アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

演奏からみた楽譜考察

2017-05-17 10:00:00 | 音楽/芸術

ブルックナーの交響曲の場合、同じ楽曲に複数の楽譜が存在し、指揮者によってどれを使用して演奏するかが決まる。先日聴いた第8番は1887年第一稿、つまり初稿と言われる楽譜で演奏され話題を呼んだ。この第一稿は、滅多に実演されず、日本では今回おそらくインバルが都響を振った80年代以来の演奏だったのではないだろうか。第8については、版によって大きく異なり、その印象まで変わってしまうので、版の問題も重要なポイントとなるのだ。

そのほかの交響曲にも複数の譜面があり、作曲者自身で改訂した譜面や、弟子たちが改譜した版など多岐に渡るため、ただでさえ「ブルックナーは長い!」と敬遠されてしまうのに、さらに楽曲を複雑にしてしまい輪をかけて嫌われる要因になっているのではと思える。

その昔、朝比奈隆がドイツでブルックナーの第9番を振る際、かのフルトヴェングラーから「振るならオリジナルで!」と教示されたのは有名な語り草。その当時、まだ第9番は、弟子たちが関わった改訂版が主流だった時代だから、どの楽譜で演奏するのかは大問題だったはず。原典版で演奏したくても、譜面がそう簡単に手に入ったとも考えにくい。

こんな背景を今さら考えてみると、現代ではブルックナーの譜面も整理が進み、原典版、ノヴァーク版、ハース版、改訂版まで容易に手に入るらしい。こんな恵まれた時代だからこそアントンKは、今こそ色々な楽譜を使って演奏をすればいいのではないかと思ってしまう。かつて朝比奈隆は、第3交響曲は、エーザー版という版を使用していたが、晩年は最も一般的な第三稿に落ち着いていた。世界初録音で名をはせたエリアフ・インバルは、近年第4交響曲を初稿ではなく、第二稿ノヴァーク版でレコーディングしている。このように、その時代で使う版も変わるし、何が何でも原典版に拘ることもないような気が今はしている。先日の児玉宏の第8の初稿も素晴らしかった。まさにブルックナーの世界だったし、聴く前には初稿ということが前面に出てきてしまうが、実際演奏に浸れば初稿意識など消えていき、まだ見たこともないブルックナーの森の中へと入ることができるのだ。要するにどの譜面を使っても、演奏内容によってどうにでもなるという証拠だったように思う。アントンKも最初は、初稿ということで聴き入ったのであるが、そのうち響きにのみ込まれてしまい、譜面のことなど二の次になっていたのだから・・・

音楽は同じ演奏でも聴き手によって感じ方がそれぞれ違う。自分の心のより所でいかようにでも変わってしまうし、もっと言えば今日と明日の間でも感じ方は変化してしまう。それは自分の体調にも影響するデリケートな世界だ。クラシック音楽は演奏者や指揮者によっての新しい発見が魅力の一つだが、そう考えると楽譜の問題など小さな問題かなと思えてしまうのだ。

 

 



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