囚われた月が見ている僕らの背中
薔薇の棘上手に避けて君のいる寝室までの廊下を歩く
真っ白なシーツの上に祭壇の供物のように横たわる君
たっぷりの酒にひたして薔薇の棘やわらかくしてから君を抱く
紅の薔薇のひとひら真っ白なシーツに零れ更けてゆく夜
中庭の四角の空に囚われた月が見ている僕らの背中
私が始めた買った歌集が道浦母都子の『無援の叙情』だったことは前に書いた。
それから彼女の歌集は図書館で借りて何冊か読んだけれど、買うまではいたらなかった。
私が歌集を買うときの条件。
その歌人の歌が私の感性に共鳴して歌の世界に引き込まれるとき。
あるいは・・最近はこちらの方が多いのだが、読んでいると歌の中の言葉や内容から連想して自分の歌を詠うときのヒントになるもの。
道浦母都子はどちらにも当てはまらなかった。
それなのに書店で歌集を探していたとき手にとって買ってしまったのはあとがきによるらしい。
9年ぶりの歌集で、
「自分が壊れるという感覚を抱いた7年間の秋以来、言葉は恐れの対象となった・・中略
言葉をもとより声さえ出来なくなった日から思えば、今歌集をまとめることさえ信じられない。」
歌を詠おうと思うと体調が悪くなる状態が何年も続いているのはどこかで読んだ。
少し復活されたようなので、読んでみたくなったのだ。
道浦母都子は歌人としてすごく興味があるとか、好きな歌人ではないのだが、別の意味では気になる人なのだ。
同時代の人としての思い入れがある。
そして大阪在中で身近な存在なのだ。
彼女位深く学生運動に関わった人として、月日は流れ違う生き方をしようと溶け去らないものがあるような気がする。
彼女の歌を読んでいるとそう感じる。
短歌は叙情の文学だけど、彼女の歌は叙情に浸りきれない固い粒みたいなものが残ってしまっている感じがする。
それが私が歌集を買うところまで至らなかった理由のような気がする。
歌人がスランプで歌が詠えなくなることはあるだろう。
でも彼女のように詠おうとすると心身症を起こすというのは、その時は真の心は短歌を詠う事を拒否しているから。
何故?・・・
勿論私に解るはずもないが。。
でも少し回復されたようで嬉しい。
歌集の評論は出来ないので省略するとして、目が留まって、ふふと微笑んでしまった歌
快速にただ乗りたくて遁走を企てたくて網干まで来つ
道浦母都子も私と同じ事を思って同じ事をしたんだと。
私も新快速にただ乗りたくて飛び乗ってしまった事がある。
旅が好きなこともあるけれど、深層心理としては現実逃避かな。
JR西日本の快速の西方面の終着駅が網干なのだ。
新快速なら赤穂まである。
道浦母都子は網干駅まで行ってそのまま引き返したのだろうか?
駅前にあまりたくさん店もない駅。
室津に行くのに、JR網干まで行く方が早いから電鉄網干までのバスがあるだろうと思ったら、バスも少なくて泣きたくなった駅なのだ。
それから彼女の歌集は図書館で借りて何冊か読んだけれど、買うまではいたらなかった。
私が歌集を買うときの条件。
その歌人の歌が私の感性に共鳴して歌の世界に引き込まれるとき。
あるいは・・最近はこちらの方が多いのだが、読んでいると歌の中の言葉や内容から連想して自分の歌を詠うときのヒントになるもの。
道浦母都子はどちらにも当てはまらなかった。
それなのに書店で歌集を探していたとき手にとって買ってしまったのはあとがきによるらしい。
9年ぶりの歌集で、
「自分が壊れるという感覚を抱いた7年間の秋以来、言葉は恐れの対象となった・・中略
言葉をもとより声さえ出来なくなった日から思えば、今歌集をまとめることさえ信じられない。」
歌を詠おうと思うと体調が悪くなる状態が何年も続いているのはどこかで読んだ。
少し復活されたようなので、読んでみたくなったのだ。
道浦母都子は歌人としてすごく興味があるとか、好きな歌人ではないのだが、別の意味では気になる人なのだ。
同時代の人としての思い入れがある。
そして大阪在中で身近な存在なのだ。
彼女位深く学生運動に関わった人として、月日は流れ違う生き方をしようと溶け去らないものがあるような気がする。
彼女の歌を読んでいるとそう感じる。
短歌は叙情の文学だけど、彼女の歌は叙情に浸りきれない固い粒みたいなものが残ってしまっている感じがする。
それが私が歌集を買うところまで至らなかった理由のような気がする。
歌人がスランプで歌が詠えなくなることはあるだろう。
でも彼女のように詠おうとすると心身症を起こすというのは、その時は真の心は短歌を詠う事を拒否しているから。
何故?・・・
勿論私に解るはずもないが。。
でも少し回復されたようで嬉しい。
歌集の評論は出来ないので省略するとして、目が留まって、ふふと微笑んでしまった歌
快速にただ乗りたくて遁走を企てたくて網干まで来つ
道浦母都子も私と同じ事を思って同じ事をしたんだと。
私も新快速にただ乗りたくて飛び乗ってしまった事がある。
旅が好きなこともあるけれど、深層心理としては現実逃避かな。
JR西日本の快速の西方面の終着駅が網干なのだ。
新快速なら赤穂まである。
道浦母都子は網干駅まで行ってそのまま引き返したのだろうか?
駅前にあまりたくさん店もない駅。
室津に行くのに、JR網干まで行く方が早いから電鉄網干までのバスがあるだろうと思ったら、バスも少なくて泣きたくなった駅なのだ。