アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

思い出多き「新日本フィル」

2018-01-21 05:00:00 | 音楽/芸術

ここ最近、新日本フィルの演奏会を聴くことが多くなっているアントンK。その理由の一つが、音楽監督に就任している上岡敏之氏であり、鑑賞するたびに音楽を通じてアントンKに新しい発見をもたらしてくれているからである。以前にも書いていると思うが、聴くごとにオーケストラである新日本フィルとの意思疎通が聴衆に感じられ、またそれが会を追うごとに深くなっていると感じているからである。

アントンK自身のコンサートの選び方もここ数年で大きく変化した。今までは、演奏される楽曲ありきで演奏会を選び、好きな楽曲を絶えずチェックしてホールに足を運んでいた。が、最近では一つのオーケストラの定期会員となり、シーズンを通して団員の方々と一緒に演奏を味わっていこうと趣向が変わった。現在それが新日本フィルハーモニー交響楽団であり、このオケの音色に身体も染まりつつある。もちろん、若い頃は東京での朝比奈隆を聴き、そこでベートーヴェンやブルックナーを学んだとも思っているが、大阪フィルの東京公演のみならず、在京のオケを朝比奈が振る場面が多々あり、忘れられない演奏会も多い。

その一つ、アントンKにブルックナーを決定づけた忘れられない演奏会がある。1978年3月、東京文化会館大ホールで聴いた新日本フィル定演でのブルックナーの第5だ。この演奏会を境にブルックナー開眼となったのだ。ご存知のように、この第5という楽曲は、中期の作品でもひときわ巨大な宇宙を思わせるような作品だが、それまでアントンKが耳にしてきたのは、マタチッチのLPであり、実演奏初で、いきなり朝比奈隆とは、今にして思えば少し無謀だった。もちろん当時は(現在でも)マタチッチは名演奏とされていたが、例の改訂版の影響で、終曲のコーダが改変されているわけだ。そんなこととは全く知らないアントンKは、当日大きな衝撃と洗礼を受けることになるのである。

終演後、魂が抜かれたように全てが「無」に感じ、拍手もできるはずもなく、ただただ感激の涙が止まらなかったことを昨日のことのように思い出せる。この時もオケは新日本フィルの方々だった。今から40年も前の演奏会だから、現在も現役で舞台にのっているプレイヤーはいらっしゃらないだろうが、そうした意味でも、どこかこのオケとはご縁を感じてしまうのである。

朝比奈/新日本フィルのブルックナーの第5はこの時だけではない。2年後の1980年5月に、目白のカテドラル教会で行われた演奏会。夢よもう一度である。この年、在京オケにて1年かけてチクルスでブルックナーの演奏会があったのだが、やはり新日本フィルの第5(それと最終回の大フィルの第8)が一番印象深いのだ。アダージョ楽章と終曲はまさに未体験ゾーンであり神のお告げだったと今でも感じている。

また録音でいうと、亡くなる年まで演奏し続け、数種類の録音が今でも残っている朝比奈のベートーヴェン交響曲全集について、アントンKは、ここでも88年にサントリーホールで連続演奏した新日本フィル盤を一押ししたい。一般的に言われる大阪フィルとの相性をはるかに越え、全体に渡った集中力とスケール感は、どの全集よりずば抜けている。また第9とペアになっているミサ・ソレムニスの92年盤も忘れ難いCDだ。いずれも20年以上前の録音で入手できるのか要確認だが、是非とも機会を見つけて聴いてみて頂きたい。

どのオーケストラにも言えることだが、このCDから聴こえてくる新日本フィルの音色も現在のものとは違い荒々しい部分もあるが、これは指揮者朝比奈の要求に答えたとも言えるから、比較しても意味がないこと。しかし現在のオケのようなインターナショナルな音色の引出しの多いオーケストラではなかったはずだ。もちろん技量の確かさは、コンマス崔氏らの努力の賜物だろうし、また監督上岡氏の音楽性の高さなのだろう。しかしアントンKは、技術優先の音楽作りよりも、さらに聴衆に寄り添った心の通った音楽を望みたい。近年の新日本フィルを聴いていると、それが容易いことのように思えてしまうのだ。

掲載写真は、話題にした朝比奈/新日本フィルのベートーヴェン全集。いずれ上岡氏にもお願いしたい全集。期待して待ちたい。

 

 

 


二度引退したEF55

2018-01-20 15:00:00 | 鉄道写真(EL)

国鉄民営化のタイミングで復活を遂げたEF551号機。長らく群馬県高崎機関区の片隅で眠っていた機関車を整備して再び本線上に蘇らせた復活劇だったが、年々運転回数が減少してしまい、とうとう掲載写真を撮影した2009年で二度目の引退となってしまった。

