連日になるがブロムシュテットのブルックナーを聴いてきた。
フィナーレのコーダで第一楽章のテーマが大きく膨れ上がり、最後の音がホールを包み込み、綺麗に残響が消えた後の万来の拍手。それだけでも随分と満足のいく演奏会だったが、その沸いている客席に向かって、指揮者のブロムシュテットは、譜面台に置いてあったスコアを客席に見せて、「この曲が素晴らしいんだよ」と言わんばかりの態度。そして我々聴衆の一人一人に小さく会釈しながら大きく俯瞰し満足そう。演奏を聴き終えて、今晩の演奏は、この謙虚で優しさ溢れるブロムシュテットの終演後のこの対応に表れていた。
ブロムシュテットの演奏そのものは、ブルックナーとしては普通に素晴らしく感動的だったと言える。一部変更を伴うノヴァーク版使用だと思ったが、録音で聴くブロムシュテットの演奏解釈とさほど変化は見つけられない。それより、御歳89歳にしてこの指揮振りだったということの方が感動を覚える。オーケストラは今回バンベルク交響楽団。比較的地味なオケだが、昔から独特の明るい響きと素朴さがブルックナーにはマッチしていると感じていた。このバンベルク交響楽団と言えば、昔オイゲン・ヨッフムが来日の際引きつれてきて、ブルックナーをやっていたが、その当時からすれば、この日の音色は、他に違わずかなり洗練されていたように思う。弦楽器の温かみはそのままに、管楽器群は技量も音質もスケールが上がっていた。このオケもよりインターナショナルになったということなのだろう。
演奏会前半のモーツァルトを含めて、尻上がりにオケが鳴ってきた印象だった今回のブロムシュテットのブルックナー第7交響曲。アントンKの中では、演奏そのものは想定内のものだった。この第7は、フィナーレが小じんまりとしているので、指揮者によっては、アダージョ楽章を全体の頂点と位置付ける指揮者もいるというが、この日は明らかに頂点はフィナーレにあり、楽曲の中間部からコーダにかけての響きは、まさにブルックナーの音が迫ってきていた。ただ個人的には、その響きから来る想いや虚しさが現れず、物足りないと言ったら贅沢か。
奇手を狙わずストレートに表現したブルックナーだったが、今や巨匠となったブロムシュテットがさらに我々に新たな語りかけをしてくれることを願って会場を後にした。
2016-11-04
モーツァルト 交響曲第34番 ハ長調 K338
ブルックナー 交響曲第7番 ホ長調 ノヴァーク版
ヘルベルト・ブロムシュテット 指揮
バンベルク交響楽団
東京オペラシティ コンサートホール
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