各エンド側でスタイルが違うからなのか、運転において扱いが悪かったのかもしれないが、他に類を見ない個性丸出しのスタイルは、今見てもユニーク極まりない。こいつが復活するのなら、EF56やEF57の復活をとその当時は思ったもの。そんな想いもいつしか忘れていった。

2009-01-18     9137ㇾ さよならEF55横川号


赤の誘惑~ED77

2018-01-17 17:30:00 | 鉄道写真(EL)

国鉄時代を思えば、随分多種多様な車両達が全国に走っていた。おそらく種類では現在の方が多いのかもしれないが、その土地に合わせた専用の車両が、きっちり運用され、個性豊かな情景が広がっていたものだ。だからこそ、普段見られない団臨などが走ると、とても魅力的に思えたし、それを撮影して記録することが一つのステータスになっていたように思う。現在のように徹底的に合理化が進んでしまった状況では、あまりに統一化され過ぎて、趣味性は薄らいでしまった。もっとも鉄道利用の団体客自体が減少してしまったのだが・・

ここではED77という交流電機を取り上げる。

アントンKは写真撮影の初期の段階から交流機が好きで、ED75に始まりED76/ED77/ED78/EF71と良く撮影に出かけていた。ED76は非貫通(北海道機は除く)だったが、それ以外の形式は貫通扉のある共通した顔立ちであり、力強く頼もしく思え好んでカメラを向けていたのだ。中でもED77という亜幹線用に生まれた交流機が特にお気に入りで、風光明媚な会津ということもあるが四季を通じて出かけたいたことが懐かしく思い出される。ED75は小さな車体長ゆえ重連が似合い、ED78ではD型の割にはとても大きくF型に匹敵。DD51のような中間に付随台車のあるED77がちょうどよくカッコよく見えたもの。取り立てて珍しく決まった写真はないが、アントンKにとって、交流機の中では一番思い出深い機関車なのがED77なのである。こうして思い返すと、JR化され、毎月のように臨時列車が走っていた90年代初頭がED77最後の花道だったのかもしれない。ED77自体、いつフェードアウトしたのか知らないが、それまでED75は入線出来ないとされていた磐越西線に平気で入線してきた時には、時代が移ったことを強烈に感じ寂しかったことを思い出す。

掲載写真は、猪苗代を越え更科信号所へと下るED77重連の貨物列車。交流機兄弟の中では一番地味だが、磐西の主としての存在感は大きかった。

1991-11-07    5295ㇾ ED77 15+13        磐越西線/翁島-更科信号所にて


今を生きる蒸機たち~C62 3

2018-01-14 22:00:00 | 鉄道写真(SL)

現役蒸機を知らないアントンKゆえ、現在は無くなってしまったC62も「今を生きる蒸機たち」と同じタイトルを掲げておきたい。

国鉄が分割民営化された1987年、その翌年88年から北海道函館本線、それも山線と呼ばれる小樽-倶知安(後にニセコまで延長運転)間に蒸機が復活を遂げた。言わずと知れたC623号機「SLニセコ」のことだ。

この1988年という年は、関東でも(JR東日本)D51が復活し、その最初の運転は、上野駅から大宮駅までEF5861と重連でオリエントEXPけん引であったことは、今でも語り継がれている有名な話である。身近で色々な(今でいうところの)ネタ物が横行して、この88年には渡道出来ず仕舞い、C62参戦は翌89年からとなった。以降運転終了の93年まで毎年渡道し、山線通いの機会を持つことができたが、今こうして振り返ってみても、残念ながらなかなか満足のいく写真は残せていない。諸先輩方の素晴らしい作品を後に目のあたりにしても、後の祭りなのである。

まあそんな悔いの残るC62撮影であったが、およそ25年前の事を思い出してみても、やはり数ある復活蒸機の中でも、圧倒的に素晴らしい蒸機だったと改めて思い返している。それはロケーションの素晴らしさもあるのだが、何と言ってもあの迫力は、思い出しても身震いしてしまうほど。当時同行した先輩が「五感がシビレル~」とC62を見て絶叫していたが、それもうなづけるのだ。当時のアントンKは、ファインダーの中で迫りくるC62の迫力に負けないように特に気合いを入れて立ち向かったもの。現在現役である同じハドソン機のC61とは、やはりかなり異なった印象なのだ。

今回は、SLニセコ運転の最後の年となってしまった1993年の思い出のシーンを掲載しておく。雨の倶知安峠を上るC623なのだが、この時は天候が悪くかなりの遅延でC623は運転されていた。数十分の遅れで小沢駅を出たC62だったが、遠くドラフト音が聞こえるものの、なかなか近づいて来ない。山影からモクモクと煙が見えてきたと思いきや、ドラフトが不安定になり、突然音が消えてしまう。完全にC62は雨で空転して登れなかったのだ。機関士が線路に砂を巻きながら前進を試みるが、それでも登り切れず、とうとう小沢方面に逆戻り、新たに再チャレンジが開始されたのだ。今度は超低速だったが、何とか止まらずに我々の前をゆっくり通過して行き、サミットのトンネルに吸い込まれていった。この間、時間にしてどのくらいだったろう。20~30分くらいだったかもしれない。そんなシーンが今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。写真は、超低速で喘ぎながら峠を攻めているC623「SLニセコ」。ずぶ濡れになりながら、我を忘れて撮影した思い出深い写真。

1993-10-10   9262ㇾ C623  SLニセコ    函館本線:小沢-倶知安にて


新日本フィルのニューイヤーコンサート2018

2018-01-13 23:00:00 | 音楽/芸術

今年最初の新日本フィル定期演奏会に出向いて来た。

新春に相応しく今回はワルツを集めたプログラム。ちょうど本場ウィーンで毎年開催されるニューイヤーコンサートのようで、どこか華やかでリラックスした雰囲気に包まれた会場だった。アントンK自身、今まではこの手のコンサートにはご縁が無く、いつも正月のTVで放映されるものをチラ見するに止まっていたが、今回、こういった年始のタイミングで聴くJ.シュトラウスも文字通り心が踊らされて良いものだと認識を新たにしたところ。またまた上岡敏之氏率いる新日本フィルの方々にお年玉を頂いた思いである。

ただし、シュトラウスの楽曲を並べただけのニューイヤーコンサートで済むはずがないのが上岡流。プログラムの前後にラヴェルの楽曲を演奏し、シュトラウスがサンドされた格好だった。アントンKは、いつの間にか演奏会鑑賞歴40年を越えてしまったが、この手のワルツばかりの演奏会は初めてだ。やはりホールに行き、聴衆の一人として着席して味わう舞踊曲は、ある意味想像出来ないくらいの意味を自分に語りかけてきたと思っている。個々の楽曲については、詳しくないアントンKなので、演奏解釈云々は記述出来ないのだが、最初のラヴェルこそ、まだ緊張が楽曲に見え隠れしていたが、シュトラウスが始まると、指揮者や演奏者たち全てが演奏することに喜びを感じ、その楽しさ陽気さが我々聴衆にまで飛び火して熱く高揚していき、最後に置かれたラヴェルの「ラ・ヴァウス」でその頂点に達したと言えるのではないだろうか。そしてその高揚感にとどめを指すがごとく、アンコールに「こうもり」序曲が演奏されたのだった。指揮者上岡氏は、相変わらずのバトンテクニックでオケを引っ張るが、見ていて驚かされるのは、この小品群の全てを自分の中で解釈し、決して曖昧なところが存在しないこと。もちろんいつもの通りと言えばその通りだが、適格なオケに対する指示や、コンマス崔氏との演奏中でのやり取りですぐに理解できる。ご本人にすれば至極当たり前の事なのだろうが、似たようなワルツが10曲も並び、それも暗譜で指揮される様は、やはりアントンKには驚くべきことだった。それはオーケストラ側にも言えることで、変幻自在とも言える楽曲のリズム感、時に五線の縦線が消えてしまったようなテンポ感から、超絶技巧練習曲のような高速な動きまで多種多様の要求に食い入るように付いていくオケのメンバー達にはエールを送りたい。

終演後、アントンKのわがままをコンマスの崔文洙氏が聞いて下さり、少しの間だがお話させて頂くことができた。アントンK自身も舞い上がってしまい失礼など無かったか未だに気にかかるが、どこか旧友に再会した時のような懐かしい思いが募り、とても良い時間を持つことができた。やはりアントンKの思い描いていた通りのお人柄であり、益々目が離せなくなってしまった次第。

崔さん、その節は無理を聞いて下さり有難うございました。今後ともよろしくお願い申します。

第582回 新日本フィルハーモニー交響楽団定期演奏会 トパーズ

ラヴェル      高雅で感傷的なワルツ

J.シュトラウス   ポルカ・マズルカ「踊るミューズ」 OP.266

J.シュトラウス2世  ポルカ・シュネル「狩り」 OP.373

                          ワルツ「東方のおとぎ話」 OP.444

                 歌劇「騎士パーズマーン」OP.441よりチャールダーシュ

           ロシアの行進曲風幻想曲 OP.353

                ワルツ「加速度」OP.234

E.シュトラウス    ポルカ・シュネル「電気的」

J.シュトラウス2世 ポルカ・マズルカ「女性賛美」 OP.315

          新ピッツィカート・ポルカ OP.449

                           ワルツ「北海の絵」 OP.390

ラヴェル     ラ・ヴァウス  管弦楽のための舞踊詩

アンコール

J.シュトラウス  歌劇「こうもり」序曲

指揮   上岡敏之

コンマス 崔 文洙

2018年1月13日 東京 すみだトリフォニー大ホール